2010年12月03日

龍馬伝48「龍の魂」

「世の人は よしあしごとも 言わば言え 我が成す事は 我のみぞ知る」。(龍馬)この句は、盟友高杉晋作の句と極めて似ている。「西へ行く 人を慕いて 東行く 心の底ぞ 神や知るらん」。
人より一歩も二歩も進んで、志を全うしようとする人は、決まって同時代の人から疎まれたり、非難されたりするものだ。世の人の8割が反対するようなら、もしかしたら、その思いは本物であり、必ず1%の強烈な協力者が現れ、事を成してゆく事になるに違いない。

その途中に、もしかしたら龍馬の言うように、「いつのまにかわしは、人を傷つけ、人に恨みを買うようになってしまったのかもしれんのう」という場面があるかもしれない。それは、後世の眼で見れば「なんっちゃないこと」なのかもしれないし、後々で分かれた後に、『融和』が訪れる日が来るのかも知れない。
未来は誰にもわからないのである。だからこそ、今に懸命に生きるのみなのだ。

死に際で龍馬は何を言いたかったのだろうか。ドラマでは、あまり感動する場面や台詞がなかったように感じたので、機を同じくして逝った晋作とあの世でどんな対話があったか、空想し、同調し、現代の日本人に向けてどんなメッセージをくれるか、読み込んでみたいと思う。(つづく)

それは同時に、坂の上の雲の明治の方向付けへの警笛も含まれよう。これから何回かに分けて、龍馬と晋作の近現代人への警笛、をシリーズで伝えます。

posted by 大石 at 16:40| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月26日

龍馬伝47「大政奉還」

看護関係(看護士等)の必要人数が圧倒的に不足しているという。つまり病院から看護士は離れる一方であること。反比例するように代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。その趨勢がもたらす未来を、『大政奉還』と照らし合わせて洞察してみようと思う。

看護士等が慢性的に不足しているのは、病院を辞める人が後を立たないからだ。来年度は全国で5,6万人程度不足する見通しとか。(実態はそんなものではないと思われるが)その穴埋めに期待されているのが、退職した数十万人もの看護士等を再雇用するという案。
実際、私の妻も9年看護婦をしていたが、毎年”古巣”からのお誘い(再雇用します、ぜひ戻ってください、と)の手紙が届いていた。では国が結婚退職した元看護士への保育施設など制度を整えたとして、どれだけの効果があろうか。
果たして妻は古巣の病院に戻るだろうか?答えは否。

アロマテラピーを経由して手波法タッチセラピーに出会い、母と子のタッチセラピストとなり講師養成講座を行う身となった今、戻る理由がないからだ。更に言えばタッチセラピー中級プロ講座に志願する女性の中に、いかに看護士資格者が多いかということは、この10年一貫した傾向である。他のヒーリング・代替医療系団体の資格認定希望者にも看護士は多いはずだ。

病院から看護士は離れる一方であること。
代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。

この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。当局はこの相関関係に気付き対策を練っているのだろか、いやそうは思えない。その趨勢がもたらす未来は、『大政奉還』に通じる革命の兆しとも見て取れる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

700年続いた武士の世を終わらせた。
そう、まるで龍馬一人で終わらせたかのような描き方だが、時代の趨勢に敏感に反応した志士たちやそこに寄り添った女性や、倒幕側の公家や奇兵隊のような名もなき農民町民らの思いが結実して成立した快挙であることは、何度も語っているとおりである。
将棋に例えれば、最後に詰めたのは、切り札の「金」であっても、あえて犠牲になった「歩」や取られる覚悟で突撃させた「桂」、終盤で刺し違える覚悟で手放した「成角」など幾多の伏線があって詰ませることができるのだ。近代国家もそうした犠牲の上に成り立っている事を決して忘れてはならない。龍馬は、幕府を詰ませた金の役目を果たしただけである。

さて、700年と一言で言うが途方もない年月である。鎌倉に頼朝が幕府を開き、征夷大将軍を名乗ってから始まる武士の時代。攘夷派の大義はこうだ。
日本は建国以来天皇が統治していた国だから、幕府は本来ならば、天皇の代わりに国を治めるだけに過ぎない。それを裁可もなく独断で開国したり、外国との不平等な条約を結んだり勝手なことをするなど許さない、まして夷敵(外国)を打ち払う将という称号であるはずの征夷大将軍をして、外国人にこびへつらうなど何たる醜態だ、という見解。

この大筋(=攘夷論)を大前提として、諸外国と対等な形で開国すべし、その上で文物(西洋文明)は大いに取り入れるべき、との主張が、一環として柱になっていたのが長州であり、松下村塾の塾生であった。他藩はそこまでの軸がなかったのだ。いかに松陰先生が優れた見識の持ち主であったかがうかがい知れよう。

この藩論は全く筋が通っていて、長州がその後日本の主導権を握るのは当然の成り行きである。しかもその志たるや日本建国以来数千年続いてきた伝統に戻そう、という運動であるゆえに、幕政700年、徳川260年など吹けば飛ぶ程度のことにしか映らない。そもそもエネルギーの量が違うのだ。
一説には、藩主に新年の挨拶に行く重臣たちは、「機は熟していますか」「いや、まだだ」という会話を隠密に毎年の元旦毎に続けてきたという。

つまり関が原での敗北以来「雪辱を晴らすのは今年ですか」「いや討幕には今年は時期が早い」という事を260年もの間続けてきたわけだ。

幕末期の長州の暴発とも思える討幕運動は、こうして熟成されてきた。龍馬が一人、平和的解決を望んでも、それ(大政奉還の後に起こる戊辰戦争)は、歴史のエネルギーから見て防ぎようもなかったと言える。
龍馬にはその後の社会の仕組み作りに携わるバースビジョンがなかったわけだから、幕政にピリオドを打つ事で、役目を終える。薩長に恨まれる意味も理解できぬままに。余命あと1ヶ月。

一方、260年という重みしか知らない幕府側・慶喜側は《それ》が見えない。大政奉還論はずいぶん前からあったのもかかわらず、執着した。ゆえに幕引きの時期を遅らせる羽目になり、結果として武力討幕のエネルギーとかち合った。それだけに過ぎない。その趨勢に気が付かない幕臣らの嗅覚が乏しいだけだ。

「大政奉還などしたら、幕府の人間2万人が路頭に迷うんだぜ、それをどうするんだい?」との勝海舟の問いに対して、龍馬は言う。「なんちゃない、そんなもの、どうだっていいこと。」と笑い飛ばす。「商売を始めたっていいし、畑を耕したっていい、働けばいいこと」と。
これを現代医療システムに当てはめてみよう。
「本物の代替医療が発達したら、病院も縮小され、看護士らが路頭に迷う。薬も売れなくなり医薬品メーカーが減益を余儀なくされリストラされたり、100億かけて新薬を開発したって誰も使わずどぶに捨てることになる。苦労して6年間も学校に通って医師免許を取得し何年もインターンしてようやく開業できたのに患者が来なくなって、莫大な開業資金を返済できず、借金まみれだ。一体、どうしてくれるんだい!」という未来が待っている、ということになろうか。

「なんちゃない。」その一言で片付けられる話となろう。

自分の体は自分で治す、自分の子供は自分で生む。
当たり前のことである。
それを手助けする役目の人が町に一人必要なだけである。一家に一人、ある程度の治療能力のある者が一人いればいいだけである。江戸期以前は長い間そうしてやってきた。私なども、幼少期に擦り傷で泣き叫んでいたら、おばあちゃんがどなりつけて「そんなことくらいで、男の子が泣くんじゃない!そこ(庭先)にあるアロエをもいで、塗っておけばじきに直るわ!」と言ってのけたものだ。果たして、数分後に私はまた野原を走り回っていた。
わが子4人は、インフルエンザの予防接種など一度もしたことがない。にもかかわらず昨年の大流行で一度も感染していない。あんなものは、打つから免疫力を破壊され感染するのだ。国の金儲けの手段に何で子供たちが実験台にされねばならないのか、と思う。

病気が原因で死滅した民族など歴史に一つもない。
巨大病院システムが出来上がって一体何年くらい立つのだろうか、100年も立たぬであろう。そんなものは、芥子粒のごとく、地上から消えてなくなっても不思議ではない。その方が人類のためである。

現代の大政奉還は、病院制度が治療するのではなく、人体に備わっている自然治癒力に主権をお返し奉るとでも呼べるような革命的変化をもたらすことになろう。
タッチセラピストを『触育士』として認定し、社会の隅々まで浸透させようとする運動は、ほんの始まりである。代替医療を通過点として、本人そのものに人生の主権を返す《大癒奉還》への始まり。

大半の企業は、心の病気を抱えた人の集う病院と化し、病院は、人生の分岐点であることに気付く研修所、すなわち教育現場となり、学校は、新しい世の中を作る発明発見の場、すなわち新産業創造の基礎研究を行い、実用段階となったシーズを元に起業する場となる。

企業が病院(収容所)となり、病院が教育の場《バースビジョン発見所》となり、学校が起業支援を行う《天職発見創造機会の場》。7年くらい前に私が提唱した構図に世の中が近づきつつあるようだ。

厚生労働省から、「もう患者を収容し切れません、自分の体は自分で治してください。治療の主権を人体にお返しします」と《大癒奉還》を国民に差し出す日は近い。
近未来のその時、真っ先に首を切られるであろう看護士にしがみつき怒りを国会にぶちまけるか、あるいは代替医療の現場で殺到する患者を診る側に立っているか、この1,2年の判断で決まる。むろん後者を選択する看護士たちは、さっさと辞めて既に次の支度をしている。その結果、前者を選択する現場では看護士が足りない、という事態が起こっているだけなのだ。

海流とは、表面の流れの下に、全く逆の流れが起こっている。時代の潮流も同じだ。

posted by 大石 at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

龍馬伝46「土佐の大勝負」

先日旅先でNHK番組で、ワタミフーズの社長が高知の中学生を対象に座談会(研修)を行う場面を見た。竜馬が往くを愛読した渡邊さんは、「自分の《好き》を見つけ、《好き》を極めることが、夢を切り開く原動力だ」と切々と訴えていた。同感である。
龍馬ファンでもある中学生の鋭い質問に、渡邊さんがどう答えるか注目すべき場面があった。「自分のためではなく、人のためにやるべきではないですか?」と。対して「ホント?私は違う、全部自分のためにやってきた」とあえて反論する渡邊さん。男子生徒は女子生徒を援護して「自分も大事。」と反論するも、渡邊さんは妥協せず、No、を繰り返す。

「確かに、他人のために働く動機も必要だ」とか、「自分も人も大事だね」などと妥協しない。まして、どこにでも転がっているような「自己犠牲してでも、他人の為に身を尽くせ」などとは言わない。そうやって利他(他人に先に利益を与えよ)を教育指針にして、結局人を使って駒にして、大儲けしているネットビジネスもあった。渡邊さんのような実践経験を通じて演台に立つ人は、口先ひ一つの研修畑一本の人たちとは、言葉に重みが違う。龍馬観も独特だ。さて、

自分のやりたい事をやり遂げるための人生か、それとも、他人のために生きるのが人生であるべきか。

その問いと今回の龍馬伝を結び付けて論じたいと思う。

番組で中学生が龍馬の凄いところはどこか聞かれて、自分のことより皆の幸せを願って、社会の仕組みを変えた所が凄い、と答えたのを受けて渡邊さん曰く、「本当か?」と否定的な発言の後、
「龍馬は、《好き》を見つけ、《好き》を極めようとしただけなんじゃないかな。
船が好きで海が好きで、世界の海に出たいという、自分がやりたいことを思いっきりやるためには、社会の仕組みがじゃまだっただけで、自分の夢の為に薩摩と長州を結びつけたり、大政奉還をしたりしたんじゃないかな。それが結果として世の中の仕組みと歴史を変えることになっただけで。」と、丁寧に説明していた。
《好き》を見つけ、《好き》を極めた人だけが発することができる台詞だ。全く同感である。

しかし好きにも段階がある。今時小学生に好きなことをしなさい、と言ったら、宿題よりも遊ぶことが好きだから家に帰ったらゲームの続きをします、先生に好きなことをしなさいって言われたから、となろう。好き=わがまま、と同義語になっている世代にとっては、縛りや規制やルールや課題や
宿題や罰則や教育が必要になる。だから学校の先生は「好きなことをしなさい」よりも「ねばならないこと」を強調するのはやむを得ない。

ところが、20代になり30代になっても永遠に「ねばならないこと」で覆われた生活を送っている人が多すぎる。だから逆にその枠組みから離れて好きにさせて!というスピンアウトのようなニート族のような集団が形成される。自分探しの旅という名の隠れ蓑に覆われた現実逃避型の人間が増えてしまう。

番組の中学生の全てに戸惑いが隠せなかった。社会的に成功している社長が目の前に立ち、「君たちも龍馬のように立派に社会に貢献する人間になりなさい」と言われたら、「ハイ!」と疑いなく答えたであろうに、渡邊さんは、心にカオス(混沌)を生み出した、《好き》を見つけなさい、と。
見つけたその《好き》が将来仕事になる保証はない、仕事になる種類の《好き》ばかりではないし、ライフワークで生計を立てるのは楽ではない。というよりも、好きも進化し、脱皮しなければ、本物の《好き》に出会えないのだ。そのことは、龍馬がどれほど《好き》を手放していったかを見ればよく分かる。郷土の好き、仲間の好き、師匠の好き、異性の好き、みんな手放して、さよならして、海という《好き》にこだわった。


刀よりソロバンが役に立つときが来る。そう言われて弥太郎の元に上士が集まった。商売が好き、の弥太郎に惹かれて武士の階級を捨てて同士が生まれた。
幕府に恩のある土佐の殿様に、幕府も藩もいらない、将軍も大名もいらない、そういう世の中を作るために進言する龍馬。その場で打ち首にされても文句は言えない大それた発言を、《好き》を極めるためにやってのけた。すると、徳川への恩よりも目の前の若造への共感の方が勝ってしまう。
史実は多分に利害打算が働いたとは思うが、武士の世において土佐何十万石を賜った恩を裏切ることは、断腸の思いだったはずであり、龍馬の好きは、個人の欲を超えた日本の将来を見据えていただけに、個の利害を超越したところに共感を生んだことは疑い得ない。

少なくとも仲間たちを殺した個人的感情から、殿様は嫌い、というなら大政奉還の話はなかったわけで、好きにも次元がある、ことを如実に表している。

つまるところ渡邊さんの言うレベルの《好き》を極める、とは、《志》を見つけ、極める、と言い換えて差し支えない。志を遂げる、と言う意味で、好きという想いを捕らえるならば、好きなことをするということは、人の喜びにつながることが「前提になる」話であり、成し遂げると言うことは、同時に周囲や社会の役に立つ、と言う結果を必然的に起こす。

よって、女子生徒の素朴な疑問「自分のためだけに生きてちゃ、いけないんじゃないですか?」との疑問は、まだ自分とは他人とは隔てられたものであり、自分の好きなことを貫いては、人の迷惑になる、だから人のために「も」、何かをしなければならない、と考える世界に生きている、ということになり、自分のための時間と人の為に費やす時間がまだ分離している状態であり、ゆえにそういう段階において好きは、まだ志の域に達していない、と言える。
つまり、自他境界線があるうちは、まだ渡邊さんの真意は理解できない、「全て自分のために、だけずっと生きてきた」と宣言する講師を見て、(何てわがままな社長なんだろう、うちの父さんと大違いだ、人の為に働けっていつも言っているし)と軽蔑されてもおかしくない。

それでもあえて渡邊さんは、《好き》を貫け、視野を広げて(本当の)《好き》を見つけろ、と自然の中に連れ出して五感に訴えていた姿には、真の教師である、と敬服した。

龍馬の画策した大政奉還は、多くの失業者を武士階級から生み出すことになる。力で民を抑えていた権力機構が崩壊するのだから、胡坐をかいてきた武士はすべからくリストラするのだ。
世直しだ、と言って騒いでいる人々が、いざ自分の生活に影が及ぶとしり込みしたり反対派に回るのは世の常だが、それを知りつつ、突き進むためには、よほど覚悟の伴う《好き》のエネルギーがなければ成し得ない。だから龍馬は単に海に出たい、ということではなく日本人が好きという気持ちが強かったのだ、だから大勝負で自分を押し通せたのだ、と思った。

暗殺まであと40日。武士も大名もいない世の中に何が残る?の問いは、現代に直せば、経済も医療も失った日本に何が残る?とでも置き換えてみようか。あって当たり前のシステムのうち失って困るものはどれだけ身の回りにあるだろうか。




posted by 大石 at 17:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

生まれて初めての感動バースディ。

昨日は私の46回目の誕生日を信州で迎えていた。相生で手波法中級タッチセラピー講座総勢延べ25人ほどの指導をさせていただいた後、急ぎ信州安曇野に発ち、夜中11時に着いて翌日から、20名のヨガ、5人のリーディングセッションをして、全身の神経がもう、バースビジョンモードから抜けられず、特殊な意識状態となっていた。
翌日が昨日つまり誕生日だったのだが、朝からずっとビジョンリーディングをしていたせいか、完全に”その事”を忘却していた。リーディングの初めに
「それでは、本日2010年の11月16日、どんなバースビジョンが出てくるでしょうか、呼吸を深めていって」と語っているにもかかわらず。丸一日思い出せなかった。

そして今日4人のリーディングを終えて、信州の水の国メンバーと志源会があり、多恵子代表の挨拶があった。
「メンバーが五人になり、来年は水の国から新しい大きな流れがうねりだす事でしょう。それでは、明子さんが歌います」、と言うので、(何だろう?まかさマイケル?)とは思わなかったが、「ハッピバースディ、トゥ、ユー♪」と歌いだすではないか。「本当は昨日でしたが、今朝思い出しました!」と。
すると、ジャーん!と、手書きの大きなおめでとうポスター?が井戸仙人のイラスト付きでプレゼントされ、同時に、色紙が。(誰か、ブログに出して)

細かい字で、たくさんの寄せ書きが書かれていました。いったい何人分?いつの間に?

今朝から集めて夕方までに、20人分くらい?さゆりさんの機転の利いた動きとそれを促した和美さんの一言で、素晴らしい感動的な色紙(両面びっしり!)を頂きました。これは一生の宝物にします。

この場を借りて、緊急要請?に答えてくれたインストラクターの方々には御礼申し上げます。

今からじっくり読ませていただきます。その後お礼に、一人一人に特別なマグネタイズ・フィールドをプレゼントします。

夜中12時半から1時の間で遠隔マグネタイズの種を信州から飛ばしますので、明日以降10日間、思わぬ出逢いに注目してください。
天空から落とすビジョンの種は、《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

pS
新人のTさんに「聞きたいことがあるんですけど」とセッション後に聞かれた。どんな質問だろう?と思ったら「大石さん、お昼も食べないで、遅くまで大丈夫なんですか?」と。私は思わず答えてしまった。
「うん、大丈夫だよ、空気を食べているから。空気っておいしいよ。おなかいっぱいになるし」。と。

「は、はあそうなんですね」とTさん。意味が通じなかったのだろう。
プラーナ粒子を取り入れると、空腹感は満たされるなんて、言っても通じないし、光の粒子状に気を循環させなければ出来ないことをしているから、って言っても始まらないから
「ダイエットにいいよ、空気でおなかを満たしたら。やってみて」と言った。ごめん、ますます混乱させてしまったかな。誕生メッセージのお祝いとお詫びに、

《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

スペシャルで、飛ばしてあげようね。スペシャルな出逢いをマグネタイズしよう。これで1年後には
宣言通り○○だ。


posted by 大石 at 23:43| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

龍馬伝45「龍馬の休日」

今日は『天婚』について解き明かしましょう。ビジョンヨガに精通してゆくと、なぜか天婚を実現してしまうから、不思議ですね。天婚とは、天命に沿った結婚、つまり赤い糸で結ばれた生まれる前に決めてきたパートナーと結ばれることを指します。
バースビジョンの実現にとって欠くことのできないマグネタイズ・ストーリーであり、一ランク下の適婚(比較的適した結婚相手)では、自己実現の到達点も満足度も落ちてしまいます。まして不適婚や敵対婚に至っては、悲劇の始まりです。ビジョンヨガで身体感覚を磨くことでそうした悲劇を未然に防いで欲しいものです。

さて龍馬伝タイトルは「ローマの休日」をもじったのでしょうか、せっかくですから(たまには)ロマンスについてもバースビジョンの観点から天婚をキーワードにして見ていきます。
以前にもお話した通り、龍馬にとっては、加尾やさな子では適婚止まりで、歴史に名を残すような大仕事は出来なかったことは、もうお分かりの通りです。土佐にあだたぬ男が加尾の誘惑?に負けてずるずると吸い込まれてしまったら、脱藩一つしなかっただろうし、さな子の気迫溢れる押しの告白に負けてしまったら、剣術道場の主として今日の北辰一刀流の歴史に刻まれ、現在の東京杉並道場は、龍馬の巧みな宣伝ノウハウが基となり、全国規模の道場になっていたかもしれませんし、子孫が各地の道場主になっているでしょう。その程度の自己実現で止まっていただろうと予想できます。

龍馬にとって、道場主は適職であり、大政奉還が天職だというわけです。
天婚と同じフィールドに天婚ありき、というわけです。

しかし龍馬は適婚相手の甘い誘いをきっぱり断った、断れたわけです。そこに志の強さを感じさせます。子沢山に恵まれ晩年まで生きたであろう人生の選択を蹴った。天婚相手こそお龍。志士としてサポートする、命をかけて志を守る、そしてたいした思い出もなく死に別れ、子供も出来ず、酒びたりで歴史や薩摩や土佐や徳川や全てを恨みながら酒びたりで晩年を過ごし、さみしく死んでゆく。
横須賀に流れてそこで人生を終えたお龍は、どんなバースビジョンだったのでしょう。きっと世界に船出して貿易で成り立ってゆくことになる日本の玄関口である横須賀で、龍馬の志を見守る、という魂の想いで導かれたのでしょう。しかしそれは魂の選択であり、表面的には再婚相手がたまたま横須賀だった、ということです。魂の意図が達せられ、引越しが済んだので再婚相手とは別離します。

肉体をして自我のレベルでは決して幸せを感じきれなかった、そんな天婚もあるということを知らねばなりません。だったら適婚の方がよかった、と言えるような未来があるということを。
ゆえに多くの人たちは天婚を期待しつつ、現実には適婚で満足している、という選択をしていると思います。それを否定する、下に見るということは断じて違います。
大事なことは、天婚には覚悟が必要だということです。いたきものレベルが段違いに高い、ということです。最終回、下関にいながら、京で斃れる龍馬の知らせを受け、お龍がどんな想いにかられるか、その場面を見ながら、お龍がどんな覚悟を持って、龍馬についていったのか、感じ取って見たいと思います。

幕末の志士には、必ず女性の支援があった。晋作にとっての野村女史は志士を匿って島流しにされた。桂小五郎の幾松は新撰組に襲われそうなところを匿った。伊藤博文のように生き残ったら、ファーストレディとなるハッピーエンドもあるが、それは結果である。
封建時代における女性の生き様であり、現代における天婚の在り方はおのづと異なる。が、しかし日本の女性の気高さ・気品は、世界一であり、歴史を作ってきたことは間違いのない事実であり、陰の立役者であり、和を基調とする社会理念のベースに母性があることは、間違いのないことである。
今後、『母活』を基調として、世界が平和になるための日本女性の活躍が期待されるところでもあります。




posted by 大石 at 15:03| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

龍馬伝44「雨の逃亡者」

幕末江戸期と平成の現代。何が違うかというと(実際全く違うのだが)、昔の日本は、人と人とが人格を持って繋がり、信頼関係を持ち、その個としての関わりが組み合わさって、横糸や縦糸を通しながら、まるで糸をつむいで布を織るように、世界を創っていく様だ。そこが違う、と思う。
現代でも人間関係が大事、とはよく言われても、あくまで組織の人間としての顔を持ち、その人柄よりも組織人としてどれだけのものを持っているか、によって人脈の太さ、厚さが決まる傾向が強いのではと思った。

私が学生の頃は総合商社が就職人気のトップだったことは伝えたが、同期に親のコネで三井物産に入社した男がいた。同期会で名刺交換の際に、決まってその彼は「物産の○○です!」と誇らしげに言うものだから、(だからどうしたんだ?)と内心笑ったものだった。その後彼は当初の予定通り、親の会社に入り、今度は「専務の○○です」みたいに必ず会社の地位を言うものだから、本当に噴出しそうになったものだ。
懐かしい同窓生に会えるのが楽しみで、毎年、会に参加してきたが、やがて仕事や経済や景気の話ばかりするので、行かなくなってしまった。組織を離れたら一体何が残るのか、ということを考える勇気もない大企業の友人にとって、30手前で証券会社を脱サラし、独立した私の生き様など否定するしか、尊厳を守れないのか、常に馬鹿にする目線しかなかったのを覚えている。
東京に住んでいると、何でもあふれているようでいて、肝心なものをぽっかりと忘れ去ってしまう怖いところがある町だと思う。その点、大阪に住んでいた頃はまだ人と人が触れ合いやすい町だったし、福岡に住んでいた頃は、全く異空間に降りたような心地よさで、人が「生きている」、と感じた。
大阪は東京を意識しすぎて、かつては堺など世界的に開かれた港だったし、明治以前より商業の中心として栄えていたのだから、もっと独自の路線を行ってもいいのに、妙に東京に対してコンプレックスを持っているのが気になった。福岡は大企業の支店都市という色彩はあれど、独自の文化圏を形成していて、心にゆとりがあり、文化や芸術に目を向けている人が多く、多彩な生き方を容認しているようなおおらかさがあった。
何でこんなことを書いているのか?ふと、我に返ってみると、どうも、雨の中を逃亡するお元の生き様が頭によぎったからなのだ、と気づいた。
「行き場のない日本が大嫌い」というお元の絶望感は、今の日本とある部分ダブルところがあるし、住むところを転々としている私の深層にも共感する部分があるのだ。明治に捻じ曲げられた西洋文明の侵食、違和感のある文化的汚染、誇りに思えないようゆがめられた日本の歴史。顔と顔を突き合わせて、通い合う関係を結ぶことの難しい世の中に、閉塞感を感じることもしばしばあった。
しかし同時に、龍馬のように、みんなが笑って暮らせる世の中になる、その為に命を賭ける、という生き方にも共感し、その可能性を模索してみている。絶望感があるから希望の光が見えるのではないだろうか。

龍馬はあと数ヶ月で地上から抹殺される。ドラマ上の時間軸になぞらえて自身の中に「ある答え」を導き出したいと思う。

ー明治国家はどうして、ゆがめられてしまったのか。ー

この問い自体が、司馬史観から脱却できていないのかもしれない。けれども12月にはあの坂の上の雲が始まる予定だ。明治は素晴らしかった、それに引き換え、昭和の指導者は、というシナリオに日本中が染まるのか。その前に明治元勲たちが道を誤ったというのに?
2011年を前に、日本全体のコンセンサス(社会的同意)が問われているように思う。これから日本はどこへ向かおうというのか、と。

龍馬や晋作の志向した世界は、四民平等、自由な世界だったはずだ。それを華族制度や、天皇を政治的に利用して中央集権国家を形成していった。西郷隆盛とて今は(ドラマでは)討幕に燃えているが、目的を果たした後は、農業を基盤にした国家作りに乗り出したではないか。
今世界は、明治維新を雛形にして、その練習を踏まえて、新しい地球文明に目覚めようとしている、という歴史の中にいる。断言していい。日本が世界に先駆けて新文明創造へのモデルになる、というバースビジョンがあるのだ。

にもかからず(あえて上記検証を待たずに議論を進めるが)、龍馬伝の社会的影響はどこにある?
下関でもブームにあやかって、龍馬を観光に生かそうと躍起だし、NHKのプロデューサーをわざわざ東京から招いて、シンポジウムをした際に、質問者は「下関はドラマでどの程度出してくれますか。何回ですか」などと言う始末だ。呆れるのは「寺田屋事件でお龍は、どのくらい露出されるんですかねぇ」など下品な質問もあった。もし晋作が生きていたら、その場で「無礼者!」と切り殺されていただろう。私も、「いいかげんにしないか!」と叫びそうになった。息子がいたから抑えたが。
パネリストの古川薫氏にも呆れた。
「晋作は武士だから、人気がない。龍馬は現代人に通じるものがあり商売に強いから人気があるのでは?下関にも龍馬記念館を作るべきだ」と。それでも長州人かよ、と失望した。結局作家として知名度を上げたいだけなんだ、と直木賞そのものを蹴飛ばしたくなった。

言うなれば、志が商売の種になっている、これが龍馬ブームの真相だ。だから、天が怒って視聴率が下がっているのだとも思えてくる。もっと子供たちに歴史を学ぶ機会としたい、日本がどのように成り立っているのか、教える機会としたい。
一灯照隅。「歴史博士になる!」という志を学校の作文で宣言した5年の長男に、先ずは説いていこう。学校で昼休みに、図書館で借りた歴史の本を読みふけり、また借りては読む、歴史好きの長男に、ゆっくりゆっくり紐解いていこう。





posted by 大石 at 15:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

龍馬伝43「船中八策」A

江戸末期におけるバースビジョン的教育土壌の果実「船中八策」。龍馬がまとめた『新政府綱領(こうりょう)八策』、それらを土台として結実した『五箇条の御誓文』。明治国家の基本理念である。
果たして平成の世に、国家100年の計と言われるような太い柱(国是)があるか、あるわけはない、異人が作らせた憲法なのだから。
日本国憲法の前文には確かに優れた文面もある。しかし欧米流民主主義を押し付けられた面が色濃く反映されていて、数年前の改憲議論の際、憲法9条の議論ばかりで結局うやむやになってしまった。同時進行して打ち出された教育問題で、当時切り抜いた新聞記事には「道徳教育の時間数は増やさない(要は今だタブーであること)」「国際比較で落ちた学力向上が急務」との見解ばかりだ。つまり今の日本の文科省主導の教育土壌には、

『人生をいかに生きるべきか、世の中に役立つにはどんな自分になればいいか、そのために何を学ぶべきか、という根本を問い学ぶ《学問》をする環境はなく、知育を主体とした(英語を含む)学力向上が主目的であり、勉強する機会はあっても心の自立や立志を学ぶ環境ではない』。

個々の指導者は懸命に心の教育に取り組んでいるし、その成果はあちこちにあるだろうが、システムそのものが欧米に学べ、という明治以来150年間変わらぬ姿勢である以上、学校教育の根本は、恐らく何十年経っても変わるものではないと予測する。ゆえに「オルタナティブ・スクール」代替学校を提唱し、寺子屋を興そうとしているわけだが。

話をドラマに沿って戻そう。その前に、私が、龍馬伝を題材にして解き明かしたいこと=命題を明らかにする。
私の研究課題(バースビジョンのひとつと言ってもいいが)は、どうして幕末の優秀な志士たちの努力によって新国家が建設されたにもかかわらず、明治に入って明らかに曲がってしまったのか、昭和に入り戦争に突き進んでしまったのか。
国是とした富国強兵や文明開化は避けられぬとしても、和魂洋才の理念は、どうして形骸化し、西洋文明を骨の髄まで取り入れるようになり、今日の心の荒廃を招くまでの要因を形成してしまったのか、という命題を解くことである。

武士道を失い、精神崩壊を招いた因子を明らかにし、今後の日本のあり方や教育に生かせば、あるいは初期転原となり、国家の悪しき仕組みを破壊し、教育の根本を改めることが出来るかもしれない、と思うのである。キーワードは「みつたま」。これしかないと直感するが、学校教育に革命を起こす策はまだ見つかっていない。


「船中八策」。NHKを賞賛したい。龍馬の魅力を「オーガナイザー(まとめ役)」とした点を。龍馬が考えた策だとしたならば興ざめもいいところだったが。それこそがかつて書いたように、龍馬の持ち味であり、素直に人の話を受け取り、自分のものにしてしまう能力こそ、7,8という仕上げの段階に役目を持つ人物に不可欠な要素である。
背中に過去出会った人の想いを背負って、今を懸命に思慮深く生き、正面に出会う人に、その想いをまとめ上げて渡してゆく。映画ペイフォワードのようなバトンリレーが見事に描かれていた。


一.天下の政権を朝廷に返還すること
―――――これは木戸さんから教えてもらったこと
…実際は多くの識者が「大政奉還」を大策として描いていたが、誰も実行に移せなかった。殺されるのが怖かったから、とも言えよう。現代にたって果たして、殺されるほどの策を打ち立てた文献はあるのか、あるとしてそれを発表する勇気のある者はいようか。


一.上下2つの議院を作り政を進めていく
―――――これは横井小楠さんから教えてもらったこと
…横井もまた、先走った意見を出し過ぎて暗殺されてしまった。が、二院制議会政治の基本は、今も国会で受け継がれているようである。


一.公卿、諸侯を顧問に備え身分が低くても才のある者は登用すべし
―――――これは吉田東洋様が語られたこと
…仲間(土佐勤皇党)により暗殺されたからといって、意見まで無視しない。果たして嫌いな人の意見は聞かない、となっていないか、自分を見つめたいと思う。


一.異国との約定は対等でなければならない
―――――これは高杉さんが目指したもの
…対等な力を付けてから、開国する。その前に攘夷だ、という想いで二人は一致していた。死後、海援隊の陸奥がその志を受け継いで成就(不平等条約の改正)する。凄いバトンリレーだ。


一.古来の律令を折衷して新たな大典を選定すること
―――――これは土佐の河田小龍先生が言われてたことだ
…この件はわからない。ただ温故知新の願いは読み取れる。過去を全く否定しては、新たな世を築く立法は生まれ得ない。この考えは、明治になってどうなっていったのか。


一.海軍の拡張を行うこと
―――――これは勝麟太郎先生が目指したもの
…さて、この部分。明治日本の基礎となる柱の一つとなるが、龍馬としては侵略されない程度に対等な軍備を得たら、攻める必要はない、との考えだったはずだが。次回ドラマで龍馬の立場が危うくなってくる辺りから、「曲がってしまった明治国家」の匂いがしてくる。


一.親兵でもって、都を守衛すること
―――――これは武市さんの志だ
…この程度の志だと武市さんも可愛そうな気がするが、帝を国家元首とする大日本国帝国憲法へと武市の志は受け継がれたと言えるのか?


一.金銀物価を外国と平均の法を設ける
―――――これは久坂玄瑞さんが言われたこと
…西郷隆盛をして「久坂が生きていたら、わしなど参議などと言ってられなかった」と言わせるほど政治に強かった玄瑞。生きていたら本当に明治の政治はもっと、、、言うまい。龍馬とは萩で会っているから、本当の話か。

実に多くの想いを背中に背負って、活かし、生き抜いた龍馬。果たして自分にそこまで背負えるものがあるのか、子供たちに受け継ぐものがあるのだろうか、と思うと情けなくなった。

最近我が家では、2003年に制作したビジョンヨガ二枚組みCDを聞きながら寝たりしている。そのきっかけが、当時ラジオ番組に私が出演した収録CDを子供が探してきて聞いたことだった。
毎晩聞くものだから、自分の声がうっとうしくて二階にあがったものだが、次男はそれが心地いいらしい。「昔の声と今の声は違う。昔の声のほうが優しい」と。

その番組でパーソナリティーの女性が「証券会社に勤めてらっしゃったんですか?」という下りがあり、長男がすかさず「証券会社って何?」と聞くものだから、どう説明していいかわからず「う〜ん、また今度説明してあげる」と答えた。

その後、悩んでしまった。果たして子供たちに、どんな会社か、どんなことをしてきて、どんな風に世の中に役に立つ仕事なのか、説明しきれるだろうか、と。それより何より、証券会社なる存在を説明する必要があるのか、と思ったのである。
恐らく高校で習うかもしれない、しかし大学を出て社会人になったときに、それがそこ(就職活動中)にあるか、あっていいものなのか、との思いがよぎるからである。

自分がたどってきた過程を否定してはいない、バースビジョン歴に加えられるエピソードもある。しかしそれと子供の人生とは別だ。今、我が子に何を遺し、何を残すべきではないか、模索中である。

もっとも残すべきではないものが大半だが。そのうちの一つが、怒り声だ。次男は鋭い。(ハイ、気をつけます)

posted by 大石 at 10:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

[ [ 龍馬伝42「いろは丸事件」

あまりに有名ないろは丸事件。その時代考証は細部に渡っており、今回は正確な史実を基に再現された数少ないものであったと思う。そういう意味では龍馬のバースビジョンを語る上で想像ではなく、解き明かす事のできる出来事だ。
龍馬のバースビジョンのキーワードは「海」。貿易立国を目指す昭和期の日本の花形企業は、総合商社であった。その先駆けとなった龍馬にとって、まさに海は世界をまたにかけて商売する舞台であり、幼き頃より土佐の海岸で、(その向うはどうなっているのかな?)と想いを馳せたであろう環境が原体験となって、実業の道を志した、というバースビジョン・ストーリーになっている。

かくいう私も、大学の就職活動は、商社をメインに選んだ。中央大学経済学部で林ゼミという企業活動を研究するゼミに入っていて、商社班のメンバーだった。ドラマで弥太郎を創業者とする、三菱商事の先輩に訪問したものだ。輝ける三菱の先輩(中大からは年に一人かゼロしか採らない、当時典型的な学閥主義)曰く
「こんな会社やめた方がいいよ、頭のおかしな人が多いから。フロアに一人、いわゆるうつ病の人がいるけど辞めさせられないんだ」なんて希望をくじく言葉が印象的だった。その後別のM商社から過労死認定第一号など記事も出て、今の仕事を始めて、ようやく先輩の言わんとする事がよくわかるのだが。

話は戻して、いろは丸事件の処理能力は、龍馬の真骨頂であった。海で起きた事件を海をバースビジョンの軸にしている龍馬が、簡単に引けるわけにはいかない。次から次へと発想が浮かび、権力にひるまない強さも、海からエネルギーをもらっているようにも感じられる。

紀州藩の見栄、体裁、権威、しきたり、常識、見た目の大小、打算等に対して、
海援隊の仲間の信頼、時勢(移り変わり)、ウソのない志、発光したバースビジョンの力、知恵等の持つパワー。

本来は比べるまでもない差があるのでしょう。真にぶれない軸を有する者が、知恵も人脈も真の力も手にして権威に対峙した時の大逆転も起こり得ると言えよう。出来すぎた話ですが、現実にこの日本で起こった話であり、今の日本の権威で民衆を押さえつける圧力に対しても、打つ手はあるということです。

事件解決当時、龍馬は、交渉に薩摩藩士五代友厚、大阪商工会議所初代会頭になった人物をも味方に引き入れている。武士の時代から商業(あきんど)が力を持つ時代に入る、との読みを持った人物がこぞって龍馬の見方をしたのだ。「金を取らずに、国を取る」という唄が流行ったのも、気流に乗って世論を味方に引き入れる作戦の勝利。

気流の変化を読み取る嗅覚もまた、バースビジョン実現の最大の武器になる。

そのことは、言い過ぎる事のない重要なファクターだ。では、どうやって嗅覚を磨くかということになるが。そのことは折に触れて語ることにしよう。

posted by 大石 at 12:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

龍馬伝41「さらば高杉晋作」A

お龍(りょう)の台詞は志士としての風格そのものだった。龍馬が晋作を偲んで人はなぜ死ぬのか、「天が役割は終わったと、いうたからか」というような事をつぶやいたとき、そうでもないと思います、とお龍は言った。
「志を継ぐ人にとっては、始まりですから」と。こんな粋な台詞を言える女性もまた、志士と言えよう。

バースビジョンノートの中に、志の水準がある。21項目の中には、私たち現代人が到底及びもつかない崇高な志が書かれている。それは、
「自分が死んでも仲間がその志を引き継いでくれると思える」というもの。「晋作はんの想いは龍馬(あなた)に受け継がれたんですよ」、と言って慰めたお龍。まさにこの水準だ。
師、松陰先生が言った
「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし」との死生観を具現化させた晋作。また志士たち。
多くの人の心を捉えて離さない魅力がそこにある。し、また、今の混迷した社会の中で、志とは何か、商売をうまくいかせるための道具なのか、かっこいいからとりあえず掲げていることか、好きなことを始めて自己実現させるためのスローガン程度か、はたまた、痛みの伴う事柄はとりあえず避けておいしいところだけでつながることで志の共有としてしまうのか。

晋作や龍馬の生き様を通じて考えさせられる点は多い。
命を賭して、とまでは行かぬとも、自我レベルのわだかまりを融かさずして、どうして志が実現できよう。桂小五郎は、薩摩と手を結ぶことで長州の大半から裏切り者扱いされ、毎晩家に石をぶつけられたと言うし、龍馬は上士の後藤象二郎と組んだことでかつての郷士仲間から疎んじられ、自分だけ出世しおって!とののしられ大きな顔で帰郷することさえ許されなかった(史実かは不明)。

一つのことをゼロから成し遂げようとすれば、初期の段階では、どうしてもぶつかり合い、自己犠牲、我慢、発想の転換、他人への思いやり、理解、慈愛、共感、といった能力が求められる。そしてうまくいかなかったとき相手を責めることをせず、『人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』(西郷隆盛)の心境に立ち、自分の壁を乗り越え、克己し、事を成して行く。

明治維新とは、つまるところ、心の融和能力が勝る人物たちの大業ではなかったのか、研究するごとにそう思えてならない。融和能力がなければ、薩長同盟〜倒幕・近代国家への道も、土佐藩と海援隊の連携〜三菱商事の誕生もなかった。晋作の偉業は、奇兵隊の創設〜小倉戦争の勝利〜倒幕への一大転機にあるが、それとて武士階級の上層部に位置する晋作が、幼少より骨身に染み込ませた階級意識・優越感を超越し、融和させ、農民たちの心をつかんだ=四民平等への融和を図ったから成し得たことだ。
そこが凄い、凄すぎると思うのである。クエスト5の「融和」を経ずして、クエスト6「風の覇者」にはなれない。幕末の志士らの動き方からそれは立証されたと言えよう。


「さらば高杉晋作」@で疑問にあげた、果たして龍馬は、晋作の遺志を受け継いだのか、は「さらば高杉晋作」Bで答えを出そうと思う。
posted by 大石 at 12:11| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

龍馬伝41「さらば高杉晋作」@

うちの息子二人は、晋作の命日に(ドラマの最後に紹介された)終焉の地で催される会で、晋作が創ったという漢詩に基づく剣舞を披露した。報道陣の前でバッチリ決めて拍手を頂いた。
「内憂外患、我が州に迫る」。(内には20万の幕府軍、外には4カ国連合艦隊の来襲。まさに長州存亡の危機が迫る)。140年経った今、墓碑の前で命日に、そういう心境を謡った詩を詩吟で聞き、息子たちの剣舞で観、晋作の心境が目の前に迫って来るようだった。

高杉晋作のバースビジョンを解明し発表することは、私のすべき役目と考える。
「面白き 事もなき世を 面白く」。晋作の世辞の句はとうとうドラマでは出てこなかったが、その死に際から察する心境を台詞ではなく海岸にひざまづく姿で現そうとしていた。
今にも死ぬという大病人が海へ出れるはずもなく、駕籠につかまり芸子を囲んで騒ごうとしても身動きできず引き返した、という逸話があるくらいだから、龍馬と海岸で語り合ったことも、海へ一人で行ったとも考えられない。心象をイメージで現そうとしたのだろうが、製作側の意図は分からない。単に高杉の取材不足で台詞が浮かばなかったのではとも思われる曖昧さだった。

生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
死して不朽の見込みあれば、いつでも死ぬべし。

この松陰先生の名言は、晋作が手紙で獄中の松陰先生に「男子たるもの死をどう捉えるべきでしょうか」と問うた答えだった。
その言葉を常に身に秘め、(まだ大業の見込みがあるから、ここは生き延びよう)と判断し町人に変装して保守派の弾圧から逃げ出した晋作。今度は、内憂外患を打ち払い、徳川の歴史を転換させる初期転原としての大役を果たした自分にとって、不朽の見込みが立ったという打算はなかろうが、役目を果たし終えた、と判断し、いつでも死ぬ用意ができていたはず。
ならば、死ぬのが悔しくて志半ばの無念さで泣く姿はあり得まい。海岸でひざまずく姿が物語る心境は、まさかとは思うが、意に反して武力倒幕へと進むことになりそうだが、自分はもうそれをとめることができない無念さとか。
NHKがそこまで意図していたとしたら、たいしたものだが、少なくとも視聴者にはそこまでの深読みをさせられるほど分かりやすい描写ではなかったから、それは期待薄か。よって曖昧なエンディングだったと思う次第である。

今回珍しく製作意図に関して解明する記述をしているのはなぜかと言うと、晋作の思想に意外な一面が強調されていたからだ。それは「大政奉還」。
龍馬が後藤を通じて土佐藩を動かし大政奉還を建白する運動を起こしたのはよく知られている話である。(これを史実と断言したくないのも、あまりに出来すぎて、薩長同盟同様龍馬の手柄とする方が都合がよい、という政治的意図があったのではないか、と思われるからであるが、それは置いておく)また反対に龍馬と盟友であったはずの中岡晋太郎は、岩倉具視や薩摩と組んで武力倒幕路線を行くのも有名な話である。桂小五郎も基本路線は、武力倒幕であり薩摩の西郷らと歩調を共にする。

疑問に思うのは晋作が「大政奉還」を強く桂に懇願する場面だ。最後に発した晋作の言葉はこうだ。
「ここまでやったんだ、あとはよろしくやってくれろ。よろしくやってくれろ」。
感情的には、師松陰へのあだ討ちを果たすため、志の上でも、明日の日本を開くためにも倒幕は、絶対に成し遂げてくれ、という意味だ。それは同時に「討幕」でしかなかったのではないか、と思う。

それは、徳川慶喜が原因だ。
小倉戦争で幕府が負けた時点で、覚悟を決め後継者を決めぬまま切腹して果て、ルールに則りお家断絶、徳川の時代に自ら幕を引けば、あっぱれ。戊辰戦争から彰義隊、会津・函館戦まで血を流さずに済んだはずだし、死して不朽の人になれたはず。晋作も桂もそんな大人物とは見なさず、権威に執着するに違いない、抵抗してくるに違いない、と見限っていたので、討幕やむなしと判断していたはずだ。
また私が10数冊の晋作関係の本を読んでも、晋作が大政奉還を藩主に建白した形跡は一切ない。藩を救った大物だから晋作が献言すれば、「そうせい」となったに違いないのだ。しかし長州が藩論を大政奉還に持っていった史実は一切ない。
大河ドラマだけが晋作を龍馬と共に、大政奉還による討幕ならぬ倒幕に持っていった、龍馬が晋作のそれを引き継いだ、という「脚本」になっている、ここに何か意図を感じてならないのだ。

続きは、Aで現すとしよう。





posted by 大石 at 15:09| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。