2010年06月22日

龍馬伝25「寺田屋の母」

今回の舞台、寺田屋には一度行ったことがある。龍馬の手紙やら色々な幕末関係の資料が一杯あり、ファンにとっては飽きることがない。今でも宿泊できる程家の造りがしっかりしている。昔の木の家は頑丈だ。
最近の記事は「潮流を読む」という視点で描いているが、ここ寺田屋の女将「お勢(とせ)」も潮に乗る達人だったと言える。次から次へと志士たちを迎え入れ、匿い情報を提供した。
新撰組など佐幕派から狙われるから命がけの宿主とも言えるわけだ。歴史に残るだけでも大きな切り合いが二度もあり「儲かりそうだから」などと甘い理由で志士の定宿となれるものではない。
あくまで良い日本を作ろうという志士の活動を支援するという腹を据えた志があっての女将業だ。揺るがぬ志があるから、新撰組の脅しにも負けず、事業方針もぶれず無銭の脱藩浪人をも目利き一つで泊まらせる。教育者でもあり、事業家でもあり、女流志士であるお勢の存在は、数ある幕末史の中でさえ光り輝くものがある。
時代を変革する担い手として志士の如く活動する女性は、一度宿泊され刺激を受けると良いと思う。(素泊まり5千円だったか)

さて、幕府の頑なな態度は、長州追い落としにかかった。ドラマでは長州のせいで街が焼け野原になってしまった、その悲惨さを描いている。
確かに平和主義者龍馬の言う通り、内戦など起こすべきではないし、お龍の言うようにとばっちりを受けるのは、関係ない市民だ。
しかし長州を弁護するわけではないが、それが京の街に住む者の定めだった時代かと思われる。
京では「この間の大火」と言ったら蛤御門の変を指すらしいが、応仁の乱など常に戦乱で焼け野原になってきた街の宿命だろう。その反面では、御所があるお陰で様々な商品や文化が発達し、経済的にも潤ってきた一面もある。政変で御用商人も一遍で飛ぶから、潮流を読むセンスを常に磨き上げてきた土壌があると思われる。
薩摩の陰謀で長州が朝敵となった。史実では久坂玄瑞は主戦派ではなく、何とか話し合いに持ち込もうとしたが、久坂も桂も晋作も、池田屋事件で逆上した長州人の暴発を食い止めることが出来なかった。

いったん動き出した組織の勢いというのは、たとえ一部の優れた人間が大局を読み、誤った道を食い止めようとも、出来ないことがある、という厳しい事情を、乞食にやつして京の情勢を探る危険な使命に挑む桂小五郎の姿がよく表している。
「正義は長州にあり!」と叫んで自刃した(ことになっている)玄瑞や、「長州は必ず復活する」と言い残し龍馬の元を去った小五郎の思いは、やがて実を結ぶことになる。が、今はどん底。正確に言えば、これから長州征伐がやってくるのだから、現象的にはこれからひどくなる一方で長州は壊滅するばかりとなる。
しかし、株でいったらここが買い場。長州はこのどん底が底値。ここで長州を見限るか、あるいは引き続き支援するか。ここが周囲にとっては決断の為所なのです。
お勢は、どうするか、いわゆる「相場観」という観点から見てみるのも面白い見方です。
長州がこけて、ここが仕掛け時とばかり、慶喜は勝を見限る。連鎖して海軍操練所は閉鎖。龍馬らは、行き場を失う。そうした龍馬を見限って支援を打ち切るか、引き続き応援するなら、お勢は何を拠り所として龍馬株を買うのか。長州もんを幕府に内緒で匿うのか。

どん底で諦めるのは誰にでも出来るし、失意の人(企業)を見限り切り捨てるのは誰でも出来る。そうした時に、ここが底値だ、買い場なんだと「火中の栗を拾う思いで」(相場用語)買って買って買いまくる勇気や行動力はどこから沸いてくるのか、と言う視点で続きを見てもらいたいと思う。
単なる空元気や、根拠のない気勢ではなく、猪突猛進の闇雲なパワーでもなく、潮流を読む能力があるからこそ真の力と知恵がわいてくる、そんなエネルギーを感じ取ることで、バースビジョンの大潮流が浮上します。勝の言う
「(神戸の)操練所がなくなって、誰がこの日本を守るのか!」という気概は、大局観から来る自信の表れです。
何にもなかった神戸村が、異人館が立ち並び西洋文化の窓口としての機能を果たすことになるのですから、人一人の思いは後世に遺すものがあるのです。






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2010年06月17日

龍馬伝23「池田屋に走れ」24「愛の蛍」

二話連続で書くことにします。今回のテーマは『潮流(トレンド)を読む』。
時代の潮流を読むには、いくつかコツがあります。幕末史を研究すると誠にこの潮流予測がどれほど大事かがよく分かる上、現代の潮流分析には欠くことができない共通性で溢れている。

ドラマでは夫婦の絆や師弟の絆など個人と個人の固い結びつきを描いている。が、その事は日本の原点としてぜひとも再認識するべきだとの思いを述べるに留まり、引き続き社会情勢の移ろいと現代を結びつける論点に終始することにしよう。

『潮流(トレンド)を読む』。これはどのようにしたら身につくのか。

文久3年5月10日の攘夷期日を機に起こった8・18の政変から、池田屋事件を契機とする蛤御門の変までおよそ幕末における大転換期の中でも特に重要な分岐点だったと思われる。

ドラマの登場人物を例に挙げて、潮流をどう捕らえていたか簡単に見てみよう。
真っ先に潮の流れに乗り損ねたのが武市。黒船来襲から安政の大獄〜井伊直弼暗殺までの攘夷の潮流に真っ直ぐ乗っかっていって、攘夷期限でピークを迎えた。小攘夷がやがてピークアウトするという潮流を読み切って頭角を現したのが容同公を初めとする公武合体派。
武市に続いて、藩の枠を超えて天皇を中心とする連合国家を樹立しようとする大義を構想した攘夷派久坂玄瑞も来週には蛤御門の変で敗れ、長州は孤立する。

代わって台頭してきたのが、公武合体派の頭、薩摩とその構想を支援する会津、その庇護の元で京の治安を守る新撰組。大河ドラマ篤姫では、佐幕派から見た幕末を扱ってきたので、それを想起しながら視点を変えて観ると幕末がよく見える。
薩摩は最終的には、倒幕の方針に切り替え、明治国家の中枢に位置する勝者となるが、この時期はまだ、篤姫を幕府に差し出し、公武合体を画策し、幕府を助ける(佐幕)立場を取っている。
トップが斉彬から久光に代わって本来の路線を変えざるを得なかったわけだが、おかげで精忠組は寺田屋事件で真っ二つに別れ、同志と斬り合う定めとなる。これもまた潮流の読み方一つで運命が決まる、という悲惨だが分かりやすい例である。

そうした中で龍馬は、土佐藩の方針にも攘夷の動きにも左右されず、海軍育成まっしぐらというトレンドの中に生きる決心をしている。それも過激攘夷派のあおりを受けて、来週辺り操練所は閉鎖となり、逆風を受ける。(が、長期トレンドは間違いないので、また後に復活をする)

弥太郎などは、もっと緩やかに、家族の絆を大事にしながら、幕藩体制が倒れた後の西洋文明化を睨んだ、経済立国を志している。本人は日々懸命に生き抜くのみだが、これだけ周囲がどよめく中で、材木をリアカーで黙々と引く姿は、近代まで続く長期トレンドを見据える潮流感覚の持ち主であることを想起させる。

このように観ていくと、潮流は一つではなく、複数の波が押してはかえすように、折り重なるようにしては現れ、引いていくことが分かる。
さらに、大きいウェーブの中に小さな波もあり、複雑な中にも、よく見ると(後から振り返ると)、整然とした秩序があり、確かに全てが繋がりあって歴史が綴られているのが分かる。

そう考えると、現代人は、とかく目先の利にとらわれすぎて、大局を見失っているように思う。やれ何が儲かるか、とか、どうしたら出世するかとか、どっちの店が安いかとか損得ばかり思考しているような風潮がある。
小さく早く展開する波には適応するが(流行に機敏に乗ったり)、資本主義(拝金主義)というものが崩壊寸前であるにも関わらず、まるで幕末期にいつまでも偉人どもを皆殺しにせよ、攘夷じゃ!と気勢を上げているような愚かさを感じさせる。
何のために儲けるのか、その志も持たず、生活するため、家族を守るためとしか答えられないようでは、神国日本を守るため、といって短慮な小攘夷に走り、ロシアと開戦し、過信して第二次大戦に向かっていった愚かさと何ら変わりない。

潮流を読むために必要な要素はたくさんあるが、第一に志である。
志が確立していなければ、どの波に乗ればよいか分からない、人の意見に右往左往してしまい、あげくに間違ってしまったら、人のせいにしたくなり惨めだ。
ドラマを観てつくづく思うのは、長次郎一人とってみても誰の命でもなく打ち立てた志を有する者が多くいて、志した事が未達成で終わっても悔いがない、という姿勢〔至誠〕を貫いていることだ。
自分が乗るべき潮流は、志した方向に合致すると自ら判断した流れに身を委ねること。ひとたび委ねたら少々のことでは揺らぐことのないよう腹を据えること(逆風は必ずあるがじきに過ぎ去るから)。
龍馬を観ていると、師との出会い、伴侶候補への身のこなし方、盟友との決別などバースビジョンに沿った大潮流に乗るための伏線をきちんと踏んでいたからこそ、自分を必要とする安堵する場所に巡り合えたと言えよう。

次回から、窮地に追い込まれた長州人に置ける潮流の読み方、処し方に触れる。幕末・明治維新から現代を紐解くには、長州という存在を語らねばなるまい。

posted by 大石 at 13:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

龍馬伝22「龍という女」

お産をする女性はすべて、命を賭けている。
そんな事も自覚せぬまま、病院の先生が、子供の命の責任を取ってくれる、とカンチガイして訴訟を起こしている無知な母親たちは、まるで日本が異国に乗っ取られようとしているのに、何もせぬまま呆然としている幕府と同じように見える。自己責任という重みのかけらも持ち合わせていない。

今回のタイトルで、ようやく竜馬となっていたことに気がつきました。(失礼)
今回のテーマはずばり、「幕末の女性もまた志士だった」。

前回、「命を賭けて、子供の未来を守る母親志士。」という言葉をはじめて出した。これは思いつきでも何でもない。「三つ子の魂百までプロジェクト」を立ち上げたときから、胸に抱いている想いだ。
自宅出産を経験すると、真剣にお産は生死の境目だと言うことが分かる。自然なお産を志す母親は、その経験を活かして子供の未来を救う志士的活動に命を賭けるべきだと思う。

幕末の時勢から、現代の潮流を読めば、志というものが忘れ去られた日本人の姿が見える。子供たちには、なんだか正義など振りかざすとかっこ悪い、という風潮もあるだろう。ごみを捨てるな!などと友達に言おうものなら、仲間はずれにされるみたいな。

しかしその正義も道徳も失った日本の潮流は、一時のもの。その気流の変化に敏感に反応しなければ、文字通り命取りとなろう。
子供の命が蝕まれる現状は救いがたい。と言うことに気がつくだけでも底流に起こっている時流に気づき、何とかせねばならない、と悟るだろう。

男にとって、女性との出会いとその助言が、結局のところ人生の大局で天命を見誤らない必須条件である。これは持論だが、歴史が真理だと教えてくれている。
龍馬を例に挙げれば分かりやすいが、加尾と一緒になれば土佐にあだたぬ(収まらぬ)はずの人生が台無し。千葉佐那子を嫁にもらえば、一介の剣術家で終わり。
成長のステップになる出会いを受け止め、スルーできるだけの判断力・決断力を持ち合わせてさえいれば(それが現実には難しいのだが)、天婚相手が人生の指針を示す場合がある。

「二人の京」では、「生きる道を教えてくれる誰か(に出会うために江戸へ行く)。そしてもう一人は・・・」
とあったが、もう一人とは、生涯の伴侶と出会う旅だと言いたかったのだろう。勝とお龍。これでどんな困難や難しい判断にも間違えずに突き進む条件がそろった。
なかなか人生を照らし出す師にめぐり合えない、なかなかこれは、という生涯の伴侶に巡り合えない、という方は、勇気を出して、”脱藩”してみてはいかがだろうか。

伴侶に出会うための脱藩のあり方は、人それぞれ。

・順調に行っていた仕事場をたたんで、一人、新天地へ赴任する大石パターン。
・留学するという名目で、別の道を志す中で出会う龍馬パターン。
・親と同居する暮らしを手放し、経済的に自立する、キャリアパターン。
・天職に出会う過程で、つながる人の中から探す、天婚パターン。
・パートナーよりも子供が欲しいという想いを増幅させ、転生準備界にいる魂に呼びかける、受胎マグネタイズパターン。など。


貧乏暮らしでも心の支えになってくれた弥太郎の妻は、「おまけ」を付けて材木を売るアイデアを提供し、それがきっかけで全部売れ、転機を掴んだ。

もう二度と会えないかも知れないとの悲しみがよぎる中、取り乱しもせず見送った武市の妻は、「夫の信じる正義についてゆく」という姿勢を崩さず、最期までその正しさを信じ続けた。

そして龍馬の妻になるお龍は、これから龍馬の命を助け、志を助けることになる。志士たちの妻を描く本が出版される程、実は志士としても影に日向に生きる女性たちの姿を今後とも、ドラマの中で注目し、現代の女性の生き方の参考にしてもらいたいと願う。

封建時代は決して、女性蔑視、男尊女卑ではなく、それらは明治になってから中央集権国家を樹立するために作られたものである、と。
戦争をこの世からなくすために必要なのは「イデオロギー(思想)」ではなく、「デモクラチー(民主主義)」でもない。
母親の母性であり、子宮で想う本能の力なのだ。





posted by 大石 at 17:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竜馬伝21「故郷の友よ」

拙著「バースビジョンノート」(ビジネス社)の中に、志の水準、というものがある。21項目に渡り段階的に描かれていて、自分の目指す志がどの程度の力を持つものか、そのレベルを推し量れるというもの。
好きで打ち込むことが出来る、というものから、果ては、
「たとえ自分が死んでも、同志がその思いを引き継いでくれるという安心感がある」。
そんなたいそうなレベルもある。

たとえ自分が死んでも、ってそんな事は、現代では思うことすらできないし、たとえ思えたとしても、志を果たすために死ぬような場面は恐らく遭遇することすら想像できまい。
しかし、竜馬のいた幕末は、ある意味その感覚が当たり前の状況であった。あとは、時勢を読んで、自分の天命を知り、自分の命の散らし場所を見定める、というような時代である。
(注釈;それは日本中から言えばごく一部の者だけのことである。多くの町民や武士でさえ、幕末の動乱に右往左往しながら、あるいは無関係に生きていたことだろう。)

今回のテーマは「時流を読む」。時の流れを見誤れば、志もまた、果たせずに果てるのだ。
8.18の政変で敗れた攘夷派は、長州へ落ち延びる。この機を予測していた容堂は、京の勤皇派に帰国命令を出し、無視すれば脱藩の罪を着せる。大弾圧の始まりだ。しかし殿様の命に背くことは出来ない。

藩があっての自分、そう細胞レベルで信じ込まされてしまった封建制度のマイナス要素である。ゆえに純粋に自己責任ではなく、武市以外は半ば自動反応として何ら疑うことなく藩へ帰ってしまう。その事が痛いほどわかる武市は、竜馬の願いを振り切り、土佐へ帰ることを決心する。

同志と共に生死を分かつ覚悟で。最後の望みを託して。これが責任の取り方である。武市の姿は崇高な精神を感じさせる。ゆえに未だに地元では竜馬より、武市が尊敬の対象となっていると聞く。
ただ妄信的に「攘夷の灯は決して消えていない」と叫んだのだろうか。
否、決してそうではないだろう。風前の灯だった武市の同志・長州久坂玄瑞らが志を受け継いだからだ。
「たとえ自分が死んでも、同志がその思いを引き継いでくれるという安心感がある」。そういう心境になっていたのかもしれない。武市は個としては時流を読み間違え、抹殺されてしまうが、志士群像全体としては、その光は生き続け日本を変える起爆剤となったのだ。


幕末は、脱藩が一種の流行になって、藩を捨てることで見えてくる世界があることを、竜馬はじめ多くの志士たちは知ることとなる。
日本のために海軍を起こす、という視野に立てば、帰藩ではなく学問だ、との判断も立つ。
同様に、現代でも、日本のためにではなく、世界のためにとか、地球のためにという視野に立てば、とるべき行動や判断も変わるはずである。
それが、時流を読むことの条件であり、そこに私情を挟んではいけない、ということだ。

竜馬は脱藩で日本人としての視野は広がったが、そこに私情を挟んだために、以蔵を探したい、とか、土佐に帰らせて、と勝に申し出た。しかしそれは抱く志の水準からすれば、わがままでしかない、ということが彼にはまだ分からない。というより、死ぬまで分からないままだった。
その事は最期を迎える原因でもあったわけだが、後に触れるとする。

「時流を読む」。
読むためには、脱藩のような命がけの行動のレベルで視野を広げること。
次に必要な条件は、知った流れに乗るためには、私情を捨てること。
武市が死ぬ覚悟が出来たように、竜馬もその生き様を遠くから見届け見守るしかない、と悟るように。

私事だが、命までは賭けていないが、多少なりとも揺るぎない軸を持っている。
脱藩ほど勇気はいらないし簡単に飛べたが、福岡へ移転した。すると視界が開けて過去の自分の至らなさや、世間の時流が読めた。
次に結婚して子供が出来て、テレビのない暮らしが始まった。その事を10年続けているが、妻の父親から会うたびに「どうしてテレビを買わないのか、子供が仲間はずれにされないのか。」という圧力がかかる。しかしその私情に負けて、世間の常識に合わせてしまったら、ノイズに犯された子供になってしまうので、かわし続けている。
他にも、将来病気をしたときのために貯金をしておけ、とか、収入も少ないのにボランティアなどするな、とか、およそ志を全うするために必要と思われる決断の数々をことごとく否定されている。

脱藩と同じように親や兄弟に迷惑をかけて東京から下関まで来たのだから、途中で投げ出すわけにはいかないのだ。同志には親から「何で牛乳を飲ませないの!」とか「母乳を止めてミルクにしなさい」と圧力がかかり、それでも戦っている者もいる。
私はそうした仲間を志士と呼びたい。命を賭けて、子供の未来を守る母親志士。幕末の時勢から、現代の潮流を読めば、志まで殺すことは不可能という勇気を獲得できよう。

posted by 大石 at 16:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竜馬伝20「収二郎、無念」

「正しかったか、間違ったか、見方によっては全く変わる」。

今回のテーマは、正義について。
何も悪いことはしていない平井収二郎が切腹を命じられた。その事が理解できず憤りを覚える妹、加尾と幼なじみ、竜馬。
しかしその結末は、自分が正しいと信じたことの行為の積み重ねで起こったこと。その事を、福井藩に召抱えられて指南役となった横井小楠は、ひまわりの種かなんかをポリポリやりながら、
「値打ちのあったものが、(世の中の流れから取り残され)古びて用なしになっただけのこと」と、無常にも言い切る。
横井もまた、武士の時代は終わる、と確信しながらも、その先見の明は正しけれど、結局は、刀を置き捨て逃げたことを、武士にあらず、と非難されたことを機に失脚し、結局は浮かばれぬまま世を去った。

自ら「人間の命など世の中の流れから見れば、芥子粒のようなもの」と見据えた通りになったわけだ。命を賭けて国を守ろうとした武市や平井をどうして嘲笑できよう。時代の変わり目とは、何が起こるかわからない、明日は我が身なのだ。
しかしながら、この時代、正義の在り方が風のようにあちこちに移ろいゆくけれども、決して現代には真似のできないことがある。真似できないが規範としたいこと。

それは、「自己責任」。自分でしたことは最後まで責任を持つ。

この姿勢が、はっきり言って半端ではない、ということ。これは今の政治家を持ち出すまでもなく、誰の身にも心に刻み込むべきであろう。
平井は、死ぬことになったことを、武市のせいにしたか。答えは否。
「幸せでした」と涙ながらに訴える姿は、ドラマにどれだけフィクションがあろうとも、その時代のどこそこにあった武士の生き様であり、日本人の美徳だったはず。
弱虫、とののしられながら、党から離脱し決して小攘夷に乗らなかった竜馬。
貧乏暮らしを余儀なくさせられても、決して父親を恨むことなく、蔑まれながらも商人の道に活路を見出した弥太郎。
そして大殿様に忠義を尽くすことが己の定めと覚悟を決めて、決して裏切ろうとはしない至誠を貫く武市。

その想いは、決して妄信などではなく、自己責任から来るものであり、その帰結として「切腹」という儀礼があったのだと思う。自分は自分の信念に基づき、決して後ろめたいことはありません、との証しに。ただ迷惑をかけた報いは受けます、という意味で。

正義を貫くとは、真に勇気がいるものだと思う。その心に揺るぎない中心軸がなければできないからだ。

何が正しくて何が間違っているか、ではなく、自分がどうしたいか、どう生きたいか。ここに真の正義を貫く原動力がある。そしてその結果、報われずとも、そのことを周囲は、どう見るか、どう受け継ぐか、が大事だと。

身近に起こったこと(艱難辛苦)をどう捉えるか、どう生かすか、が肝心かと思われる。

竜馬は言った。
「10年後、堂々と土佐に帰れるように」と。立派に志を全うして見せます、という思いを兄に伝えた。
当時長州の仏僧にも月性という勤皇派がいた。有名な詩をここで披露しておく。現代の旅に照らして、自己責任の重みを考えてみよう。

男児、志を立てて、郷関を出ず。
学、もしなるなくんば、また帰らず、
骨をうずむる何ぞきせん、墳墓の地。
人海、至る所に青山有り。

(訳)
男たるもの、故郷を立って旅に出てひとたび志を立てたなら、
学問(当時学ぶということは、生き方を確立するということだった)
を立てずに、どうして(手ぶらで)帰ることなど出来ようか。

骨をうずめる場所などいくらでもある。
世間には、至る所に、山や丘があるではないか。途中で死んだらどこにでも埋めてくれればよいではないか。

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竜馬伝19「攘夷決行」

人生には上り坂と下り坂と、そして真坂(まさか)という第三の坂があると言う。藩主を信じて疑わない武市は、この真坂に遭遇し、運命を決めてしまった。
今回、勝が言った台詞で私ははっと、気づくものがあった。幕末からざっと50年後の第二次大戦前夜に向けて、それを避けることの出来ない世情と相成った根本原因としての思想が、そこに描かれていたからだ。

勝は、用心棒となった以蔵に向けてこう言った。
「俺もな、こう見えても、攘夷派なんだぜ」と。
「え?」と反応する以蔵。幕臣でありながら、幕府と敵対する思想をいとも簡単に言いのけるのは、この人物を置いて他にはない。

卓越したバランス感覚の持ち主だ。それ自体、奇跡の人と言わざるを得ないが、貧乏暮らしの中で学問に打ち込み、オランダ語を操り世界の事情に精通し、江戸の庶民を愛して出世しても己を見失わず、剣術で感覚を鍛えたからこそ獲得したバランス感覚だろう。曰く、

「攘夷にも『小攘夷』『大攘夷』があるんだ。『小攘夷』は、異人と言えば誰でも殺してしまえ、という浅はかな愚かしいことだ。でも『大攘夷』は違う。
国がまとまって国力をつけ、それで戦争をしなくても済むようにするのさ。強い国を作れば、国を守れる。これが俺のしたいことさ」。と。(台詞は違うが)

「(攘夷決行の日)5月10日が来れば、わしが正しかったことが証明されるぜよ!」と信じていた日に「どこで間違ってしまったのか・・」と挫折感を味わう武市は、まさに『小攘夷』の先鋒だったわけだ。
後世の眼から見れば、誰が見ても愚かしいと思えるが、
「侍が殿様を裏切ったら、それはもう、侍ではないぜよ」との認識は通常の武士階級には、それはもう骨の髄まで染み込んでいる信念であり、
切腹を悟ったとしても逃げることは死ぬよりつらいことだったわけです。

そういう辛さや美徳を知っているからこそ、勝は武市を哀れんでも生き様を否定はしなかったのですね。かくして大攘夷は決行された。
つまり、攘夷決行の日を境に小攘夷派は大挫折を味わうが、その日を境に、海軍を強くしないと攘夷は実現できない、という事に日本中の志士たちが目覚める。そこが長州の功績であり、高杉晋作は上海渡航でそこまで読んでいたのだ。(ここは後に触れる)

しかし時代は明治に入り、勝の切望した強い海軍は誕生するも、戦争は止まず。軍国主義へと突入してしまった。竜馬ですら、皇后様の枕元に現れ煽り役をやらされて。
その思想的背景に、武市をモデルとする小攘夷の想念が色濃く影響していると思われる。つまり、藩主を崇拝し妄信したように天皇を神格化し、裏切ることは日本人の恥という信念体系を創り出し政治に利用した。
文久3年5月10日は、日本が舵取りを誤るか、新しい流れを作るかを見定める最初の分水嶺だったように思われる。
「よしこれで、日ノ本は本流に入れる」と確信する人物より、悔しくてまた仕返ししてやる」と復讐心に燃える想念が勝ってしまった、という意味で、明治は未完成のまま昭和に向かってしまったと考えられる。

日本中が、真坂の坂をまっしぐらに向かい、300万人近い同朋を失った戦争へとつながっていった。(つづく)




タッチセラピー協会で提唱している、
「国境(はて)を癒す」〜皮膚感覚を溶かし、境目をなくす〜
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2010年06月08日

竜馬伝18「海軍を作ろう」

再びバースビジョンの専門家としての立場から、今の時代と照らし合わせながら、志を抱き、貫くとはどういうことか、論じていきます。
(延び延びになってしまい、申し訳ありません)

平成の時代は、このまま資本主義を貫くのか、あるいはまた、新たな「文明観」を抱き、明治維新を起こしたときと同じようなレベルの変革(革命とも呼ぶ)を起こしてゆくべきなのか、見定め実行に移さねばならない時代へと入っています。

竜馬のいた幕末期に似ているという歴史観を抱き、確信し、変革のときが来ている、との時代認識を持つ識者が増えてきています。
でありながら、中国の急激な資本主義化を見るまでもなく、現実の世界は、どうみても「お金」が中心の世界観であふれています。

パラダイムシフト(文明史的変革期)なる言葉が登場したのも、私が卒論を書いていた時ですから、1984年頃。実に25年も前には、大転換期(歴史学者ガルブレイズ)、アクエリアン革命(堺屋太一)といった書物が書店に並び、ポスト資本主義がささやかれていました。

それからどれほど社会は変革したのでしょう。
20年前と比べて良い変化が起こったと言えるでしょうか。良い面もあるでしょう、しかし、常に世界の最先端を追いかけて良い文化や技術を取り入れているはずの首都東京では、お産をするのに70万、80万円もかかり、それでも産院が激減し、生む場所も確保できず不安に陥っている家族も多いと聞きます。

また、産みたくても産めない体になってしまった、と不妊治療に200万も投じる方も増えていて、このまま少子化が続くと鳥取県民程度の人口が減るとも言われています。大げさに言えば、国家存亡の危機です。
少なくとも、決して住みよい世界になったとは言い切れません。
なぜ、日本は、ここまで西洋文明を取り入れ豊かになったのに、ある意味、精神面で荒廃してしまったのでしょうか。

時代を幕末に戻し、国の在り方に関して何回かに分けて論じ、現代に通づる国家的課題に触れてゆきます。

勝海舟が、竜馬に言いました。

勝塾の生徒が一様に、外国船を打ち払おうとせんがために、海軍の勉強に励む姿を心配する竜馬に、
「いいじゃないか、やらせておけ。いつか肌で感じて変わってゆくんだ」と。
「藩の壁がない、人の上下がない、そこがこの塾のいいところだ。
そうやって日本人となっていく。そして西洋文明を学ぶことで戦はおろかだってことが分かるときが来るのさ」。

藩の壁をなくし、日本人になる。この思想は、私がタッチセラピー協会で提唱している、
「国境(はて)を癒す」〜皮膚感覚を溶かし、境目をなくす〜
に通じるものがあります。(つづく)

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2010年05月06日

竜馬伝17「怪物、容堂」

次々と展開する歴史の核心へ向かう大河ドラマ、竜馬伝。その中でも、この数回が登場する各人の命運を分けることになろう。
武市は純真な思いの中で、忠義の犠牲者となる道をひた走り、弥太郎は、軍国主義、富国強兵を国是とする明治になるまで表に出られず、準備期間へ(つまり志士としてではなく、志士たちが命を削って新しい時代が来るのを待つ身)、そして竜馬は、攘夷派と開国派のどちらからも疎まれる独自路線へ、幼なじみの人生は完全に別の世界へ枝分かれし、運命のシナリオが回り始めようとしている。

そこで今回は、国の在り方について言及し、各人の生き様と、そして現代とをダブらせてみたいと思う。(論点が大きいので簡潔に)

ドラマ中で「アメリカでは将軍はプレジデントと呼ばれるのだが、そのプレジデントは商人でも百姓でもなれると聞いた事があるのだが」と竜馬は、目をらんらんと輝かせて、質問をする場面がある。それに対し、

「アメリカではそのプレジデントになりたい者が手をあげ、その者達を民が選び一番選んだ数が多いものが、入れ札(投票)によってプレジデントになれる。」と聞き、アメリカは民がこの国の行く道を決める、ということに感銘を受ける。

江戸時代の藩主に忠義を尽くすことが当たり前の封建主義に対して、民主主義のことを言うのだが、アメリカが真に、民が国の行く末を決めるという民主主義を徹底しているかどうか、ということは検証の余地がある。
昨今フリーメーソンに関する書物が出回っているが、予め権力者の間で次の大統領と政策が決められてきたことは暗黙の了解であるし、戦争を世界各地で仕掛けることによって利潤と権力を極大化してきた歴史は、現在でも続けられている。
平和を唱えるオバマ大統領が無人戦闘機による爆撃を強化しているのも、戦争による産業の維持も国民が望むことか、自国民さえ豊かであればそれでいい、というのが民主主義なのか、幕末当時竜馬が望んだ日本の姿なのか、そろそろ明治以来続いている竜馬的な世界観が、現代にもたらすものと照らしながら、ドラマの進行を見てゆかねばならない時期かと思われます。

つまり戦争のない民主主義がありえるのかどうか、ということです。海軍を増強しようという竜馬らの事業は当時の日本の取るべき最善策だっただろうが、その路線を美化することは現代人にとって何をもたらすのかどうか、考える機会としたいと思う(続く)。


posted by 大石 at 15:08| Comment(12) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

竜馬伝16「勝麟太郎」

加尾が龍馬に言ったセリフ。
「何か大きいことを成し遂げるために産まれてきたんだから。(私のことは忘れて江戸へ行って)さよなら・・。」

執着すると中々言えない台詞です。女性の品格そのものですが、ここで予断になりますが、この時自分のバースビジョンの遍歴を思い出したのでエピソードとしてお話します。
私にも似たような(?)事をある付き合っていた女性に言われたことがありました。社会人になりたての頃です。

「健ちゃんはね、きっとビジネスと精神世界を結ぶという、大きな役目があってこの世に生まれてきたんだと思うの、だから、きっと何か大きな働きをする時が来ると思うよ」と。
その時は(ふ〜ん、そうなの・・)と気にも留めませんでしたが、不思議な余韻があったので、メモに走り書きをしたのです。それから7年後、書斎の資料を片付けている最中に偶然そのメモ紙を見つけて、はたと止まりました。全く同じ思いで会社を興した後だったからです。
ワールドブリッジとは、世界を結ぶひとつの橋、という意味で、魂に刻んだライフワークで生活できる人が増えたら、経済は変わり、世界中から戦争も飢餓もなくなるはずだ、お金のためでもなく、かといって心の世界に逃げ込むのでもなく、経済と精神性と二つの価値観に偏りがちな世界を統合する方向に導いていこう、という思い=経済を癒す、という理念で立ち上げたのでした。

その思いだけが先行し、現実が伴っていなかった当初、焦り、もがいている最中に出くわした、捨ててもおかしくないぼろぼろのメモ紙に刻まれた文字を見て、私は勇気百倍となったものでした。
その彼女とは会社設立時にはとうに離れて音信普通だったわけで、言われたことすら一切記憶の彼方でした。
しかし私は天意を受容し今ここにいる、という確信を得るには十分すぎる程のメッセージで、その事を私に伝えるために天が遣わしたのでは、と思えるほど衝撃的な出会いでした。(知り合った場所もアテネで、イスタンブールに向かう空からエーゲ海を眺める場面から始まった出逢いもまた衝撃的です。そんなことはどうでもいいか・・・。)

お伝えしたいことは、オモテのライフワークが創造期に入る前に、その伏線としていくつもの《バースビジョン・エピソード》があり、その中には、プライベートな部分も多分に含まれているもの、ということです。
龍馬にとっては、ドラマ上まだ出逢っていないお龍と結婚することになっているので、バースビジョンを実現する上で、加尾と夫婦になり土佐で暮らす流れには決してなり得ません。が、それら(それら、です)を通じて必ず、道を開き、間違わぬよう示唆してくれる出逢いが必ずあるのです。そこを忘れないよう、決して恨みつらみで別れて、感情のブレから大事なメッセージを見逃すことのないようして頂きたいものです。

さて、勝海舟とのバースビジョン創造期が始まる出逢いを邂逅しましょう。今後折りに触れていきますので、初回は、簡潔に表します。

品定めに来た竜馬を、逆に面接する勝も、面白い演出でした。武田鉄也は大の龍馬好きだから、心の底から龍馬をからかってやろうという気持ちで演じたのではないでしょうか。すでに愛情たっぷりな雰囲気が漂っていました。
それはさておき、私が最も感じ入ったのは、勝が龍馬に答えを引き出そうとする場面です。
「既に心の中に答えがあるはずだ。私を訪ねて来たからには、それなりの思いがあってのことだろう?えっどうなんだい?
この日本は一体どうすればいいと思うんだい?」というように問いかけました。
すると龍馬はいきなり「わしは剣が強い」と言い出した。「剣が強いことは皆知っちゅうから、けんかをふっかけてくる者はおらん」「もしこの国が強くなったら、誰もどの国も日本に喧嘩を売ってこない、そうだ!海軍を強くすれば誰も争わずこの国を守れる!」と。そこまで言葉に出させて、勝は合格を言い渡した。

勝も剣の達人だから、言葉になる前に相手の心(意識)に答えがあるかどうか、見抜けたと察すべき張り詰めた場面です。松陰先生が龍馬を「黒船に乗るのは私であって、君ではない!」と言い切った場面がありました。その感覚と一緒です。
優れた師は、答えを知りながらも、開きかけた相手に答えを言わせる、つかむ機会を与える。その時期が来たらそれと気づけるようにパスワードのようなヒントだけを与える。
千葉先生の「出て行きなさい!」〜「時がかかったな」の場面も同じです。
攘夷か開国か、という思想レベルの二者択一議論に翻弄されず、自身の感性に触れるものを信じて選び取った人生の持ち主ゆえ、他に成し得なかったユニークな立ち回りを演じる時代の立役者となりえたのでしょう。





posted by 大石 at 17:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

竜馬伝8−9「命の値段」

今回は二話まとめて書きます。テーマは、武士道。
武士道というと、切腹や斬り合いや封建社会の象徴のような堅苦しさや現代には相容れない過去の遺産のようなイメージを持っている方もいらっしゃるでしょう。しかし真の武士道とは、人は如何にして生きるべきか、という道を追求する事であると、私は考えます。
調べれば調べるほど、肥前の葉隠れのように「武士道とは死ぬことなり」などと達観した境地から大上段に構えた思想ではなく、確かに死生観を極める道に通じますが、本来は、ごく日常の生活の中で徳を積む事にあります。ドラマから具体的に見ていきましょう。

この二話の物語から、竜馬・武市・弥太郎の三者三様の道が分かれていく様子が描かれました。その心の拠り所を武士道という点から考察します。
武士道には、五倫(5つの倫理規範)というのがあり「君(藩主)に忠・親に孝・夫婦の別・長幼の序・朋友に信」。この五倫を重んじることが武士の道であると言われました。ところがひとつを立てると一つがうまくいかない、そこを超越していくことが武士の課題でもありました。
三人にそれを当てはめてみるとしよう。
武市は、完全に君に忠、つまり日本という国家を憂い、自藩が他藩に遅れをとらないために何を為すべきか、という視点でしか自分の道を見ない、行動の規範に忠がある。桃井道場を立派にするために、窮屈な規則で縛り、藩の名誉を守るためなら、仲間に切腹を言い渡す。朋友への信頼を裏切らざるを得ない。忠義に生きる士として立派な姿勢は、強力なチームを形成しやがて土佐を動かす勢力となる。
弥太郎は、未だ芽が出ないものの獄中で商売(ビジネス)に目覚めることになる。が、その心には親に孝という姿勢は忘れない。江戸から土佐まで30日はかかるはずの道のりを、わずか15日で駆けて行く原動力は、父親の重態の知らせによるもの。せっかく手に入れた江戸での学問の道より孝行を選ぶ。なかなか出来るものではありません。それも武士の道だという事です。
そのよい例として藤田東湖という幕末の偉人がいたのですが、安政の大地震で母親を助け出そうとして家の下敷きになり死んでしまったのです。西郷隆盛をして「惜しい人物を亡くした」と言わせしめた人ですからよほどの人なのでしょうが、国家のためを想えば自分の存在が如何に大事か、という自覚から、親よりも国を取り、母親の身代わりにならずとも(母親を死なせてしまったとしても)世間は認めるでしょう。が、忠より孝を選び死んでいった。親孝行もまた武士道だと言うことです。
意外に武士道を説く偉人の中にも「孝の道」を重んじている人物が多いことを、私たちは深く認識する必要がありそうです。
さて竜馬は、というと、もうお分かりかと想いますが、一貫して「信」の人なのです。武市の唱える攘夷よりも友人を助ける人であり、家族の心配をよそに弥太郎を助ける。目の前の朋友の窮地を救うためには、忠もなく、孝もない。未だ天命に目覚める前から信に厚いという竜馬の軸は、終生変わることはありませんでした。
それ故、朋友である武市の「もう、じゃませんでくれ」との言葉は胸に刺さった。が、だからといって仲間になることは出来ない。そこまで攘夷思想に忠誠を誓うことが出来ないからです。あくまで信に生きる。その心の軸があればこそ、大政奉還を画策し、慶喜を助ける行動に出るわけです。五倫の中で信に重きを置くからこそ、国家の大義に生きる忠義の志士たちから疎まれ、孤立していくことにもなるのですが、そこはまだ先の話として、今は、竜馬の心優しい「信」の良心を感じ取っていきましょう。
ちなみに、弥太郎の「孝」の徳目は、やがて三菱大組織を形成する過程で岩崎家を重んじる強い絆で発展・継承することに繋がります。
武市の「忠」に生きる徳目は、下士でありながら土佐勤皇党の京都入りにて花開きます。何が正しい選択か、ではなく、自分にとって何を心の拠り所にして人生の岐路を選択するのか、が大事だといえるでしょう。
「忠・孝・別・序・信」。五倫の徳目をバランスよくどこかに重きを置きながら進む道。そうした視点で武士道を志すドラマの主人公たちを見るのも面白いかも知れません。
posted by 大石 at 11:15| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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