2010年11月08日

龍馬伝45「龍馬の休日」

今日は『天婚』について解き明かしましょう。ビジョンヨガに精通してゆくと、なぜか天婚を実現してしまうから、不思議ですね。天婚とは、天命に沿った結婚、つまり赤い糸で結ばれた生まれる前に決めてきたパートナーと結ばれることを指します。
バースビジョンの実現にとって欠くことのできないマグネタイズ・ストーリーであり、一ランク下の適婚(比較的適した結婚相手)では、自己実現の到達点も満足度も落ちてしまいます。まして不適婚や敵対婚に至っては、悲劇の始まりです。ビジョンヨガで身体感覚を磨くことでそうした悲劇を未然に防いで欲しいものです。

さて龍馬伝タイトルは「ローマの休日」をもじったのでしょうか、せっかくですから(たまには)ロマンスについてもバースビジョンの観点から天婚をキーワードにして見ていきます。
以前にもお話した通り、龍馬にとっては、加尾やさな子では適婚止まりで、歴史に名を残すような大仕事は出来なかったことは、もうお分かりの通りです。土佐にあだたぬ男が加尾の誘惑?に負けてずるずると吸い込まれてしまったら、脱藩一つしなかっただろうし、さな子の気迫溢れる押しの告白に負けてしまったら、剣術道場の主として今日の北辰一刀流の歴史に刻まれ、現在の東京杉並道場は、龍馬の巧みな宣伝ノウハウが基となり、全国規模の道場になっていたかもしれませんし、子孫が各地の道場主になっているでしょう。その程度の自己実現で止まっていただろうと予想できます。

龍馬にとって、道場主は適職であり、大政奉還が天職だというわけです。
天婚と同じフィールドに天婚ありき、というわけです。

しかし龍馬は適婚相手の甘い誘いをきっぱり断った、断れたわけです。そこに志の強さを感じさせます。子沢山に恵まれ晩年まで生きたであろう人生の選択を蹴った。天婚相手こそお龍。志士としてサポートする、命をかけて志を守る、そしてたいした思い出もなく死に別れ、子供も出来ず、酒びたりで歴史や薩摩や土佐や徳川や全てを恨みながら酒びたりで晩年を過ごし、さみしく死んでゆく。
横須賀に流れてそこで人生を終えたお龍は、どんなバースビジョンだったのでしょう。きっと世界に船出して貿易で成り立ってゆくことになる日本の玄関口である横須賀で、龍馬の志を見守る、という魂の想いで導かれたのでしょう。しかしそれは魂の選択であり、表面的には再婚相手がたまたま横須賀だった、ということです。魂の意図が達せられ、引越しが済んだので再婚相手とは別離します。

肉体をして自我のレベルでは決して幸せを感じきれなかった、そんな天婚もあるということを知らねばなりません。だったら適婚の方がよかった、と言えるような未来があるということを。
ゆえに多くの人たちは天婚を期待しつつ、現実には適婚で満足している、という選択をしていると思います。それを否定する、下に見るということは断じて違います。
大事なことは、天婚には覚悟が必要だということです。いたきものレベルが段違いに高い、ということです。最終回、下関にいながら、京で斃れる龍馬の知らせを受け、お龍がどんな想いにかられるか、その場面を見ながら、お龍がどんな覚悟を持って、龍馬についていったのか、感じ取って見たいと思います。

幕末の志士には、必ず女性の支援があった。晋作にとっての野村女史は志士を匿って島流しにされた。桂小五郎の幾松は新撰組に襲われそうなところを匿った。伊藤博文のように生き残ったら、ファーストレディとなるハッピーエンドもあるが、それは結果である。
封建時代における女性の生き様であり、現代における天婚の在り方はおのづと異なる。が、しかし日本の女性の気高さ・気品は、世界一であり、歴史を作ってきたことは間違いのない事実であり、陰の立役者であり、和を基調とする社会理念のベースに母性があることは、間違いのないことである。
今後、『母活』を基調として、世界が平和になるための日本女性の活躍が期待されるところでもあります。




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2010年11月03日

龍馬伝44「雨の逃亡者」

幕末江戸期と平成の現代。何が違うかというと(実際全く違うのだが)、昔の日本は、人と人とが人格を持って繋がり、信頼関係を持ち、その個としての関わりが組み合わさって、横糸や縦糸を通しながら、まるで糸をつむいで布を織るように、世界を創っていく様だ。そこが違う、と思う。
現代でも人間関係が大事、とはよく言われても、あくまで組織の人間としての顔を持ち、その人柄よりも組織人としてどれだけのものを持っているか、によって人脈の太さ、厚さが決まる傾向が強いのではと思った。

私が学生の頃は総合商社が就職人気のトップだったことは伝えたが、同期に親のコネで三井物産に入社した男がいた。同期会で名刺交換の際に、決まってその彼は「物産の○○です!」と誇らしげに言うものだから、(だからどうしたんだ?)と内心笑ったものだった。その後彼は当初の予定通り、親の会社に入り、今度は「専務の○○です」みたいに必ず会社の地位を言うものだから、本当に噴出しそうになったものだ。
懐かしい同窓生に会えるのが楽しみで、毎年、会に参加してきたが、やがて仕事や経済や景気の話ばかりするので、行かなくなってしまった。組織を離れたら一体何が残るのか、ということを考える勇気もない大企業の友人にとって、30手前で証券会社を脱サラし、独立した私の生き様など否定するしか、尊厳を守れないのか、常に馬鹿にする目線しかなかったのを覚えている。
東京に住んでいると、何でもあふれているようでいて、肝心なものをぽっかりと忘れ去ってしまう怖いところがある町だと思う。その点、大阪に住んでいた頃はまだ人と人が触れ合いやすい町だったし、福岡に住んでいた頃は、全く異空間に降りたような心地よさで、人が「生きている」、と感じた。
大阪は東京を意識しすぎて、かつては堺など世界的に開かれた港だったし、明治以前より商業の中心として栄えていたのだから、もっと独自の路線を行ってもいいのに、妙に東京に対してコンプレックスを持っているのが気になった。福岡は大企業の支店都市という色彩はあれど、独自の文化圏を形成していて、心にゆとりがあり、文化や芸術に目を向けている人が多く、多彩な生き方を容認しているようなおおらかさがあった。
何でこんなことを書いているのか?ふと、我に返ってみると、どうも、雨の中を逃亡するお元の生き様が頭によぎったからなのだ、と気づいた。
「行き場のない日本が大嫌い」というお元の絶望感は、今の日本とある部分ダブルところがあるし、住むところを転々としている私の深層にも共感する部分があるのだ。明治に捻じ曲げられた西洋文明の侵食、違和感のある文化的汚染、誇りに思えないようゆがめられた日本の歴史。顔と顔を突き合わせて、通い合う関係を結ぶことの難しい世の中に、閉塞感を感じることもしばしばあった。
しかし同時に、龍馬のように、みんなが笑って暮らせる世の中になる、その為に命を賭ける、という生き方にも共感し、その可能性を模索してみている。絶望感があるから希望の光が見えるのではないだろうか。

龍馬はあと数ヶ月で地上から抹殺される。ドラマ上の時間軸になぞらえて自身の中に「ある答え」を導き出したいと思う。

ー明治国家はどうして、ゆがめられてしまったのか。ー

この問い自体が、司馬史観から脱却できていないのかもしれない。けれども12月にはあの坂の上の雲が始まる予定だ。明治は素晴らしかった、それに引き換え、昭和の指導者は、というシナリオに日本中が染まるのか。その前に明治元勲たちが道を誤ったというのに?
2011年を前に、日本全体のコンセンサス(社会的同意)が問われているように思う。これから日本はどこへ向かおうというのか、と。

龍馬や晋作の志向した世界は、四民平等、自由な世界だったはずだ。それを華族制度や、天皇を政治的に利用して中央集権国家を形成していった。西郷隆盛とて今は(ドラマでは)討幕に燃えているが、目的を果たした後は、農業を基盤にした国家作りに乗り出したではないか。
今世界は、明治維新を雛形にして、その練習を踏まえて、新しい地球文明に目覚めようとしている、という歴史の中にいる。断言していい。日本が世界に先駆けて新文明創造へのモデルになる、というバースビジョンがあるのだ。

にもかからず(あえて上記検証を待たずに議論を進めるが)、龍馬伝の社会的影響はどこにある?
下関でもブームにあやかって、龍馬を観光に生かそうと躍起だし、NHKのプロデューサーをわざわざ東京から招いて、シンポジウムをした際に、質問者は「下関はドラマでどの程度出してくれますか。何回ですか」などと言う始末だ。呆れるのは「寺田屋事件でお龍は、どのくらい露出されるんですかねぇ」など下品な質問もあった。もし晋作が生きていたら、その場で「無礼者!」と切り殺されていただろう。私も、「いいかげんにしないか!」と叫びそうになった。息子がいたから抑えたが。
パネリストの古川薫氏にも呆れた。
「晋作は武士だから、人気がない。龍馬は現代人に通じるものがあり商売に強いから人気があるのでは?下関にも龍馬記念館を作るべきだ」と。それでも長州人かよ、と失望した。結局作家として知名度を上げたいだけなんだ、と直木賞そのものを蹴飛ばしたくなった。

言うなれば、志が商売の種になっている、これが龍馬ブームの真相だ。だから、天が怒って視聴率が下がっているのだとも思えてくる。もっと子供たちに歴史を学ぶ機会としたい、日本がどのように成り立っているのか、教える機会としたい。
一灯照隅。「歴史博士になる!」という志を学校の作文で宣言した5年の長男に、先ずは説いていこう。学校で昼休みに、図書館で借りた歴史の本を読みふけり、また借りては読む、歴史好きの長男に、ゆっくりゆっくり紐解いていこう。





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2010年10月28日

龍馬伝43「船中八策」A

江戸末期におけるバースビジョン的教育土壌の果実「船中八策」。龍馬がまとめた『新政府綱領(こうりょう)八策』、それらを土台として結実した『五箇条の御誓文』。明治国家の基本理念である。
果たして平成の世に、国家100年の計と言われるような太い柱(国是)があるか、あるわけはない、異人が作らせた憲法なのだから。
日本国憲法の前文には確かに優れた文面もある。しかし欧米流民主主義を押し付けられた面が色濃く反映されていて、数年前の改憲議論の際、憲法9条の議論ばかりで結局うやむやになってしまった。同時進行して打ち出された教育問題で、当時切り抜いた新聞記事には「道徳教育の時間数は増やさない(要は今だタブーであること)」「国際比較で落ちた学力向上が急務」との見解ばかりだ。つまり今の日本の文科省主導の教育土壌には、

『人生をいかに生きるべきか、世の中に役立つにはどんな自分になればいいか、そのために何を学ぶべきか、という根本を問い学ぶ《学問》をする環境はなく、知育を主体とした(英語を含む)学力向上が主目的であり、勉強する機会はあっても心の自立や立志を学ぶ環境ではない』。

個々の指導者は懸命に心の教育に取り組んでいるし、その成果はあちこちにあるだろうが、システムそのものが欧米に学べ、という明治以来150年間変わらぬ姿勢である以上、学校教育の根本は、恐らく何十年経っても変わるものではないと予測する。ゆえに「オルタナティブ・スクール」代替学校を提唱し、寺子屋を興そうとしているわけだが。

話をドラマに沿って戻そう。その前に、私が、龍馬伝を題材にして解き明かしたいこと=命題を明らかにする。
私の研究課題(バースビジョンのひとつと言ってもいいが)は、どうして幕末の優秀な志士たちの努力によって新国家が建設されたにもかかわらず、明治に入って明らかに曲がってしまったのか、昭和に入り戦争に突き進んでしまったのか。
国是とした富国強兵や文明開化は避けられぬとしても、和魂洋才の理念は、どうして形骸化し、西洋文明を骨の髄まで取り入れるようになり、今日の心の荒廃を招くまでの要因を形成してしまったのか、という命題を解くことである。

武士道を失い、精神崩壊を招いた因子を明らかにし、今後の日本のあり方や教育に生かせば、あるいは初期転原となり、国家の悪しき仕組みを破壊し、教育の根本を改めることが出来るかもしれない、と思うのである。キーワードは「みつたま」。これしかないと直感するが、学校教育に革命を起こす策はまだ見つかっていない。


「船中八策」。NHKを賞賛したい。龍馬の魅力を「オーガナイザー(まとめ役)」とした点を。龍馬が考えた策だとしたならば興ざめもいいところだったが。それこそがかつて書いたように、龍馬の持ち味であり、素直に人の話を受け取り、自分のものにしてしまう能力こそ、7,8という仕上げの段階に役目を持つ人物に不可欠な要素である。
背中に過去出会った人の想いを背負って、今を懸命に思慮深く生き、正面に出会う人に、その想いをまとめ上げて渡してゆく。映画ペイフォワードのようなバトンリレーが見事に描かれていた。


一.天下の政権を朝廷に返還すること
―――――これは木戸さんから教えてもらったこと
…実際は多くの識者が「大政奉還」を大策として描いていたが、誰も実行に移せなかった。殺されるのが怖かったから、とも言えよう。現代にたって果たして、殺されるほどの策を打ち立てた文献はあるのか、あるとしてそれを発表する勇気のある者はいようか。


一.上下2つの議院を作り政を進めていく
―――――これは横井小楠さんから教えてもらったこと
…横井もまた、先走った意見を出し過ぎて暗殺されてしまった。が、二院制議会政治の基本は、今も国会で受け継がれているようである。


一.公卿、諸侯を顧問に備え身分が低くても才のある者は登用すべし
―――――これは吉田東洋様が語られたこと
…仲間(土佐勤皇党)により暗殺されたからといって、意見まで無視しない。果たして嫌いな人の意見は聞かない、となっていないか、自分を見つめたいと思う。


一.異国との約定は対等でなければならない
―――――これは高杉さんが目指したもの
…対等な力を付けてから、開国する。その前に攘夷だ、という想いで二人は一致していた。死後、海援隊の陸奥がその志を受け継いで成就(不平等条約の改正)する。凄いバトンリレーだ。


一.古来の律令を折衷して新たな大典を選定すること
―――――これは土佐の河田小龍先生が言われてたことだ
…この件はわからない。ただ温故知新の願いは読み取れる。過去を全く否定しては、新たな世を築く立法は生まれ得ない。この考えは、明治になってどうなっていったのか。


一.海軍の拡張を行うこと
―――――これは勝麟太郎先生が目指したもの
…さて、この部分。明治日本の基礎となる柱の一つとなるが、龍馬としては侵略されない程度に対等な軍備を得たら、攻める必要はない、との考えだったはずだが。次回ドラマで龍馬の立場が危うくなってくる辺りから、「曲がってしまった明治国家」の匂いがしてくる。


一.親兵でもって、都を守衛すること
―――――これは武市さんの志だ
…この程度の志だと武市さんも可愛そうな気がするが、帝を国家元首とする大日本国帝国憲法へと武市の志は受け継がれたと言えるのか?


一.金銀物価を外国と平均の法を設ける
―――――これは久坂玄瑞さんが言われたこと
…西郷隆盛をして「久坂が生きていたら、わしなど参議などと言ってられなかった」と言わせるほど政治に強かった玄瑞。生きていたら本当に明治の政治はもっと、、、言うまい。龍馬とは萩で会っているから、本当の話か。

実に多くの想いを背中に背負って、活かし、生き抜いた龍馬。果たして自分にそこまで背負えるものがあるのか、子供たちに受け継ぐものがあるのだろうか、と思うと情けなくなった。

最近我が家では、2003年に制作したビジョンヨガ二枚組みCDを聞きながら寝たりしている。そのきっかけが、当時ラジオ番組に私が出演した収録CDを子供が探してきて聞いたことだった。
毎晩聞くものだから、自分の声がうっとうしくて二階にあがったものだが、次男はそれが心地いいらしい。「昔の声と今の声は違う。昔の声のほうが優しい」と。

その番組でパーソナリティーの女性が「証券会社に勤めてらっしゃったんですか?」という下りがあり、長男がすかさず「証券会社って何?」と聞くものだから、どう説明していいかわからず「う〜ん、また今度説明してあげる」と答えた。

その後、悩んでしまった。果たして子供たちに、どんな会社か、どんなことをしてきて、どんな風に世の中に役に立つ仕事なのか、説明しきれるだろうか、と。それより何より、証券会社なる存在を説明する必要があるのか、と思ったのである。
恐らく高校で習うかもしれない、しかし大学を出て社会人になったときに、それがそこ(就職活動中)にあるか、あっていいものなのか、との思いがよぎるからである。

自分がたどってきた過程を否定してはいない、バースビジョン歴に加えられるエピソードもある。しかしそれと子供の人生とは別だ。今、我が子に何を遺し、何を残すべきではないか、模索中である。

もっとも残すべきではないものが大半だが。そのうちの一つが、怒り声だ。次男は鋭い。(ハイ、気をつけます)

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2010年10月27日

[ [ 龍馬伝42「いろは丸事件」

あまりに有名ないろは丸事件。その時代考証は細部に渡っており、今回は正確な史実を基に再現された数少ないものであったと思う。そういう意味では龍馬のバースビジョンを語る上で想像ではなく、解き明かす事のできる出来事だ。
龍馬のバースビジョンのキーワードは「海」。貿易立国を目指す昭和期の日本の花形企業は、総合商社であった。その先駆けとなった龍馬にとって、まさに海は世界をまたにかけて商売する舞台であり、幼き頃より土佐の海岸で、(その向うはどうなっているのかな?)と想いを馳せたであろう環境が原体験となって、実業の道を志した、というバースビジョン・ストーリーになっている。

かくいう私も、大学の就職活動は、商社をメインに選んだ。中央大学経済学部で林ゼミという企業活動を研究するゼミに入っていて、商社班のメンバーだった。ドラマで弥太郎を創業者とする、三菱商事の先輩に訪問したものだ。輝ける三菱の先輩(中大からは年に一人かゼロしか採らない、当時典型的な学閥主義)曰く
「こんな会社やめた方がいいよ、頭のおかしな人が多いから。フロアに一人、いわゆるうつ病の人がいるけど辞めさせられないんだ」なんて希望をくじく言葉が印象的だった。その後別のM商社から過労死認定第一号など記事も出て、今の仕事を始めて、ようやく先輩の言わんとする事がよくわかるのだが。

話は戻して、いろは丸事件の処理能力は、龍馬の真骨頂であった。海で起きた事件を海をバースビジョンの軸にしている龍馬が、簡単に引けるわけにはいかない。次から次へと発想が浮かび、権力にひるまない強さも、海からエネルギーをもらっているようにも感じられる。

紀州藩の見栄、体裁、権威、しきたり、常識、見た目の大小、打算等に対して、
海援隊の仲間の信頼、時勢(移り変わり)、ウソのない志、発光したバースビジョンの力、知恵等の持つパワー。

本来は比べるまでもない差があるのでしょう。真にぶれない軸を有する者が、知恵も人脈も真の力も手にして権威に対峙した時の大逆転も起こり得ると言えよう。出来すぎた話ですが、現実にこの日本で起こった話であり、今の日本の権威で民衆を押さえつける圧力に対しても、打つ手はあるということです。

事件解決当時、龍馬は、交渉に薩摩藩士五代友厚、大阪商工会議所初代会頭になった人物をも味方に引き入れている。武士の時代から商業(あきんど)が力を持つ時代に入る、との読みを持った人物がこぞって龍馬の見方をしたのだ。「金を取らずに、国を取る」という唄が流行ったのも、気流に乗って世論を味方に引き入れる作戦の勝利。

気流の変化を読み取る嗅覚もまた、バースビジョン実現の最大の武器になる。

そのことは、言い過ぎる事のない重要なファクターだ。では、どうやって嗅覚を磨くかということになるが。そのことは折に触れて語ることにしよう。

posted by 大石 at 12:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

龍馬伝41「さらば高杉晋作」A

お龍(りょう)の台詞は志士としての風格そのものだった。龍馬が晋作を偲んで人はなぜ死ぬのか、「天が役割は終わったと、いうたからか」というような事をつぶやいたとき、そうでもないと思います、とお龍は言った。
「志を継ぐ人にとっては、始まりですから」と。こんな粋な台詞を言える女性もまた、志士と言えよう。

バースビジョンノートの中に、志の水準がある。21項目の中には、私たち現代人が到底及びもつかない崇高な志が書かれている。それは、
「自分が死んでも仲間がその志を引き継いでくれると思える」というもの。「晋作はんの想いは龍馬(あなた)に受け継がれたんですよ」、と言って慰めたお龍。まさにこの水準だ。
師、松陰先生が言った
「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし」との死生観を具現化させた晋作。また志士たち。
多くの人の心を捉えて離さない魅力がそこにある。し、また、今の混迷した社会の中で、志とは何か、商売をうまくいかせるための道具なのか、かっこいいからとりあえず掲げていることか、好きなことを始めて自己実現させるためのスローガン程度か、はたまた、痛みの伴う事柄はとりあえず避けておいしいところだけでつながることで志の共有としてしまうのか。

晋作や龍馬の生き様を通じて考えさせられる点は多い。
命を賭して、とまでは行かぬとも、自我レベルのわだかまりを融かさずして、どうして志が実現できよう。桂小五郎は、薩摩と手を結ぶことで長州の大半から裏切り者扱いされ、毎晩家に石をぶつけられたと言うし、龍馬は上士の後藤象二郎と組んだことでかつての郷士仲間から疎んじられ、自分だけ出世しおって!とののしられ大きな顔で帰郷することさえ許されなかった(史実かは不明)。

一つのことをゼロから成し遂げようとすれば、初期の段階では、どうしてもぶつかり合い、自己犠牲、我慢、発想の転換、他人への思いやり、理解、慈愛、共感、といった能力が求められる。そしてうまくいかなかったとき相手を責めることをせず、『人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』(西郷隆盛)の心境に立ち、自分の壁を乗り越え、克己し、事を成して行く。

明治維新とは、つまるところ、心の融和能力が勝る人物たちの大業ではなかったのか、研究するごとにそう思えてならない。融和能力がなければ、薩長同盟〜倒幕・近代国家への道も、土佐藩と海援隊の連携〜三菱商事の誕生もなかった。晋作の偉業は、奇兵隊の創設〜小倉戦争の勝利〜倒幕への一大転機にあるが、それとて武士階級の上層部に位置する晋作が、幼少より骨身に染み込ませた階級意識・優越感を超越し、融和させ、農民たちの心をつかんだ=四民平等への融和を図ったから成し得たことだ。
そこが凄い、凄すぎると思うのである。クエスト5の「融和」を経ずして、クエスト6「風の覇者」にはなれない。幕末の志士らの動き方からそれは立証されたと言えよう。


「さらば高杉晋作」@で疑問にあげた、果たして龍馬は、晋作の遺志を受け継いだのか、は「さらば高杉晋作」Bで答えを出そうと思う。
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2010年10月14日

龍馬伝41「さらば高杉晋作」@

うちの息子二人は、晋作の命日に(ドラマの最後に紹介された)終焉の地で催される会で、晋作が創ったという漢詩に基づく剣舞を披露した。報道陣の前でバッチリ決めて拍手を頂いた。
「内憂外患、我が州に迫る」。(内には20万の幕府軍、外には4カ国連合艦隊の来襲。まさに長州存亡の危機が迫る)。140年経った今、墓碑の前で命日に、そういう心境を謡った詩を詩吟で聞き、息子たちの剣舞で観、晋作の心境が目の前に迫って来るようだった。

高杉晋作のバースビジョンを解明し発表することは、私のすべき役目と考える。
「面白き 事もなき世を 面白く」。晋作の世辞の句はとうとうドラマでは出てこなかったが、その死に際から察する心境を台詞ではなく海岸にひざまづく姿で現そうとしていた。
今にも死ぬという大病人が海へ出れるはずもなく、駕籠につかまり芸子を囲んで騒ごうとしても身動きできず引き返した、という逸話があるくらいだから、龍馬と海岸で語り合ったことも、海へ一人で行ったとも考えられない。心象をイメージで現そうとしたのだろうが、製作側の意図は分からない。単に高杉の取材不足で台詞が浮かばなかったのではとも思われる曖昧さだった。

生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
死して不朽の見込みあれば、いつでも死ぬべし。

この松陰先生の名言は、晋作が手紙で獄中の松陰先生に「男子たるもの死をどう捉えるべきでしょうか」と問うた答えだった。
その言葉を常に身に秘め、(まだ大業の見込みがあるから、ここは生き延びよう)と判断し町人に変装して保守派の弾圧から逃げ出した晋作。今度は、内憂外患を打ち払い、徳川の歴史を転換させる初期転原としての大役を果たした自分にとって、不朽の見込みが立ったという打算はなかろうが、役目を果たし終えた、と判断し、いつでも死ぬ用意ができていたはず。
ならば、死ぬのが悔しくて志半ばの無念さで泣く姿はあり得まい。海岸でひざまずく姿が物語る心境は、まさかとは思うが、意に反して武力倒幕へと進むことになりそうだが、自分はもうそれをとめることができない無念さとか。
NHKがそこまで意図していたとしたら、たいしたものだが、少なくとも視聴者にはそこまでの深読みをさせられるほど分かりやすい描写ではなかったから、それは期待薄か。よって曖昧なエンディングだったと思う次第である。

今回珍しく製作意図に関して解明する記述をしているのはなぜかと言うと、晋作の思想に意外な一面が強調されていたからだ。それは「大政奉還」。
龍馬が後藤を通じて土佐藩を動かし大政奉還を建白する運動を起こしたのはよく知られている話である。(これを史実と断言したくないのも、あまりに出来すぎて、薩長同盟同様龍馬の手柄とする方が都合がよい、という政治的意図があったのではないか、と思われるからであるが、それは置いておく)また反対に龍馬と盟友であったはずの中岡晋太郎は、岩倉具視や薩摩と組んで武力倒幕路線を行くのも有名な話である。桂小五郎も基本路線は、武力倒幕であり薩摩の西郷らと歩調を共にする。

疑問に思うのは晋作が「大政奉還」を強く桂に懇願する場面だ。最後に発した晋作の言葉はこうだ。
「ここまでやったんだ、あとはよろしくやってくれろ。よろしくやってくれろ」。
感情的には、師松陰へのあだ討ちを果たすため、志の上でも、明日の日本を開くためにも倒幕は、絶対に成し遂げてくれ、という意味だ。それは同時に「討幕」でしかなかったのではないか、と思う。

それは、徳川慶喜が原因だ。
小倉戦争で幕府が負けた時点で、覚悟を決め後継者を決めぬまま切腹して果て、ルールに則りお家断絶、徳川の時代に自ら幕を引けば、あっぱれ。戊辰戦争から彰義隊、会津・函館戦まで血を流さずに済んだはずだし、死して不朽の人になれたはず。晋作も桂もそんな大人物とは見なさず、権威に執着するに違いない、抵抗してくるに違いない、と見限っていたので、討幕やむなしと判断していたはずだ。
また私が10数冊の晋作関係の本を読んでも、晋作が大政奉還を藩主に建白した形跡は一切ない。藩を救った大物だから晋作が献言すれば、「そうせい」となったに違いないのだ。しかし長州が藩論を大政奉還に持っていった史実は一切ない。
大河ドラマだけが晋作を龍馬と共に、大政奉還による討幕ならぬ倒幕に持っていった、龍馬が晋作のそれを引き継いだ、という「脚本」になっている、ここに何か意図を感じてならないのだ。

続きは、Aで現すとしよう。





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2010年10月05日

龍馬伝40「清風亭の対決」

前回晋作が「初期転原」となった事を伝えました。このキーワードをテーマに語りましょう。今回は自身のバースビジョンを知る上で欠かせない取って置きの秘話を扱います。
物事が立ち上がり、事が成すまでの展開は、その事が大きな課題であるほど多くの人の力を経て成し遂げられます。ゼロから一までのエネルギーが一番労多く実り少ない時期です。

成すという数字が仮りに〔7〕とすれば、龍馬の位置は、6か7、限りなく完成段階に近い。西南戦争を経てようやく明治の世が安定化した。よって、8,9,10は、明治維新が成った後の10年と言えましょう。では、維新の第一段階はどの時代の誰が始まりか、というと諸説ありますが、私は「大塩平八郎の乱」が原点ではないかと思う。
江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂(現大阪市)で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱。直ぐに鎮圧され自刃したが、腐敗した政治を正そうと命がけで行動した事件は、太平に慣れた世の人々に少なからぬ衝撃を与えた。
この「知行合一」精神を旨とする陽明学者の思想を引き継いだのが、佐久間象山であり吉田松陰先生である。この時点ではまだ、倒幕も討幕も実を結ばず、朝廷と幕府は手を取り合い諸外国に立ち向かうという「公武合体」が主流で、薩摩もそれに乗り、幕府に篤姫を送り込んだ事は、前回の大河ドラマでご存知の通り。薩摩や土佐は動向を見ながら、右や左に揺らぎながら時局を泳いでいったわけだ。
しかし長州では、一時的に「航海遠略策」というまやかしの公武合体論が出たが、松陰先生の教えを一貫して守る晋作たちが、その過ちに気づき藩論を直ぐに攘夷開国へと転じる。情報操作を見抜く眼力を鍛える事は、現代人にも不可欠な能力といえよう。
ここで攘夷開国と言うのは、ごく一部の松門に限った認識であり、長州と言えども大半は攘夷一色であった。当時、天皇を重んじる尊王と夷敵を打ち払えという攘夷が結びついて、「尊王攘夷」という考え方と、幕府を助けて開国を目指す、という「佐幕開国」の二種類しかなかった。ところが上海の惨状を見た晋作は、開国して西洋技術を取り入れないと日本は侵略される、という危機意識を持ち、開国を持論とする。ところがただ闇雲に港を開いても、経済的・文化的に侵略され植民地となるだけだから、日本人の矜持を見せ付けてから(つまり戦い)、その後に対等な形で開国し貿易をせねばならない、と考えて、攘夷開国という概念を生み出した。師松陰先生の実学の凄さがそこに現れている。

長州藩の凄さは、若干28歳そこそこの若造の意見を政治に取り入れ、藩を動かす力としてしまうことだ。大金を使い5人の若者を英国に学ばせるとか、武士階級の特権を奪いかねない奇兵隊の創立を認めるとか、極めて柔軟な意思決定力には目を見張るものがある。封建社会の建前を自ら否定する発想の柔軟さは、変革しようとする社会に先駆ける人たちにとっては、必須の条件である。
さて、大塩平八郎の乱〜ペリー来航でゼロ〜〔1〕、安政の大獄で松陰先生処刑、攘夷派が一つになるまでを〔3〕とし、桜田門外の変で井伊政権崩壊を〔4〕としよう。続く攘夷決行で〔5〕、8・18の政変から薩長同盟で〔6〕、禁門の変をはさんで長州征伐と小倉戦争の勝利で〔7〕。

ざっと維新の転換点をこう見ていくと、もうドラマも峠を越したことが分かる。ここで言いたいことはいくつかあるが、バースビジョンの成就に必要なのは、

1.がまん。
時勢を読み、己が関わる時期と場所を見極めること。(第38回「霧島の誓い」での龍馬がそう。一仕事した後は、一旦身を引き、休養を取り、時局を見定め己の成すべき事を見定めようとしていた。)

2.天分。
一人で全部を行うのではなく、大きな河の流れ〔大局〕の中で自己を捉えること。(上記の倒幕への歴史は、個々にしてみれば小さいものだし、一見失敗したかに見えるものも多いが、後世の眼から見れば、明らかに関係しているのが分かる。)

3.処世。
仮に見ず知らずの人との間でも関わりあい、関連性をつかみ、歴史の流れの中に身を置き、処すべきポイントを見定めて行動すること。〔龍馬や晋作の行動を見れば分かるように、逃げたり隠れたり、打って出るべきではないときはさっと引く術を身につけている。また常に時代の流れに関して、本物のナマの情報を入手する努力を惜しまない〕

この3つが挙げられよう。
とするなばら、目先の損得や、当面の結果に一喜一憂することなく、常に大局に身を置きながらバースビジョンを模索できる。
晋作が三味線を戦場に持ち歩いたというのは本当らしいが、それこそ大局を知り〔相手は大軍だろうと本気ではない、と知っていた〕、戦局を知り〔漁師にあらかじめ門司側に潜伏させ、敵の動向を逐一報告させていた〕、民の鬱積を理解し〔幕府の後ろ盾がなくても独立できると確信していた〕、根拠のある自信から来る表れだろう。

龍馬のほうはと言えば、まるで薩長同盟や大政奉還が一人の手で成されたように描かれているので、ドラマの解説はしまい。何故そこに勝海舟らの入れ知恵や中岡慎太郎の実行力がもっと描かれないのか、と思うが致し方ない。敵(かたき)であった後藤象二郎と手を組んだことによって、土佐の郷士からも疎まれることになったのだから、その孤独感たるやいささかなものがあったであろうか、崇高な理念の持ち主であったことは間違いない。
(前回は、39回でしたね、すいません。)
posted by 大石 at 14:27| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

龍馬伝38「馬関の奇跡」

馬の関、と書いて馬関。かつては赤間が関とも言った、私の住む町、下関。なぜ東京もんの自分が大阪滞在(半年)、福岡在住(6年間)を経て、下関に住み着いたのか今でも不思議である。確かに都会から田舎暮らしに徐々に移行しようと決めたのは確かだが、予定では今頃阿蘇に移り住んでいるはずだった。
今ビジョンヨガでは、「ビジョンってどういう意味?」という議論がなされている。私の経験では、確かにビジョンを描けば実現する、という現実を経ているが、あるときから描いたとおりに(つまりビジョンの通りに)進んでいない、むしろ予想もしない展開に自らがついて行っている状況を迎えた。そしてその新たな流れが、決して流されているのではなく、「気づかなかった本流」へと近づいているような気がするから不思議だ。

ということは、ビジョンとは目標や願望や計画などの類いと違って、それもありだろうが必ずしも描くものではなく、既にあるもの、思い出すもの、記憶をたどるもの、そんなイメージが本来のあり方だということだ。人の数だけバースビジョンがある、それらの織り成す世界もまた無意識のうちに醸成され、大いなる意思と結合し、やがて成就する。
さて、下関で展開される偉人たちのバースビジョンがどう成就されようとするか、見ていくことにしよう。今のところ、私が下関に来た目的は、高杉晋作の生き様に触れるためであった、と言えるのだから。

●龍馬伝38「馬関の奇跡」

晋作曰く、
「百万の大軍、恐るるに足らず。恐れるべきは、我ら弱き民、一人ひとりの心なり」。

奇兵隊の隊規に実際に記されたものです。加えて「むやみに田畑を荒らすべからず」「金品を要求してはならない」など民を慕う心得を記したものもあります。奇兵隊を作った晋作が考案したものとされますが、動けば雷電の如くと恐れられた晋作の繊細な一面を感じさせます。
長州を割拠(独立国家にすること)するため馬関を開港しようとして、開国派と思われ攘夷派に狙われ、井戸の中に一日潜伏したり、幕府側(佐幕派)だけではなく見方にも暗殺されそうになった晋作は、常に孤独の中にいました。

ドラマ中出てくる小唄「俺とおまえは焼き山かづら、表が切れても根は切れぬ〜」のおまえとは、萩の俗論党打倒に立ち上がらない山県有朋を表したものです。晋作は見方にも裏切られ親も捨て子を捨て、不忠と罵られようと萩本藩に本当に打ち込みに行こうとし、一人で立ち、功山寺で78人の同志が集まり決起し、軍艦を奪い取った段階でようやく山県が重い腰を上げ、長州中の商人町人が同調し、クーデターを成功させ、藩論を「武備恭順」(幕府に逆らうこと)に統一させた。
その後ご覧の通り、四境戦争(小倉口など)で幕府に勝利し、大藩薩摩をその気にさせ倒幕の気運を高め、土佐が同調し、肥後(佐賀)が相乗りした。西国の雄藩が連合したのだから後は雪崩を打って、東へ進むだけとなった。全ては晋作一人の決起から始まった回天義挙なのです。

明治維新はこうして下関(馬関)から始まったと言って過言ではありません。その元となるのは松陰先生の「草莽崛起」(そうもうくっき)思想であり、松下村塾が母胎であったことから、萩を「明治維新胎動の地」、下関は「維新発祥の地」と言われています。

ビジョンヨガは、マタニティヨガを重視し好評を博していますが、まさに胎動の時(母胎にあるとき)にどのような環境にあるかが、後々の人生の大きな原点となる、という考え方から来ています。
まさに三つ子の魂百まで、ということわざ通り、3歳までの生育がその後成人してからの人格や個性の形成に大きく影響しているのです。
そういう意味では、近代日本を語る上で、日本の思想的母胎であった松陰の教えがいかなるものであったか、またその思想や国家形成理論を忠実に再現した行動を取ったその後の晋作を始めとする明治維新への立役者の行動原理を学ぶことは、現代の問題を解決する鍵を握っていると言えましょう。

例えば、今回の「百万の大軍を恐れず、弱き民を恐れよ」とは、今の政治に当てはめてみれば、全く逆のことをやっています。大軍を持つ米国の顔色ばかり伺って、一般大衆をメディア戦略で騙してばかりいる、と言う具合に。松陰先生は、権力者のそうした情報操作を研究しつくし、京や江戸に使者を飛ばし「飛耳長目」の名の下に、情報収集に努めたり、名もなき民衆の力を集めて武装蜂起せよ、と草莽崛起論を展開した結果、晋作の手によって奇兵隊が誕生しました。
晋作は、まぎれもなく維新の初期転源です。

「侍だけでは、世の中は変わらない」「わし等の力で世の中を変えるんだ!」「子供たちの未来のために」と、草莽の志士たち(つまり農民等)が立ち上がった結果、今の日本があると言うことを忘れてはいけません。単なる百姓一揆ではなく、草莽の力が一つになったのは、日本いや世界の歴史の中で長州だけかと思われます。その力の根源となったのが、松陰の思想ー晋作の行動ー大村益次郎の仕上げ、という系譜なのです。
こうした気概を持って私たちも、世の中を変えていかねばなりません。

龍馬が長州藩の殿様に拝謁したのは史実ですので、馬関戦争では功績を挙げたものと思われます。
しかし役割としては、人と人との接着材として、あるいは思想と思想のまとめ役として多大な功績を残したものと考えます。晋作同様、あちこちからうらまれることになるわけで、同様の孤独感があっただろうことは想像できます。

バースビジョンの成就にあたり、世の中を変える使命を持った人の役割を果たす過程で、避けて通れないものが「孤独感」だと言えなくありません。

posted by 大石 at 16:37| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

龍馬伝27「龍馬の大芝居」

龍馬という歴史上の人物をバースビジョン的にみると、実に多くのポイントが映し出され、人が人生の目的に目覚めてゆくとはどういうことか、現代人にもわかりやすく気づかせてくれる。
どんなことに気をつけるとバースビジョンを見出しやすいのか、どういう時にどんな行動をすると波に乗ってゆけるのか、見失いそうになったらどうするか、というポイントが大河ドラマを見ながらでも視点は豊富にある。
窮地に立たされた時に取る行動は、決まって地が出る。つまりその人らしさがくっきり行動に現れ出る。そういう時の無意識的行動こそ、魂と直結した部分が、潜在意識から表に現れる時だ。史実とは全く無関係と思われる土佐帰りの様子は、ドラマ上の演出でしか過ぎないが、ケースワークとしては、人物像をくっきり表わしていて面白い。
龍馬にとって軸になる行動規範は「ともだち」なのだ。大義よりも友達の窮地を救う性を持っている、それが今回はっきり表れていた。
友達の窮地を救うという発想と、日本の窮地を救うという発想が、見事にリンクしていて、神経細胞のすみずみまで自動反応として沸き起こるのだろう。そういうバースビジョンをわかりやすく(このドラマでは)演じている。
土佐(高知)には、自由民権運動が盛んに起こる土地柄なのだが、龍馬が火をつけたというより国の体制に反する風土(土壌)があると言える。バースビジョンに気づくためには、どうしてもこの土壌という潜在要素と切って考えることはできない。切って自分の個性としてのみ見ることができないけれども、かといって潜在する土壌の個性まで読み切ることは難しい。
だから無意識的行動の中に、土壌に育まれた自分らしい生き方や判断の仕方が現れるのだろう。それをできるだけ表層で意識できれば、土地のエネルギーや出会った人の力を受けて躍動できる。
龍馬は、脱藩はしても土佐本来の自由で開放的で権力におもねらない風土をしっかり根付かせていると言えよう。相手の肩書がどうであれ、心にスッと入ってゆけるのも、不可能の壁をまっすぐ通り抜けていこうとするセンスも、

友達を救うために生まれてきた、という根っこにある人生理念

があればこそ、脱藩したから国元へは帰れない、という既成観念の枠などものともしない自由闊達な行動規範が得られた、と見ることができよう。

posted by 大石 at 12:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

龍馬伝26「西郷吉之助」

いよいよ大御所の登場で歴史は急転回します。加速度を増して明治維新への序曲へ入ります。まだ表面的には幕府(あるいは幕府に付く土佐藩)は権威を保っているかに見えますし、実際のところ倒幕派(長州)も海軍派(?龍馬ら)も土佐郷士(武市)も、260年続いた権威・権力の前では手も足も出ません。

が、前回述べたように長州は大底です。いや底から一歩浮上したと言えるのです。その証しが薩摩軍の長州征伐撤退。ドラマでもそのターニングポイントは描かれていましたが、龍馬が頼んだから征伐を辞退したのではなく、大西郷をして時勢がそう判断させたのです。

薩摩を一番に重んじる西郷の腹の中は、決して黒いわけではなく高度なバランス感覚と藩政の舵取りによって、時勢を読んだ結果であり、あくまで幕府と共に生きようとする会津や新撰組、徳川への恩義にのみ生きる土佐の容堂と根本的に異なるところです。

何が真の大義で、何が不義・不忠か、という視点は、幕末に生きる武士たち、そして藩にとって生死を分ける難題だったが、どちらにも義がある、どちらも正しい道と思いたくなる思想的混乱期において、理路整然と大局方針を打ち出し、絶対的な至誠を貫き指導した人物こそ、吉田松陰先生である。

松陰先生は、つまるところ、長い間天皇を頂点(国家の象徴)とする国体を保持してきた日本のあり方を、源頼朝が鎌倉幕府を開くことで天皇から統治の主権を奪い、それが嵩じて江戸幕府は、何を血迷ったのか、天皇の裁断も得ず、開国してしまった、これは西欧の侵略の前触れだ、だから幕府を正さねばならない、正せねば倒さねばならない、朝廷も長州藩も当てにならなければ、私一人でやる、草莽の力で本来の日本に戻す。
そういう筋道で国のあり方と道筋を指し示し、その論理性と情熱で長州が大攘夷を実現する礎(いしずえ)となったのです。
だから桂にも揺るぎがない、松陰の直弟子、長州の久坂玄瑞に多大な影響を受けた武市も揺るぎがない。そこには国を辱めることになる方向に向かおうとする幕府に追従する土佐藩では土佐が世間の笑いものになる、という意味で、「大殿様の恩ため・・に」を武市は繰り返す。

武市は殿を妄信しているようでいて、実はその先の日本にとって取るべき道を説いただけで、その軸に生きた以蔵を裏切り者ではなく志士として本懐を遂げさせようと、毒饅頭で殺害しようとした。その心を悟った
弥太郎の父は、立派な武士であり、差し入れを怖がった弥太郎は、既に武士ではなくなった。差し入れて楽にさせるは武士の情けであったはず。

武士の魂を捨てた弥太郎が三菱を興して、自己の利益のために政商となり軍国主義をあおり、産業立国・経済大国、米国偏重、果てはエコノミック・アニマル、環境破壊、精神崩壊を招いたという筋として、歴史を見るべき時期に来ている。
また龍馬のような優柔不断の態度は、バースビジョンに軸がないから起こる心の迷いである。これだけ恵まれた環境にありながら、今だ自身の心に揺るぎない軸を持たない、だから、西郷の誘い(薩摩に匿われ、軍艦の操縦法を薩摩人に教える)に素直に乗れず、ただただ戦争を起こした薩摩のお世話になどなりたくない、という私情だけで、迷ってしまう。
結局路頭に迷う仲間のためにしぶしぶ頭を下げる場面が目に浮かぶが、なぜあそこで、国家のためには、自分たちの力を薩摩の力を借りて大いに振るうときが来た、と判断できないのか、まだまだ(ドラマの中で見る限り)自分たちのユニークなバースビジョンが見えていない、という側面が感じられる。
幕臣勝の権威に頼った生き方ではなく、航海術にせよ、己の腕で天職を生き抜く道を開始するべきなのであるが、多くはそれに気が付いていない。大底は、買い場なんだということに。「自分たちは高く売れるんだ、誇りを持って薩摩に高く売ってやれ」という気概が。少なくとも今回の龍馬には微塵も感じられなかった。

それでも時代の流れに揉みこまれるように、渦の中心へといやがおうにも導かれる。それがバースビジョンにスイッチが入った人物の道である。
それを意識しまいと、好ましく思わないであろうと、避けることは出来ない。ならば自らの無意識が選んだ潮流に飛び乗った方が賢明というべきだ。
龍馬にとっては、薩摩で新婚旅行というストーリーまで組み込まれているのだから。何を躊躇する必要があろうか、というものだ。
posted by 大石 at 16:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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