2010年12月30日

アドレス変更のお知らせ&2011年事上げ。

ある方のブログにお返事した内容です。バースビジョン・ノート(ビジネス社刊)は、いわば、「記憶喪失回復装置」です。人は皆、生まれたときには人生の設計図を持って生まれてくる、これは一つの考え方ではなく、現実です。ほら、出会うべくして出会ったとか、面白いように物事が上手く展開する、という時が誰でも、あるでしょう。
そうした時は、バースビジョンに同調(チューニング)しているときで、気分がよく何でも実現できそうな気になってくる。
専門的には、体内時計が正常に機能している時と言えます。
もっと専門的には「不調やトラブル時にさえ、人間誰もが持っているホメオスタシス機能を呼び覚ませば、元の調和した状態に最適化する」という働きが、バースビジョンの本来の力です。

ですから、あまり過去を思い出そうと、意識を飛ばさないほうがいいですね。むしろ今のカラダの感覚に意識を向けて、カラダの声を聞くと、バースビジョンへのアクセス回路が開き、自然と自分が何をするために生まれてきたのか、という答えを得るルートへとたどり着きます。

バースビジョンの冒険は、ときにダイナミックでエキサイティングです!
ビジョンヨガは、その過程を安全に快適に推し進めてくれるツールなのです。

この投稿を受け取った大阪の方は、その後教室に通ってくれたでしょうか。今年は関西で3回、信州で2回ビジョンヨガを行いました。来年は機会も増えそうです。お会いできると良いですね。さて、

Eメールアドレスを変更しました。お手数ですがお手持ちのアドレス帳をお書き換え下さい。以前のcreaor@…は、しばらくの間の残しますが、実は数ヶ月前から受信出来ていません。PCトラブルですがパスワードを紛失していてアドレスもないため、ブログにて連絡しています。新しいアドレスは、
birth-vision@sky.megaeg.ne.jp
バースビジョン・スカイ。〜天空に輝く一点の光源、青い空を見上げれば出会えるマイ・バースビジョン。なんて感じです。

これを期に色々動き出そうと思っています。さしあたっての事上げは、新しいホームページを立ち上げる、です。1994年に最終更新して以来10年以上放置していたビジョンリーディングの新サイト立ち上げを含む、新事業プランを開示します。
私の中にある空想世界をぶちまける壮大なページ群も順次公開していくでしょう。予算も膨大になるので、いつとは約束できませんが、地球ビジョン(地球の天命とも言う)もそろそろ遺しておかないと、と思いますので。
1992年にビジョンリーディングを開始して早、18年。予定ではあと2年で地球は新しい星に生まれ変わり、日本から新文明創造の息吹があちこちで芽生え始めているはずでしたが、なかなか思う世になりません。不徳の致す限りです。

ですが、来年の年間テーマは、《温故知新》。ー古きをたずね、新しきを知る。

この2年で、どれだけ変化するか分かりません。希望は失ってはならないし、打つ手はある。
焦らず原点に帰ることです。私の場合、ビジョンリーディングからバースビジョン発見の旅は始まった。その原点に帰ろう。「その世界」を一般に現そう。真の姿を衆知にさらそう。自分の子供が父親の職業を聞かれて、
「うちのお父さんは、ビジョンリーディングを仕事にしています!人のバースビジョンを読み取って天職を見つけるんだ、どうだすごいだろう!」と誇りを持って言い切れるように。
タッチセラピーの講座では、「私にとってはリーディングなど、科学に過ぎない。科学である以上、誰でも出来るし、教える講座は既に開発している」と伝えた。身体科学の学問領域には、リーディング科があってもいい。波長翻訳業なる領域が、職業ジャンルに掲載される時代を切り開くのもいい。
全ては、私の腹ひとつだ、ということになる。(のかな、やっぱり。。避けて通れないのかな。)

手波法普及の封印を解いた方が、天に帰ると思ったら、今度は、リーディングを世に広めて欲しい、教えて欲しい、という子が現れた。(そうは言っていないが、そう聞こえた)やれやれ、奥の院の蓋が開いてしまった。来年は忙しくなりそうだ。ふって来たいたきも”からは、逃げないぞー。
ともあれ、手波法のスクール体系からお入り下さい。全てはそこからです。千里の道もいたきもから。
つまりビジョンヨガから。次に手波法。神経網の再構築を経て、ことたま鑑定で言語化能力を磨いてっと。裏口入学は出来ません。(笑)

バースビジョンの学校を興し、300万人にのぼる事が予想される天職発見・創造への移行期に、その受け皿を作らないとならない。
posted by 大石 at 02:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

西国照国プロジェクト発信?or保留?

温故知新という2011年テーマは、凄まじい起爆スイッチだ。試しに唱えて欲しい。「私にとっての温故知新って何だろう?古きを訪ね、あたらしきを知る、温故知新…」と。過去にさかのぼって自分を思い出し、来年の自分を重ね合わせてみる。すると、そのパスワードの威力を思い知るだろう。
人によっては発病・発熱する=変革の下準備。人によっては懐かしき人に出会う=2011年人脈が激変する兆し。人によってはやりたいことが溢れてしまう=収拾がつかないほどライフワークが多様化する兆し。人によっては夢に何度も過去が現れる=お告げ・メッセージか?

私の場合は、・・・ちょっとまだ言えない。タイトルから察していただくのみとします。なら何故記事にしたのか?自分でもわからない。いや知っている、発信か保留か、自我を超えて天に判断して貰うため。天とは何か。それはあまたの人々の天命を司っているオーガナイザー。それって誰?魂の集合体。集合意識。ラ・ソフィア。ふ〜ん、スピリチャルな世界の話ね。いや違う。精神世界の話ではない。科学の世界。科学?そう、科学。科学的知識で解き明かすことの出来る地球の知恵。地球の知恵?そう、地球の知恵。もうじき《身体科学》と呼ばれるようになる学問。

身体科学?そう、身体科学。
その学問領域には、触覚開発科が柱になっている。触覚開発科?なにそれ?触育法の普及により神経網の再構築が行われると、皮膚センサーが覚醒し、他の人や生命との知的交流が生まれ、バースビジョンに沿った出会いや交流が次々と起こる。各人のバースビジョン進行プロセスを解析すると未来予知も可能になり、最適・最短で昔の人々が奇跡と言う言葉でしか表せなかった現実を引き起こせる。

未来予知?そう。未来予知。それは科学の領域になり、新産業創造はまず初めに亜空間領域で熟成され、天職開発プロジェクトによって適正人材へと割り振られ、引き寄せあい、直感型シンクタンクとでも言うような調整機関が、大量のリストラ人材があふれ出しても、その暴発するエネルギーを吸収するような装置となる。天職斡旋コーディネーターも既に配置され準備プログラムに入った。
それら一連のバースビジョン創造型社会の実現へのソフトランディング(軟着陸)は、触育法の普及以外道はない。

で、一体あんた何者?井戸仙人。はあ?だから井戸仙人。時空を超えて現れる、げろっ。(注釈:蛙の鳴き声・詳しくはことだまHP参照)海から蒸発した水滴が雨雲になり、雨になり山をつたり、地下水となり、やがて湧き水となって命を育む。いつもはその中にひっそりと暮らしている者。水は世界中を巡っている。大気中にも循環する。だから水の記憶を辿れば世界で起きているあらゆることを知れる。???。だから井戸仙人。理科の時間に習う常識。

大気循環。その科学に記憶と情報という概念を融合したのが、身体科学。体内にも水が流れておりその体液も元々大気だった、その記憶を辿れば知りたい情報に出会える。???。思考や大脳で理解しようとしても身体科学は解明できない。触覚という五感を磨かないと理解すら出来ない。加えて嗅覚を発達させるとバランスよく覚醒する。人の嘘など匂いで分かる、五感ではない、超感覚だ。バースビジョンのリーディングなどその応用に過ぎない科学だ。

21世紀は視聴覚の時代ではない。嗅触覚の時代だ。

触育法の普及は、ビジョンヨガから始まる。ハートポイントヒーリング、あうあう・・どれだけ失われがちな胸腺感覚を開くか分からない。どれだけ能力開発の基礎になるか、計り知れない。手波法のきのこで、うるおいで、どれだけ神経網の再構築になるか。全ては身体科学・未来予知・天職創造・急激な社会変革でも円滑に移行する大調和への道。2013年へのゲートウェイ。

それにはどうしても西国の力が必要だ。琉球からの風を運び時代の変革に相応しいエネルギーを伴い東へ進む原動力が。歴史の扉を開けるには、古の日本が常にそうであったように、西から変革が起こる。温故知新。パスワードを唱えて、待機していて欲しい。まもなく新しいメールアドレスをこの場で公開します。その後、新しいホームページを立ち上げる。そこで可能な限り公開します。何を?バースビジョン創造型社会の実現へのソフトランディングプランを。

西国照国プロジェクトは発信か保留か、それは、貴方が決めて下さい。



posted by 大石 at 03:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

温故知新と真砂コンサート成功

大阪と徳島で真砂さんのコンサートが大成功したという。大変おめでたい話だ。スタッフの皆さんには心から労いたいと思う。特に初の主催をした阿波風の国プロジェクトのビジョンヨガ・メンバーは、相当な気苦労があったに違いない。70名という集客もすごい努力とマグネタイズの成果だと感心するが、そこへ至る気配りがよかったのだと知った。
10年来の友人である真砂さんと、コンサートの成功を祝して昨晩電話をした。すると、
「阿波のメンバーには大変感謝をしています。いきたいところ(神社)に連れて行ってくれたり、食事も良い場所を選んでくれたり、気配りが嬉しかった。
会場の場も気が良くて、おかげでコンサートも気持ちよくできた。すごくよくしてくれた」と、しきりに誉めていただいた。

大阪から駆けつけて参加した有美さんが「んもう、さっいこう(最高)だった!!」と興奮している波動からして(ほとんど鳴動状態で最高を連発、笑)、かつてないクオリティのライブだったことは間違いない、と悟った。
が、それも主催者とアーティストの心が一つになり、場作りがうまくいったからだと思う。ビジョンヨガ教室を行う際にもっとも大事にしている場作りのノウハウは、ライブ空間作りにも活かせている。すばらしい。
その場作りはエネルギー的な空間作りに加えて、スタッフのそれぞれが準備や当日の分担など役目を果たしプロフェッショナルなスタッフ集団と化した成果なのだろうと思う。その実務的な処理能力は、苦手な人も多いのがインストラクターというものだが、50人から集まる認定会(インストラクター研修)をきちんと成功させる運営ノウハウが、こういう時に力を発揮したと検証したようなものだ。
苦手な会計や時間管理などを突然頼まれても、「え?は、はい」という具合に素直に受け取り、こなしていく習慣がなされていたがゆえに、突発的なことが起こりやすいコンサートの運営を、初めてチャレンジしても、応用が利いたものと思う。きちんとこなしてくれるからライブを演じる人は安心感を覚え、演奏に集中できるのだ。
ビジョンヨガの活動や運営お手伝いの中で培われた能力は、間違いなく、〜人を感動させる演出ノウハウ〜として役に立つ。

そして、、、阿波。

阿波の地とは、平安の京から淡路島を通り、阿波に向かう目的地だった。
「あ」と「わ」。始まりと終わりを表す地名にはどんな意味が封印されているのだろうか。

阿波の地でライブを行うのは、真砂さんにとって初めての体験だった。CDを制作販売している自身のレーベル、その名はAWA。つまり阿波でもある。にもかかわらず数十年間、「徳島でやりたい〜。大石さん企画して〜」と言われてきたし、真砂さん自身チャンスを伺ってきたが一度もその機会がなかった。それを、ビジョンヨガ阿波・風の国プロジェクトがやってのけてしまった。

風プロに偉大な功績が刻まれた、と言えるのだ。

真砂さん自身「大石さんが初めて大阪で呼んでくれて、5年目で(やっと)徳島でやれた。(原点を思い出して)、御礼が言いたくて。一巡したんだな、と」。しみじみ語っておられました。温故知新のテーマはビジョンヨガだけではなく、感性の高い人なら、分かる。真砂さんも「振り返るとき」、という時代の潮流を読み取っていた。

私は感謝されるようなことをしたわけではなく、今だから言えるが、ノウハウなどなく思いだけで呼んでしまい1回目は大赤字で確か30万くらいかぶった記憶がある。立派なのはその後引き継いだ原聡美さんだ。毎回きっちり集客し、大変喜ばれ、今年はCDを100枚完売したとかで、いかに素敵な空間を演出したかが目に浮かぶようだ。
チケットの販売に関しては、ノルマ意識や赤字ラインを意識しすぎて、思考が働きどうしても感覚で楽しめないところである。が、しかしビジョンヨガ・インストラクターは、「好きを極める」コツを心得ている。
私のビジョンヨガスペシャル@相生で今回浮かんだフレーズだが、好きを極めるには、《呼吸力》が大事。苦手なことをするときや、緊張する場面で息を吐く。ビジョンヨガのポーズの一つ一つは、そうした「いたきも」に遭遇した際、いざと言うときのためのトレーニングなのです、と。

だからチケット販売のいたきもにも、お産のいたきもにも、恋愛のいたきもにもどこにでも使えるわけですね。
いたきもに向かって息を吐く。呼吸力こそ、あらゆる成功の鍵である、ということを、二つのコンサートの大成功を通じて、呼吸力の達人であるビジョンヨガインストラクターたちは立証してくれました。

おめでとう!そしてご苦労様。
たっぷりご褒美を。


posted by 大石 at 19:06| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

龍馬伝48「龍の魂」最終回に見る晋作の夢とは?

バースビジョンのクエスト5の「融和」を経ずして、クエスト6「風の覇者」にはなれない。とは恨みからは何も生まれない。と信じて逝った龍馬の台詞そのものだ。
 龍馬「お龍。人はどうして死んでしまうがじゃろか。天がお前の役目はもう終わったと思われるからじゃろか」
 お龍「そうかもしれませんね。そやかて、人の死というものは、死んだら終わりだけではないと思います。その人の役目を、志を受け継ぐ者にとっては始まりどすさかい」(龍馬伝41「さらば高杉晋作」)
「志を継ぐ人にとっては、始まりですから」の台詞はそっくりそのまま伴侶の死にも当てはまる。龍馬の死が次に継ぐ者に受け継がれて行ったわけだから。弥太郎との接点は物理的には長崎でのごくわずかな期間だが、理念的には現代まで続いた「貿易立国」の黎明期をもたらした点で理念空間距離は極めて近い。
 龍馬「高杉さんの作った奇兵隊には身分の差はなかった。侍も百姓も一つになって自分の国を守ろうとしちょった。これが新しい日本の形じゃと、わしは確信したがぜよ」
とあるように、四民平等に通じるフラット社会を志した奇兵隊創設者高杉と、上士、下士の別のない世の中を作ろうとした龍馬とは、実際に会った日数が多くなくとも、理念空間距離では近い存在だといえよう。

このようにバースビジョンで繋がった間柄というのは、離れていても物理的距離を問題とせず、たとえ死んで会えなくとも意識空間では、理念性で繋がっている間柄を指す。
そういう意味では、幕末の志士の研究をするということは、日本の取るべき理念や方向性を共有しエネルギーや知恵を得ることに通じる。

果たして龍馬は、晋作の遺志を受け継いだのか、は「さらば高杉晋作」Bで答えを出そうと思う。と言ったことに言及しよう。高杉晋作が目指した日本は、思うに、一人一人が自由に伸び伸びと暮らせる社会の実現だったかと思う。
大政奉還を支持したというより、天皇を中心に国がひとつにまとまれば、諸外国の脅威から皇国日本が護られ日本人は、その独自の文化と自然風土を育み伸び伸びできると。だからもし徳川が大政奉還は名ばかりだということが判明したら、単身で慶喜を斬りに行っただろうと思う。晋作とはそういう男だ。龍馬も同様に、大政奉還を決断しなければ、斬るつもりだったという。(あるいは後藤にそうした覚悟を促した)

要は、新しいことを成すにあたり、覚悟がどれだけできているか、という点で、現代人とは比べ物にならないほど肝が据わっているということは、学ばねばなるまい。背骨の軸が出来ていて、それでいて争いを好まない母性を育んでもいた。そこが正座文化を基調とする日本独自の腰椎4番に重きを置いた生活様式の結果であると分析する。

死ぬ覚悟と融和する母性性。

一見激しさと優しさという二つの矛盾した個性を見ることが出来るが、本質的には両面を持たないならば成立しない言葉なのではないかと思う。ぬるま湯の様な母性は、真の母性ではない、と。
死ぬ覚悟のない平和などありえないと。

日本の取るべき大局策は?答えは、晋作の思想と行動美学の中にあるように思う。
との壮大なテーマを掲げてしまったが、龍馬と晋作の精神には、死ぬ覚悟と融和する母性性の両面が確立されていた、という点で共通している。その両面を統合し復活させることが日本の取るべき道である、と結論付けたい。(一応、ここでは)
龍馬の死後、山岡鉄州により、かろうじて江戸城無血開城し、死ぬ覚悟と母性性の共存された日本人らしい個性が発揮されたが、それ以外は、二人の理念が十分に発揮されたかどうかは疑わしい。

死ぬ覚悟ばかり強調され富国強兵に走り、思いやりや優しさを尊重してきた美徳が損なわれ始め、狂気の昭和に突入し、終戦により、背骨を砕かれ、死ぬ覚悟は犯罪であるかのように叩かれ、結果、ぬるま湯のような母性だけが残り、今日の精神の荒廃、過保護な子育て、過剰な福祉、依存性の高い国民性を増長されてきたのだと分析する。

今後折りに触れて、晋作が現代を見たら、どう思うか、どういう策を講じるだろうか、空想して見たいと思う。そしてこの場で晋作のメッセージを流してみたい。



posted by 大石 at 12:09| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月08日

龍馬伝48「龍の魂」 薩摩が斬る?龍馬の描いた未来

真の武士道とは何か、己の心に忠義を尽くす道である。故に誰に命令されずとも己の生きる道を模索し、貫くことである。己の道を貫くとは何か、それは、一言で言えば、バースビジョンを実現する道を究めるということだ。武士道の中にバースビジョン発見の鍵がある。
薩摩の取った行動から龍馬観を紐解く。というテーマの今回。幕末維新は、地球文明創造への原型、と前回書いたが、まずは龍馬の暗殺犯に言及してみよう。明治は成ったが、その成り方と龍馬暗殺が無関係ではないと思われるからだ。ドラマでは結局見廻組・今井信郎が役者名の上に出てきて真犯人を確認したわけだが、薩摩の西郷・大久保が暗殺を指令したという説もあり、ドラマでその伏線を匂わせた辺りに注目してみたい。

西郷「(坂本が『○○○』に入れようとしてるのは)徳川か?」
大久保「そげなこつになれば、今までと何も変わらん!
    やっぱい、徳川家は滅ぼさんにゃならん」
中岡「大久保様。徳川はもう、政権を返上したがです!今さら戦は無用ですろう!」
大久保「じゃっどん、未だ徳川は日本一の大大名。
    まだまだ力を持っちょいもんでなぁ……」
中岡「ほいじゃき龍馬は早う新しい政府の形を作ろうとしゆうがじゃき!」
大久保「おはんは! 坂本龍馬によかふうに転がされちょっとじゃ」
中岡「何じゃと……!!」

この後、「言ってはならん人物(慶喜)を口にしたらその場で(龍馬を)たたき切る!」と、中岡犯人説もこの台詞で匂わせていた。
龍馬「中岡。わしを斬る前に、よう考えてくれや」との台詞も残した。あり得る話である。NHKとしてはそれで十分だったのではないかと思う。視聴者を煙に巻いたような脚本ではあったが、歴史を考える時間を与えたのだ。(新説を披露するには勇気がなかっただけかもしれないが)。
薩摩が武力討幕路線をひた走り、龍馬の平和路線を邪魔する設定で描かれていて薩摩が邪悪の塊のように見えるが、それは現代風に見た認識であり、平和ボケした平成日本からは推し量れない「ギリギリの選択肢」がそこにあったのだ。

春嶽「……その高いところに座ると、みんな気持ち良くなって……
   そこからは降りたくなくなるもんじゃ」
龍馬「慶喜公は……降りて下さいました」
春嶽「あのお方だからこそ、できたことじゃ」

ここには嘘がある。表では政権を投げ出した振りをしてその実は、混乱した新政府を再び奪い取ろうという狡猾さが慶喜にあった。
人間の欲を知り尽くした一枚上を行く薩摩大久保・西郷が見抜き、慶喜も徳川も潰せ、と判断した。正解である。ドラマでは執拗に慶喜の狡猾さが頻繁に出ていたが、大政奉還後も高いところから降りる気はサラサラない!というシーンをちらりとでも出してくれれば、薩摩の名誉ももっと保たれたのではないかと思う。

弥太郎「けんどの、けんどのぉ……龍馬は殺されるほどの……
    殺されるほどのことらぁしちゃあせんがじゃき!」
今井「坂本龍馬……その男は、徳川に忠義を尽くす、我ら侍を愚弄した。
   我らのすべて……我らの全てを無にしたんだぁ!!」

武士としての矜持を見せてくれた場面だが、これも筋が違う。武士とは何か。家族を守り、藩を守り、国を守る役目の者だ。諸外国から国を守るために徳川が不要となれば、潰してでも日本を取らねば武士道ではない。
そういう観点では、薩摩の読みが正しく、徳川をやたらと温存する、ぬるい龍馬の見識では新政府樹立もままならず、権力が分散したままもっと大規模な内戦に発展していた可能性もある。さすれば儲かるのは武器商人たちである。
彼ら(グラバーなど)と密接につながっていた龍馬は、フリーメーソンの手先として見なされ、徳川温存策が大規模な内乱を招く事で潤う諸外国の付け入る隙を与えぬために、龍馬を斬った(暗殺を支援した)というシナリオが浮上してくるのである。
西郷は国を守るために龍馬を見限った。そこまでNHKでは描けまい。描く必要もない。新撰組をかっこよく扱い、篤姫で徳川を美化した後にあそこまで徳川の権威を落とし、近藤局長をして「(先のことなど(わからん)」と情けない言葉を吐かせたのだから、十分だと思うのである。歴史は勝者と敗者の両側から見ないと片手落ちですよ、というメッセージを大河ドラマのシリーズで投げかけた、と言えよう。NHKのバースビジョンの一つか?さて、
人生が成就したのか、未達成のまま終えたのかは、死に際で見極めが付く。そういう意味では、龍馬は、成就したのだと思う。役目を終えたから迎えに来たのだと。

真の武士道とは何か、己の心に忠義を尽くす道である。故に誰に命令されずとも己の生きる道を模索し、貫くことである。己の道を貫くとは何か、それは、一言で言えば、バースビジョンを実現する道を究めるということだ。

このフレーズは、今後よく使っていこうと思う。

薩摩の人間が明治の方向付けをし、現代にも受け継がれたものがあるはずだからだ。温故知新。と書いた、その真意を上記記述から読み取ることができたであろうか、薩摩も、そして長州も決して無益な武力討幕を望んでいなかったのである。それ(戊辰戦争)をさせたのは、慶喜であり、覇権主義思想である。
これを現代に当てはめると、イランやアフガンで武装蜂起し、中国・北朝鮮で核開発やミサイル配備するのは、米国が覇権主義を改めないからである、と言う歴史と符合する。
政権を返上する(世界の警察官であることを放棄する、あるいは覇権国として主導権を明け渡す)と事上げをすれば、済むだけの話である。
「キリスト教圏以外の宗教や文化も、ネイティブアメリカンの文化も認めます。これまでの迫害の歴史は大いに反省します。ごめんなさい、歴史の過ちでした」と融和すればすむことである。それが出来ない。

口では核をなくすと言いながら、ステルス戦闘機を極東配備する様は、大政奉還しながら裏で政権奪取をもくろむ慶喜と一緒である。

ならば日本も武力討幕よろしく米国一極主義の覇権国に対抗すべきか?軍事技術は世界一であり核開発能力も優れているらしいが。答えは、否。だからと言って龍馬の言う平和主義では、新しい世の中は開けないことは、歴史が証明した。現実は日本の技術と資本と人材が軍事開発や軍備の増強に注ぎ込まれている。覇権国米国の側近として日本は位置している、それでいいのか?
日本の取るべき大局策は?

答えは、晋作の思想と行動美学の中にあるように思う。晋作、死す。の続編で明かそうと思う。


こちらのブログに、日本の取るべき道のエッセンスが描かれています。ご参照ください。
武士道と寺子屋馬関塾と腰椎4番と「バースビジョン国家論」
http://tenami.seesaa.net/article/56748594.html

posted by 大石 at 12:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月06日

龍馬伝48「龍の魂」からバースビジョンを読む

男児、志を立てて郷関を入ず。学もしなるなくんば、また帰らず。骨を埋める墳墓の地。人海至る所に青山あり。
長州の勤皇僧月性が読んだ歌で意味は、「男たるもの、ひとたび志を立てたなら、その志を全うするまでは決して郷里に帰るべきではない。海でも山でも骨を埋める場所などどこでもいいのだから、死ぬまで志を貫け」。お〜い竜馬では、旅に出る我が子竜馬を送り出した時、父親が言った言葉でもある。

果たして、龍馬は、志を全うして逝ってしまった。何かと批判の多い大河ドラマではあったが、その中でもしっかりとバースビジョンを描いている場面も多々あり、そこを私は評価したいと思う。最終回から、バースビジョンとは何か、という事を読み取れるシーンを回想し、理解を深めていただこうと思う。

弥太郎「けんどの龍馬。人がみんなぁ自分のように新しい世の中を……
    新しい世の中を望んじゅうと思うたら大間違いじゃぞ。
    ……口ではどう言うちょったち、いざ扉が開いたら……
    戸惑い、怖気づく者は山のようにおるがじゃき。
    恨みや、妬みや、恐れ、保身……そのうち怒りの矛先はおまんに向くろう。
    ……わしには分かる。眩しすぎる陽の光は、
    無性に腹が立つゆうことを知っちゅうきにのぉ……」

この台詞は、理想や志を抱いて活動する全ての人は、肝に銘じておくべきかと思う。

龍馬「……。……おまんの言うとおりかもしれん。
   わしは……わしは気付かんうちに、人を傷つけ、人に恨みを買うちゅうかもしれん。
   ……『世の人は、我を何とも言わば言え。我が成すことは、我のみぞ知る』。
   ……わしはの弥太郎。自分にできることをしただけぜよ。
   おまんもそうじゃ。おまんの思うように、思うように好きに……好きに生きたらえい」

誤解であれ、先に行く人を妬む視線は、みぞおちでしっかりと受け止め融和した状態で、突き進むことが肝心だ。それでも孤独感を感じたら、この龍馬の句をみぞおちに向けて唱えたらよい。
そして自分の成果や功績を人に評価されることを望まず、自分の中に満足感を覚え、人には人の役割がある、それを見つけたらいい。という具合に立場や能力や役目の違いを理解するセンスを実につけるとよい。例えば、

龍馬「おまんはのぉ! おまんは今、この……
   この金で世の中と繋がっちゅうがじゃぞ! 弥太郎!
   おまんは、この金で……この金で、日本一の会社を作って、
   日本人みんなぁを幸せにせんといかんがじゃき。
   それはのぉ、それはわしには到底出来ん!
   この世で、岩崎弥太郎ゆう男だけができる大仕事ぜよ!!
   わしにやるべきことがあったように……
   おまんにも必ず、必ずやるべきことがあるがじゃ!」

龍馬は弥太郎の商才を見抜き、金儲けを人生の目的にしているようでいて、人の気持ちのわかるリーダーとしての資質を発揮してもらいたいと願っている。大政奉還直前に銃を売りぬく相場観は圧巻であり、土佐藩の上士たちが一緒に働かせてくれ、と言われる場面は、壊れ行く武士階級によって職を失う多くの人々の暮らしを明治になり助けることになってゆく。

また、
龍馬「以蔵。おまんは優しい男じゃき、人を助ける仕事が向いちゅうのぉ……」

と地位や名誉だけが、成功ではない、「人賢愚ありと言えども、各々一二の才能なきはなし」(松陰)ということを伝えている。

   「高杉さん……高杉さんが夢見た、新しい日本が来るぜよ」

この台詞にも、同志の遺志を受け継ぎ、背中に同志の思いを背負って自らの志に乗せている事が見える。晋作がドラマでは大政奉還を策としていた点を議論するはずだったが、製作側の意図はないものと判断した。刺客が戸を叩いた時「中岡の妻です」などとあり得ない脚色をする辺りの愚と同じで、とりあえず思いついたままに脚本を書いた、というだけだろう。
晋作が見た倒幕後の日本の未来は、外国と対等に渡り合える国造りだ。それが果たせたのかどうかは、今後じっくり扱ってゆきたい。

ひとまず新しい日本のビジョンは、ドラマ上、「デモクラシー」(民主主義)であることは間違いない。
中岡「あの『○○○』! 誰の名前が入るがじゃ。答えや……龍馬!!」
龍馬「それはのぉ、『みんな』ぁじゃ。
   あの『○○○』には、『みんな』が入るがじゃ。
   上士も下士も無い、商人でも、百姓でも、志がある者やったら
   あの『○○○』には誰もが入れるがぜよ!
   それをのぉ……それを、みんなぁで選ぶがじゃ!
   志のある者をみんなぁで選ぶがじゃ!
   そんで……ほんで、みんなぁで選んだそのお人を、この人らで支えたらえいがじゃ!
   それがわしの考えじゃ!」

倒幕後に、総選挙(入れ札)で大統領を選ぼうとする龍馬は、50年以上先に行き過ぎである事は、明らかである。その後どれだけ時間をかけて国会が開かれ、町人、商人にも選挙権が与えられ、女子に選挙権が与えられ、民主主義の体制が出来上がっていったか。それを思えば殺されて当然の預言者だったことになる。

龍馬「この日本に、世界中から知恵と、技術と、人々が集まったら……
   この国は、まだわしらぁが感じたことの無いような、
   夢と希(のぞみ)に溢れた国になるがじゃぞ!」

明治に入り、開国し、文明開化の時期を向かえた。その後の日本は、

弥太郎「明治政府も、西郷・木戸がおらんなった今、醜い勢力争いばっかりじゃ!」
坂崎「……時はかかるかもしれんけんど、
   龍馬さんが思い描いとった国に、きっと……きっと、なると思います!」
弥太郎「そんな、甘いことではないがぜよ……!!」

今後この弥太郎の視点から、坂の上の雲の時代を、描いてゆこうと思う。

私の結論は、既に数年前に定まっている。
国是は、バースビジョン社会。全ての国民が、バースビジョンに沿った人生を歩み、必要なものを必要なときに必要な人が自由に得られる社会の実現を目指す。そして世界へ向けた規範と成す。

その考えを「バースビジョン国家論」という論文で現す決意は定まっている。

民主主義の究極がバースビジョン国家である、よって革命のように白紙の状態から国を建て直す必要はない、だから真に血の一滴も流さず新文明国家を形成できる、という論理立ても発明した。

幕末維新は、地球文明社会創造への貴重な予行練習であった。龍馬伝を批判するのも良いが評論家は世の中を変えることができまい。この大河ドラマという共通の情報を元にもっと変革期に相応しい行動規範を読み取るべきかと思う。
次に、薩摩の取った行動から龍馬観を紐解く。薩摩の人間が明治の方向付けをし、現代にも受け継がれたものがあるはずだからだ。温故知新。幕末維新は、地球文明創造への原型であり、もっと研究すべき可及的課題である。

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2010年12月03日

龍馬伝48「龍の魂」

「世の人は よしあしごとも 言わば言え 我が成す事は 我のみぞ知る」。(龍馬)この句は、盟友高杉晋作の句と極めて似ている。「西へ行く 人を慕いて 東行く 心の底ぞ 神や知るらん」。
人より一歩も二歩も進んで、志を全うしようとする人は、決まって同時代の人から疎まれたり、非難されたりするものだ。世の人の8割が反対するようなら、もしかしたら、その思いは本物であり、必ず1%の強烈な協力者が現れ、事を成してゆく事になるに違いない。

その途中に、もしかしたら龍馬の言うように、「いつのまにかわしは、人を傷つけ、人に恨みを買うようになってしまったのかもしれんのう」という場面があるかもしれない。それは、後世の眼で見れば「なんっちゃないこと」なのかもしれないし、後々で分かれた後に、『融和』が訪れる日が来るのかも知れない。
未来は誰にもわからないのである。だからこそ、今に懸命に生きるのみなのだ。

死に際で龍馬は何を言いたかったのだろうか。ドラマでは、あまり感動する場面や台詞がなかったように感じたので、機を同じくして逝った晋作とあの世でどんな対話があったか、空想し、同調し、現代の日本人に向けてどんなメッセージをくれるか、読み込んでみたいと思う。(つづく)

それは同時に、坂の上の雲の明治の方向付けへの警笛も含まれよう。これから何回かに分けて、龍馬と晋作の近現代人への警笛、をシリーズで伝えます。

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2010年11月26日

龍馬伝47「大政奉還」

看護関係(看護士等)の必要人数が圧倒的に不足しているという。つまり病院から看護士は離れる一方であること。反比例するように代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。その趨勢がもたらす未来を、『大政奉還』と照らし合わせて洞察してみようと思う。

看護士等が慢性的に不足しているのは、病院を辞める人が後を立たないからだ。来年度は全国で5,6万人程度不足する見通しとか。(実態はそんなものではないと思われるが)その穴埋めに期待されているのが、退職した数十万人もの看護士等を再雇用するという案。
実際、私の妻も9年看護婦をしていたが、毎年”古巣”からのお誘い(再雇用します、ぜひ戻ってください、と)の手紙が届いていた。では国が結婚退職した元看護士への保育施設など制度を整えたとして、どれだけの効果があろうか。
果たして妻は古巣の病院に戻るだろうか?答えは否。

アロマテラピーを経由して手波法タッチセラピーに出会い、母と子のタッチセラピストとなり講師養成講座を行う身となった今、戻る理由がないからだ。更に言えばタッチセラピー中級プロ講座に志願する女性の中に、いかに看護士資格者が多いかということは、この10年一貫した傾向である。他のヒーリング・代替医療系団体の資格認定希望者にも看護士は多いはずだ。

病院から看護士は離れる一方であること。
代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。

この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。当局はこの相関関係に気付き対策を練っているのだろか、いやそうは思えない。その趨勢がもたらす未来は、『大政奉還』に通じる革命の兆しとも見て取れる。

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700年続いた武士の世を終わらせた。
そう、まるで龍馬一人で終わらせたかのような描き方だが、時代の趨勢に敏感に反応した志士たちやそこに寄り添った女性や、倒幕側の公家や奇兵隊のような名もなき農民町民らの思いが結実して成立した快挙であることは、何度も語っているとおりである。
将棋に例えれば、最後に詰めたのは、切り札の「金」であっても、あえて犠牲になった「歩」や取られる覚悟で突撃させた「桂」、終盤で刺し違える覚悟で手放した「成角」など幾多の伏線があって詰ませることができるのだ。近代国家もそうした犠牲の上に成り立っている事を決して忘れてはならない。龍馬は、幕府を詰ませた金の役目を果たしただけである。

さて、700年と一言で言うが途方もない年月である。鎌倉に頼朝が幕府を開き、征夷大将軍を名乗ってから始まる武士の時代。攘夷派の大義はこうだ。
日本は建国以来天皇が統治していた国だから、幕府は本来ならば、天皇の代わりに国を治めるだけに過ぎない。それを裁可もなく独断で開国したり、外国との不平等な条約を結んだり勝手なことをするなど許さない、まして夷敵(外国)を打ち払う将という称号であるはずの征夷大将軍をして、外国人にこびへつらうなど何たる醜態だ、という見解。

この大筋(=攘夷論)を大前提として、諸外国と対等な形で開国すべし、その上で文物(西洋文明)は大いに取り入れるべき、との主張が、一環として柱になっていたのが長州であり、松下村塾の塾生であった。他藩はそこまでの軸がなかったのだ。いかに松陰先生が優れた見識の持ち主であったかがうかがい知れよう。

この藩論は全く筋が通っていて、長州がその後日本の主導権を握るのは当然の成り行きである。しかもその志たるや日本建国以来数千年続いてきた伝統に戻そう、という運動であるゆえに、幕政700年、徳川260年など吹けば飛ぶ程度のことにしか映らない。そもそもエネルギーの量が違うのだ。
一説には、藩主に新年の挨拶に行く重臣たちは、「機は熟していますか」「いや、まだだ」という会話を隠密に毎年の元旦毎に続けてきたという。

つまり関が原での敗北以来「雪辱を晴らすのは今年ですか」「いや討幕には今年は時期が早い」という事を260年もの間続けてきたわけだ。

幕末期の長州の暴発とも思える討幕運動は、こうして熟成されてきた。龍馬が一人、平和的解決を望んでも、それ(大政奉還の後に起こる戊辰戦争)は、歴史のエネルギーから見て防ぎようもなかったと言える。
龍馬にはその後の社会の仕組み作りに携わるバースビジョンがなかったわけだから、幕政にピリオドを打つ事で、役目を終える。薩長に恨まれる意味も理解できぬままに。余命あと1ヶ月。

一方、260年という重みしか知らない幕府側・慶喜側は《それ》が見えない。大政奉還論はずいぶん前からあったのもかかわらず、執着した。ゆえに幕引きの時期を遅らせる羽目になり、結果として武力討幕のエネルギーとかち合った。それだけに過ぎない。その趨勢に気が付かない幕臣らの嗅覚が乏しいだけだ。

「大政奉還などしたら、幕府の人間2万人が路頭に迷うんだぜ、それをどうするんだい?」との勝海舟の問いに対して、龍馬は言う。「なんちゃない、そんなもの、どうだっていいこと。」と笑い飛ばす。「商売を始めたっていいし、畑を耕したっていい、働けばいいこと」と。
これを現代医療システムに当てはめてみよう。
「本物の代替医療が発達したら、病院も縮小され、看護士らが路頭に迷う。薬も売れなくなり医薬品メーカーが減益を余儀なくされリストラされたり、100億かけて新薬を開発したって誰も使わずどぶに捨てることになる。苦労して6年間も学校に通って医師免許を取得し何年もインターンしてようやく開業できたのに患者が来なくなって、莫大な開業資金を返済できず、借金まみれだ。一体、どうしてくれるんだい!」という未来が待っている、ということになろうか。

「なんちゃない。」その一言で片付けられる話となろう。

自分の体は自分で治す、自分の子供は自分で生む。
当たり前のことである。
それを手助けする役目の人が町に一人必要なだけである。一家に一人、ある程度の治療能力のある者が一人いればいいだけである。江戸期以前は長い間そうしてやってきた。私なども、幼少期に擦り傷で泣き叫んでいたら、おばあちゃんがどなりつけて「そんなことくらいで、男の子が泣くんじゃない!そこ(庭先)にあるアロエをもいで、塗っておけばじきに直るわ!」と言ってのけたものだ。果たして、数分後に私はまた野原を走り回っていた。
わが子4人は、インフルエンザの予防接種など一度もしたことがない。にもかかわらず昨年の大流行で一度も感染していない。あんなものは、打つから免疫力を破壊され感染するのだ。国の金儲けの手段に何で子供たちが実験台にされねばならないのか、と思う。

病気が原因で死滅した民族など歴史に一つもない。
巨大病院システムが出来上がって一体何年くらい立つのだろうか、100年も立たぬであろう。そんなものは、芥子粒のごとく、地上から消えてなくなっても不思議ではない。その方が人類のためである。

現代の大政奉還は、病院制度が治療するのではなく、人体に備わっている自然治癒力に主権をお返し奉るとでも呼べるような革命的変化をもたらすことになろう。
タッチセラピストを『触育士』として認定し、社会の隅々まで浸透させようとする運動は、ほんの始まりである。代替医療を通過点として、本人そのものに人生の主権を返す《大癒奉還》への始まり。

大半の企業は、心の病気を抱えた人の集う病院と化し、病院は、人生の分岐点であることに気付く研修所、すなわち教育現場となり、学校は、新しい世の中を作る発明発見の場、すなわち新産業創造の基礎研究を行い、実用段階となったシーズを元に起業する場となる。

企業が病院(収容所)となり、病院が教育の場《バースビジョン発見所》となり、学校が起業支援を行う《天職発見創造機会の場》。7年くらい前に私が提唱した構図に世の中が近づきつつあるようだ。

厚生労働省から、「もう患者を収容し切れません、自分の体は自分で治してください。治療の主権を人体にお返しします」と《大癒奉還》を国民に差し出す日は近い。
近未来のその時、真っ先に首を切られるであろう看護士にしがみつき怒りを国会にぶちまけるか、あるいは代替医療の現場で殺到する患者を診る側に立っているか、この1,2年の判断で決まる。むろん後者を選択する看護士たちは、さっさと辞めて既に次の支度をしている。その結果、前者を選択する現場では看護士が足りない、という事態が起こっているだけなのだ。

海流とは、表面の流れの下に、全く逆の流れが起こっている。時代の潮流も同じだ。

posted by 大石 at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

龍馬伝46「土佐の大勝負」

先日旅先でNHK番組で、ワタミフーズの社長が高知の中学生を対象に座談会(研修)を行う場面を見た。竜馬が往くを愛読した渡邊さんは、「自分の《好き》を見つけ、《好き》を極めることが、夢を切り開く原動力だ」と切々と訴えていた。同感である。
龍馬ファンでもある中学生の鋭い質問に、渡邊さんがどう答えるか注目すべき場面があった。「自分のためではなく、人のためにやるべきではないですか?」と。対して「ホント?私は違う、全部自分のためにやってきた」とあえて反論する渡邊さん。男子生徒は女子生徒を援護して「自分も大事。」と反論するも、渡邊さんは妥協せず、No、を繰り返す。

「確かに、他人のために働く動機も必要だ」とか、「自分も人も大事だね」などと妥協しない。まして、どこにでも転がっているような「自己犠牲してでも、他人の為に身を尽くせ」などとは言わない。そうやって利他(他人に先に利益を与えよ)を教育指針にして、結局人を使って駒にして、大儲けしているネットビジネスもあった。渡邊さんのような実践経験を通じて演台に立つ人は、口先ひ一つの研修畑一本の人たちとは、言葉に重みが違う。龍馬観も独特だ。さて、

自分のやりたい事をやり遂げるための人生か、それとも、他人のために生きるのが人生であるべきか。

その問いと今回の龍馬伝を結び付けて論じたいと思う。

番組で中学生が龍馬の凄いところはどこか聞かれて、自分のことより皆の幸せを願って、社会の仕組みを変えた所が凄い、と答えたのを受けて渡邊さん曰く、「本当か?」と否定的な発言の後、
「龍馬は、《好き》を見つけ、《好き》を極めようとしただけなんじゃないかな。
船が好きで海が好きで、世界の海に出たいという、自分がやりたいことを思いっきりやるためには、社会の仕組みがじゃまだっただけで、自分の夢の為に薩摩と長州を結びつけたり、大政奉還をしたりしたんじゃないかな。それが結果として世の中の仕組みと歴史を変えることになっただけで。」と、丁寧に説明していた。
《好き》を見つけ、《好き》を極めた人だけが発することができる台詞だ。全く同感である。

しかし好きにも段階がある。今時小学生に好きなことをしなさい、と言ったら、宿題よりも遊ぶことが好きだから家に帰ったらゲームの続きをします、先生に好きなことをしなさいって言われたから、となろう。好き=わがまま、と同義語になっている世代にとっては、縛りや規制やルールや課題や
宿題や罰則や教育が必要になる。だから学校の先生は「好きなことをしなさい」よりも「ねばならないこと」を強調するのはやむを得ない。

ところが、20代になり30代になっても永遠に「ねばならないこと」で覆われた生活を送っている人が多すぎる。だから逆にその枠組みから離れて好きにさせて!というスピンアウトのようなニート族のような集団が形成される。自分探しの旅という名の隠れ蓑に覆われた現実逃避型の人間が増えてしまう。

番組の中学生の全てに戸惑いが隠せなかった。社会的に成功している社長が目の前に立ち、「君たちも龍馬のように立派に社会に貢献する人間になりなさい」と言われたら、「ハイ!」と疑いなく答えたであろうに、渡邊さんは、心にカオス(混沌)を生み出した、《好き》を見つけなさい、と。
見つけたその《好き》が将来仕事になる保証はない、仕事になる種類の《好き》ばかりではないし、ライフワークで生計を立てるのは楽ではない。というよりも、好きも進化し、脱皮しなければ、本物の《好き》に出会えないのだ。そのことは、龍馬がどれほど《好き》を手放していったかを見ればよく分かる。郷土の好き、仲間の好き、師匠の好き、異性の好き、みんな手放して、さよならして、海という《好き》にこだわった。


刀よりソロバンが役に立つときが来る。そう言われて弥太郎の元に上士が集まった。商売が好き、の弥太郎に惹かれて武士の階級を捨てて同士が生まれた。
幕府に恩のある土佐の殿様に、幕府も藩もいらない、将軍も大名もいらない、そういう世の中を作るために進言する龍馬。その場で打ち首にされても文句は言えない大それた発言を、《好き》を極めるためにやってのけた。すると、徳川への恩よりも目の前の若造への共感の方が勝ってしまう。
史実は多分に利害打算が働いたとは思うが、武士の世において土佐何十万石を賜った恩を裏切ることは、断腸の思いだったはずであり、龍馬の好きは、個人の欲を超えた日本の将来を見据えていただけに、個の利害を超越したところに共感を生んだことは疑い得ない。

少なくとも仲間たちを殺した個人的感情から、殿様は嫌い、というなら大政奉還の話はなかったわけで、好きにも次元がある、ことを如実に表している。

つまるところ渡邊さんの言うレベルの《好き》を極める、とは、《志》を見つけ、極める、と言い換えて差し支えない。志を遂げる、と言う意味で、好きという想いを捕らえるならば、好きなことをするということは、人の喜びにつながることが「前提になる」話であり、成し遂げると言うことは、同時に周囲や社会の役に立つ、と言う結果を必然的に起こす。

よって、女子生徒の素朴な疑問「自分のためだけに生きてちゃ、いけないんじゃないですか?」との疑問は、まだ自分とは他人とは隔てられたものであり、自分の好きなことを貫いては、人の迷惑になる、だから人のために「も」、何かをしなければならない、と考える世界に生きている、ということになり、自分のための時間と人の為に費やす時間がまだ分離している状態であり、ゆえにそういう段階において好きは、まだ志の域に達していない、と言える。
つまり、自他境界線があるうちは、まだ渡邊さんの真意は理解できない、「全て自分のために、だけずっと生きてきた」と宣言する講師を見て、(何てわがままな社長なんだろう、うちの父さんと大違いだ、人の為に働けっていつも言っているし)と軽蔑されてもおかしくない。

それでもあえて渡邊さんは、《好き》を貫け、視野を広げて(本当の)《好き》を見つけろ、と自然の中に連れ出して五感に訴えていた姿には、真の教師である、と敬服した。

龍馬の画策した大政奉還は、多くの失業者を武士階級から生み出すことになる。力で民を抑えていた権力機構が崩壊するのだから、胡坐をかいてきた武士はすべからくリストラするのだ。
世直しだ、と言って騒いでいる人々が、いざ自分の生活に影が及ぶとしり込みしたり反対派に回るのは世の常だが、それを知りつつ、突き進むためには、よほど覚悟の伴う《好き》のエネルギーがなければ成し得ない。だから龍馬は単に海に出たい、ということではなく日本人が好きという気持ちが強かったのだ、だから大勝負で自分を押し通せたのだ、と思った。

暗殺まであと40日。武士も大名もいない世の中に何が残る?の問いは、現代に直せば、経済も医療も失った日本に何が残る?とでも置き換えてみようか。あって当たり前のシステムのうち失って困るものはどれだけ身の回りにあるだろうか。




posted by 大石 at 17:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

生まれて初めての感動バースディ。

昨日は私の46回目の誕生日を信州で迎えていた。相生で手波法中級タッチセラピー講座総勢延べ25人ほどの指導をさせていただいた後、急ぎ信州安曇野に発ち、夜中11時に着いて翌日から、20名のヨガ、5人のリーディングセッションをして、全身の神経がもう、バースビジョンモードから抜けられず、特殊な意識状態となっていた。
翌日が昨日つまり誕生日だったのだが、朝からずっとビジョンリーディングをしていたせいか、完全に”その事”を忘却していた。リーディングの初めに
「それでは、本日2010年の11月16日、どんなバースビジョンが出てくるでしょうか、呼吸を深めていって」と語っているにもかかわらず。丸一日思い出せなかった。

そして今日4人のリーディングを終えて、信州の水の国メンバーと志源会があり、多恵子代表の挨拶があった。
「メンバーが五人になり、来年は水の国から新しい大きな流れがうねりだす事でしょう。それでは、明子さんが歌います」、と言うので、(何だろう?まかさマイケル?)とは思わなかったが、「ハッピバースディ、トゥ、ユー♪」と歌いだすではないか。「本当は昨日でしたが、今朝思い出しました!」と。
すると、ジャーん!と、手書きの大きなおめでとうポスター?が井戸仙人のイラスト付きでプレゼントされ、同時に、色紙が。(誰か、ブログに出して)

細かい字で、たくさんの寄せ書きが書かれていました。いったい何人分?いつの間に?

今朝から集めて夕方までに、20人分くらい?さゆりさんの機転の利いた動きとそれを促した和美さんの一言で、素晴らしい感動的な色紙(両面びっしり!)を頂きました。これは一生の宝物にします。

この場を借りて、緊急要請?に答えてくれたインストラクターの方々には御礼申し上げます。

今からじっくり読ませていただきます。その後お礼に、一人一人に特別なマグネタイズ・フィールドをプレゼントします。

夜中12時半から1時の間で遠隔マグネタイズの種を信州から飛ばしますので、明日以降10日間、思わぬ出逢いに注目してください。
天空から落とすビジョンの種は、《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

pS
新人のTさんに「聞きたいことがあるんですけど」とセッション後に聞かれた。どんな質問だろう?と思ったら「大石さん、お昼も食べないで、遅くまで大丈夫なんですか?」と。私は思わず答えてしまった。
「うん、大丈夫だよ、空気を食べているから。空気っておいしいよ。おなかいっぱいになるし」。と。

「は、はあそうなんですね」とTさん。意味が通じなかったのだろう。
プラーナ粒子を取り入れると、空腹感は満たされるなんて、言っても通じないし、光の粒子状に気を循環させなければ出来ないことをしているから、って言っても始まらないから
「ダイエットにいいよ、空気でおなかを満たしたら。やってみて」と言った。ごめん、ますます混乱させてしまったかな。誕生メッセージのお祝いとお詫びに、

《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

スペシャルで、飛ばしてあげようね。スペシャルな出逢いをマグネタイズしよう。これで1年後には
宣言通り○○だ。


posted by 大石 at 23:43| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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