2015年01月29日

文と長州とバースビジョン=その4;知行合一について=

幕末維新の流れはいつから始まり、いつ終止符を打ったのか、という歴史的な問いには、歴史学者の間でも未だこれという結論が出ていないらしい。が、それは解明出来ないのではなく、”したくない”というのが実情だと私は思う。何故か。
私は思うにどう考えても、大塩平八郎の思想から端を発しているとしか思えない。たった1日で鎮圧された1837年の大塩平八郎の乱を発火点として、そののちおよそ30年後の幕末期において安政の大獄で死罪となった松陰先生の「身はたとい・・留めおかまし大和魂」の世辞で倒幕へ向けて火が燃え広がり、明治維新後、およそ20年たった西南戦争で西郷隆盛が自決するまでの50年を一つの「区切り」とすべきだと思う。
その人脈(家系)的にも地縁的にもなんら系譜があるわけではない、これらの人物の思想と行動を共通するキーワードが、花燃ゆでも、登場した『知行合一』(ちこうごういつ)という行動規範だ。倒幕から維新はこの言葉たったの≪四文字≫で成し遂げられたと言って過言ではない。
尊皇攘夷の思想が成しえたのではない、尊王倒幕でもない。尊王開国という対立していた両者の融合理念で成し得たのだ。それゆえ『知行合一』を旨とする陽明学を学んだ者の中には、河井継之助もいた。佐幕派の中にも勝海舟のように佐藤一斎を通じて陽明学を学んでいる者もいた。だからこそ日本を変革する維新も成し得たんだと言える。思想的共通基盤があったのだ。思想と言うより陽明学と言う行動基盤があり、それを体得していた志士たちの共通言語が『知行合一』だったのだ。相対立する両側に陽明学をバックボーンに持っていた、という事は明治維新が世界史にも稀に見る奇跡の所以の一つだ。

会津陽明学なる一派も存在していたらしい。もっとも藩主が幕府に倣い陽明学(心学)を禁止の学問にした時期もありで、表立って継承出来なかったらしいが、その辺りも藩の命運を分けることになった遠因と言えよう。
その点、長州藩は、言論統制が厳しい当時では稀に見る柔軟な藩であった。先日村田清風記念館に行って来たが、村田は藩政改革に成功した変革者だった。その抜擢人事だけでも封建社会ではすごい事だったが、明治維新の先駆けとも呼べる大塩平八郎に感銘を受け、藩校のトップに会いに行くように薦めたという。村田清風に感化された松陰先生は、平八郎に会いに行った人から直接兵学を学んだというが、まさに『知行合一』を体得した人物を身近に感じた事だろう。
明治維新を語るにあたり、陽明学を無視しては正しく解明できまい。長州藩こそがこの『知行合一』を旨とする行動の先頭に立ち、周囲を巻き込み、維新を成し得たわけである。

『知行合一』とは陽明学の中に出てくる言葉で、言わば保守派の朱子学に対して、革新派の行動規範とも言える。大河ドラマ花燃ゆの台詞を拝借し説明するとすれば、松陰先生曰く

「自分の人生をどう使う?命をどう使うのか。知識など意味はない。行いを伴ってこそ知識は意味がある。
(己の主張する国家のあり方を論じた)想いが(幕府に)届くなら、命などは惜しくはない。(今の人たちは)日本国の危機に気付いていても動かん。じゃから私が動いてこの国を守らなきゃならんのだ」。

という想いに現れている。「知は行の始め、行は知の成り成り」と言う。「命をどう使うか、そればかり考えている」(ドラマの台詞)にて先生の熱い想いは、その場で行動の表れとなってゆく。
幕末維新の流れはいつから始まったかを国の御用聞き学者が解明”したくない”理由は、明白だ。陽明学を表に出させて社会秩序を混乱させたくない為政者の情報操作以外に・・・ない。

『知行合一』は、またバースビジョンを発露させ、命の使い道を見出す鍵でもある。今後、≪陽明学の成就としての幕末維新≫を、ドラマの進行に合わせて紐解いていくことにする。
そこに欠かせない議論が、孔子と孟子の違いと、松陰先生の解釈、その延長にある尊王論、そして国体論だ。



◆よもやま話◆
今、子供たちには、映画『るろうに剣心 伝説の最期編』をDVDで見せていた。次男から3歳の長女まで4人とも。≪長男は既に映画館で見てきた。「よかったよ」というので、DVDが出るのを待っていた≫。
子供たちは「二本差し」つまり武士が好きだ。3男聖也は、チャンバラ遊びするのに、小さい頃から、腰に二本
指していないと気がすまなかった。3歳の頃、
「どうして一本じゃダメなの?」と聞くと、「だって、・・・。かっこ悪いし。どうしてもダメなの!」と言い張っていた。武士の魂を呼び起こしてしまったかしら?理屈などないですよね、武士なら、どうして二本か、など。大小は当たり前ですから。聖也の心に揺さぶりをかけて、バースビジョンを思い起こすきっかけを与えたわけでした。

今日は、4男が鼻をグスグスやっているだけで「静かにして・・」と気になるほど集中していた。結構長い映画だったが、一言もしゃべらず、真剣に集中していた。全員だけど。私も含めて。
聖也に「これって本当にあった話だと思う?」と聞くと「いや、(違う)」と、聖也。「だよね。でも本当にあった話を元に、それを大げさにして作られているんだよ」と私。
本当にそうだと想う。深い物語だった。現代にも警笛を鳴らしている作為が感じられた。明治政府高官になった者達に「あんたらも元は武士だったんだよな。高官になって武士の魂忘れたのか?」と。
その言葉を浴びせられた者の中には、長州の伊藤博文(初代総理大臣)もいた。聖也に向かって私は
「伊藤博文って、どんなドラマにも良いイメージで登場しないんだよね。人気が無いんだよね。元は、晋作の弟子だったんだよね。」とだけ伝えておいた。悪役(火達磨で死んでいった・ししょう)の中にも、正義がある。その事を伝えたかったが、まだ言葉では伝えきれなかった。明治のねじれを解明するまでは、死ねない。そう心に誓って。代わりに分かりやすい、興味の持てる話をした。
≪本当は、「敵が死んだとき剣心の目に涙が流れたのは何でだと想う?」と聞きたかったのだが、私にはまだ答えられないから。何故、明治政府は、奇兵隊を裏切って(見捨てて)秩序維持を優先せねばならなかったのか、子供にも分かる理由がまだ見つからない≫

「ジャンプ力がスゴカッタ」というので、「あれだけ速く動ける人たちが、昔はたくさんいたんだよ。ピストルで撃つよりも速く後ろに回って(撃とうとした人の)首を絞めることが出来たんだ。引き金を引くよりも速く、ってすごいスピードだよね。(有名な武術家の本当の話)

「剣で勝つには何が一番大事か分かる?」と風呂上りの聖也に聞いた」「あのね、パワーがあっても勝てない。えい!ってやったときにかわしたらやられる。では、スピードが同じだったらどうする?」「うんーーーと、分からない。」「相手の動きを読むんだ。相手が何をしようとしているのか、それを読み合うんだ」と。

「それって、ドッジと一緒だよ。アタックするのかパスをするのか、読む。逆にアタッカーなら読まれないようにする。分かった?剣もドッジも同じだよ!いつもパワーはなくてもいい、スピードとキレって言っているでしょ、おんなじよ!」と。武術の達人や、るろうに剣心と、日頃のドッジと結び付けてしまう私。

試合は、元々死合いから来ているのだ。死ぬ気で闘え、とはスポーツの世界では良く使うが、死と隣り合わせと言う意味。だから、私は、
「当たって外野に行くって事は、死ぬんだ!」「いいか、お前はもう死んだんだ、そう思え!」と指導していた時期がある。それだけの覚悟を持ってキャッチせよ、と。
すると、お母さんから「うちの子にどんな教え方をしているんですか?
心が傷付いてしまったんですよ。死んだんだ、なんて!そういう言い方は辞めてください。」と叱られてしまった。それ以来、萎縮してしまった自分もまた、情けない。身に付いていない知識を言動にこじつけるからトラブるんですよね。分かってます。。知行合一の修行が足りません。。
以来先ず自らキャッチの極意を会得しようと。で、目下、高校生の球を取る訓練をしています。50になって動体視力が衰えて球が見えないんですね、これが。文武両道、山本五十六。≪この方も陽明学を修めたという≫「やってみせ。やらせてみせなば、人は動かじ」。これで行きます!監督の中では実践派を自認していますが、まだまだ。


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2015年01月13日

文と長州とバースビジョン=その2;至誠について= 文と長州とバースビジョン=その3;志の水準について=

松陰先生の志の高さは、国(長州藩)の面目を保つ為には、我が版籍も命も要らず。というレベルに達していた、と前回書いたがそれについて突っ込んで解明してみたいと思う。ドラマでは「長州人は友との約束も守れないのか」と侮辱される事よりも無許可で旅立ち自身や家族が非を責められても構わない、家族はきっと分かってくれる、という判断からの【義】つまり【正しいと思う心がけ】だった。
が私は、表面的にはそういう理屈を並べて周囲を説得し、内実は国状を早く知り対策を立てたいという想いに駆られての事【より高次な志、国を憂う想い】ではないかと想う。
話を解説に戻し、現在に照らして例を挙げ、その2では、
→日本の自立も面目も果たせないような悪法は、政治生命はもとより我が命を捨てても構わない。
としたが文法的に読みにくい。国のメンツを保てない(日米和親条約のような不平等な)悪法は、問いただし改善すべし、すなわち国を諫めて改心させようとし、それがダメなら死を以って抗議する、という意味になる。
さしずめ現代でも、沖縄で米兵が乱暴狼藉を働いても罰せられないなど治外法権がまかり通っていたりする。不平等条約は暗然として150年経っても生き続けているとは言えまいか。戦争で負けたから、と70年のくくりで見るのではなく、むしろ明治維新前後の日本と諸外国との関係性の推移とその思想的根拠を抉り出す事が未来に通じるのだ。ゆえに、平成の現代は第二の幕末を迎えている、と言われているわけだ。

幕末の政権を握っていた徳川将軍家は、朝廷をないがしろにした、国を憂う義があっても、勇がなかった。それでも、この時期の松陰先生は、まだ幕府を信じ、縛に繋がろうとも、至誠を貫こうとしていた。が、弱腰外交の姿勢は一向にかわらず、業を煮やし、倒幕(幕府を倒し新しい連立政権を立てる)を経て、討幕(幕府を討ち果たし天朝を基に新しい国家を形成する)論へと傾斜していく。
長州一藩の一浪人である松陰先生の、しかも牢屋の中で生み出された『草莽』思想と言動を『初期転原』とし、260年続いた磐石な政権が打ち砕かれていった。そのエネルギーたるや凄まじいものがある。
ちまたでは、やれ薩長同盟が転機だった、やれ坂本龍馬がそれを演じてのけた、など倒幕は複数の藩の力や脱藩志士たちの力が連動し成し遂げられた、と言われているが、それは歴史の表に表れている側面に過ぎず、真実ではない。全ての運動の原動力に松陰先生の存在がある。
かの龍馬でさえ、先生の草莽思想をインストールしている久坂玄随に啓発されて脱藩を決意したのだ。幕末から明治にかけて全ての事象の源を辿っていくと人脈が繋がっているか否かに関わらず、先生の思想が反映されている、と考えた方が日本と言う『国の根』を解明し、現代に生かす道(日本国のバースビジョン)が見えてこよう。

吉田松陰を研究する事が、源頼朝が開いた鎌倉幕府から、幕末維新を経て、明治・大正・昭和を形成した戦争の世紀を解明し、二度と戦争を起こさない国となる道(王道・和道)を平成の今、解き明かす事になるのである。
その事を大河ドラマ『花燃ゆ』で明治を生き抜いた先生の妹と言う柔らかい目線で脚本され、明治期に戦争(軍事大国)に突入する様を見て、「兄の志した日本は、こんな形ではなかった・・」と≪天から先生がささやきかけるが如くに≫語ってくれるであろう事を期待している。
その期待が裏切られた時は、私が代わって脚本を書いて進ぜようほどに。


◆よもやま話◆
今、子供たちには、絵本を読み聞かせたあとだ。でもまだ自分で本を読んでいる。メールが終わったら外へ遊びに行くという約束で、ずっと待っている。性格はその子によってまちまちで、次男は、3分に一回、「まだぁ?早くー!」とせがんだが、4男、6歳の琉磨は、何時間でもじーっと一人で待つ。
絵本好きで、結構文章が多い物語でもしっかり聞いている。漫画の時も多いのだが・・(笑)。
やはり言葉を覚えるのは絵本が一番だ。いつの間にこんな言葉を知っているのか?とびっくりさせられる。
(ここで外へ出て、一緒にサッカーと鬼ごっこをした後、再度、PCへ向かう)
しかし賢い弟が兄をバカにする発言には困ることもある。そこで論語や実語教のお出ましだ。
実語教とは、鎌倉時代の僧が編纂したといういわば小学生の教科書。ウチでは10年前より長男の時から実語教の素読は、3歳から始めて暗唱させている。当時はネットから検索し資料を作るのに苦労したが、今では、斉藤孝氏による子供向けの絵柄がいっぱいの教材が出版されていて、便利な時代になった。
おっと今日はまだ素読させていない、「琉磨、今日まだ実語教やってないよ。(本を)持ってきて、今からやって」というとすぐさま「ウン」とうなづいて書棚から斉藤氏の教材を持ってきて、スラスラと素読を始めた。
「己より弟(おとと)には愛顧をいたし、己より兄には礼敬(れいきょう)を尽くし」だぞ。兄ちゃんを大事にしろよ、(敬えよ)との想いで。
声は張りがあって良いのだが、ぐったりとした姿勢で読むので「ほら、正座で読みなさい!」と優しく言うと直ぐに正した。がーー、(あー、またまた。正座はしているが、背中が丸くなった。)「ほら、背筋を伸ばして!立腰だよ!」と言うと、直ぐに直した。小学生に上がる前に基本姿勢を身に付けさせたい。

立腰は、素読の基本である。と同時に、姿勢は至誠に通づる。根気良く習慣にせねばなるまい。

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2015年01月12日

文と長州とバースビジョン=その2;至誠について=

第二回目の言葉『至誠にして動かざるものは未だこれ、あらざるなり』は、最も松陰先生の特質と気高さを現している。そこで我が勝山ドッジファイターズでは、子供たちが練習開始時にこの言葉を唱和し、公式戦では『至誠』鉢巻を締めて試合に臨む。一応意味としては「真心を尽くせば人の心は動かないはずはない、と言う意味だ。だから『どんなに強い相手でも懸命に闘えば勝てない相手はいないのだ!』」と子供たちには違約し(拡大解釈)している。かくしてどうしようもなかったチームが冬の大会で県内第三位まで登り詰めた。
どのみち今の小学生に『至誠』の真意を伝えたところで通じるわけも無く、ただひたすら声に出して唱和(音読・素読)する事が尊い学習法である。江戸期に成熟した学問の基礎をなす素読は平成の世でももっと注目されるべきであろう。

さて至誠を最も尊ぶ松陰先生は、友の友情と自分の命を天秤にかけて、友を選んだ。当時脱藩は、死罪である。いかな武士とてそこまで至誠を貫き通せる御仁は他に類を見ない。藩主への、これもまた命がけの周囲の働きかけが功を奏し、死罪や遠島は免れ、藩士の身分剥奪及び謹慎処分となったが、花燃ゆでは、そんな覚悟の東北視察から戻った先生が、鬼の師匠から叱らせるのを自宅の周りを恐れて逃げ回る、という失態を演じ視聴者の笑いを取る場面があったが、閉口ものである。幕府の評定で死罪覚悟の申し開きの際、幕府要人暗殺計画を暴露してしまった至誠の人が、どうして師匠から殴られるのを恐れて逃げ惑うものか。堂々と所信を述べたに違いない。
一流の脚本家が二人も付いていてこの有様では先が思いやられる。もしも愛弟子の晋作がこの花燃ゆを観たとしたら、先生の尊厳を辱めたとして、NHKに殴り込みをかけ、プロデューサーを斬ったに違いない、それが至誠というものではないだろうか。
視聴者の受け(人気を上げるための小手先の演出)を狙って、歴史と人物を歪めおもしろおかしくその場をやり過ごし、給料や名声を得んがために番組の質を落とし、かえって視聴率を落とす羽目になる。目に見えた逆スパイラル現象である。何をかいわんや。
そう言えば、龍馬の大河ドラマをアピールするための、NHK担当プロデューサーなどがパネリストとなる催しに息子と行って来た事があるのを思い出した。その席で質問の時間があり、ある下関在住の男性はこう質問した「下関は、何回番組で登場しますか」と。それ次第でどの程度観光に力を入れるか測るという意図が見えたので、恐らく市の観光課か、大河ドラマ人気にあやかろうとする地元民だ。自分の利益の事しか考えていないバカな連中だなと思った。それだけではない。
その次の質問は「えーと、お龍が風呂場で龍馬の危機を知り、『捕り方!』と知らせに行く場面は、どのような姿で描く予定ですか」と。公然の面前でそうした破廉恥な質問をする人間が何人もいるのが現代の下関と言う地である。志の欠けらもない。ある作家さんはその催しでの発言で「晋作は人気がないんです、真面目で。龍馬のような華やかさがないから。だから下関に龍馬の記念館を建てるべきです!」と声高にPRしていた。(何を言っているんだ、この長州人は?)と耳を疑った。郷土が育んだ英雄をないがしろにして、メディアが捏造した要領の良い下宿人の龍馬を?著名な方なので名前は伏せておくが、晋作の本は売れなかったから、そういうのだろうか、と情けなくなった。皆が皆、どうしたら儲かるか、経済一辺倒しか考えていない。それが下関の実態なのだな、と悟ってしまった。地域そのものがバースビジョンを喪失している、と感じた瞬間だった。
大河ドラマ=観光開発の切り札、という図式が全国に浸透しているのだろう。それは悪い事ではない。しかしそれを起爆剤にして、深く歴史を洞察し現代にどう活かすか、もうすこし志を高く掲げて市民を啓蒙できないものだろうか、と思う。

松陰先生の至誠には、とても達する事が出来なくても、その下部概念とも言える『義を見てせざるは勇なきなり』ということわざくらいは、身に付けたいものだ、と私は日頃から心がけている。
義は、私の最も大切にしたいと想う心がけだが、その中でも最近は、『恩義』を大事にしたいと考えている。
物語に照らして、恩義を明らかにしてみよう、言うはやすし、行うは難し、である。

簡単に言えば、先生が脱藩の罪を犯した事で、姉(寿)の縁談が破棄されてしまった。しかしその因果関係は松陰には与り知らぬことだったが、罪を犯せば家族が困る仕組みになっているのは江戸時代の常識だ。では何故それを百も承知で国禁を犯したのか。それは、恩義ゆえのことではないか。同行しようと決めた友人への思い、それに、自分を育んでくれた藩への想い。

義、すなわち正しいと思う行い、とは、志の心から生じる想いだ。しかしその志のレベルは人それぞれ異なる。志の水準は私が書いた「幸せの未来が見えるバースビジョンノート」【以後バースビジョンノートと略す】にあるが大きく分けて三段階ある、それをドラマの第二話の筋書きに沿って解説しよう。
(→は、現在風に言えばこうなるだろうという事例)


◆第一段階◆
家族の幸せ【姉の縁談】を守るためには国の法律【脱藩=国禁】を守らねばならない。
→お姉さんの結婚が破談になったら可愛そうだから、弟の自分の立場としては、せめて婚姻届けを出し終えるまでは、不良や非行は慎み、社会のルールも守って親孝行をしよう。

◆第二段階◆
親友(宮部や約束した友人)の信頼を裏切るくらいなら、武士の身分【藩籍】など捨ててもいい。
→上司の言うままに不正を働いて顧客の信頼を裏切るくらいなら、辞表を出して会社の不正を暴くとしよう。

◆第三段階◆
国(長州藩)の面目を保つ為には、我が藩籍も命も要らず。
→日本の自立も面目も果たせないような悪法は、政治生命はもとより我が命を捨てても構わない。

・・・という具合に段階が異なる。当然だが、松陰先生は、第三段階のピンの位置におられる。
だがここで誤解してはならないのは、レベルが高い方が正しく、低い志は間違っている。故に、第一段階は義などではない、という考え方だ。これは違う。どれも正しい行いであり、義ある行為だ。今風に言えば価値感が違う、目指すものの違い、となろう。江戸時代の武士なら同じような価値観があったかと言えばそんなこともなかろう。先生の元からは幾人もの門下生が去って言ったというから、いぶかしげに観る眼差しは、相当なものであったと推察できる。家族への視線も然り、だ。

そうした反対する意見や、足を引っ張る視線、蔑視、誤解、裏工作、地位の剥奪、信用を失う事などをものともせず、初志貫徹できるかどうか、義に殉じて至誠をもって行動やビジョンを曲げぬかどうか、ここが凡人と武士の違いだと心得るべきだろう。
たとえ姉が結納を済ますまでは、学校でタバコをふかし退学処分になる事態は我慢しようと言う高校生弟がいたとして、それもまた立派な志であり、至誠を貫いたと言っていい。悪仲間からは臆病者扱いされたり、蹴られたり仲間外れになるだろう、それでも一本も吸わねば、松陰先生は褒めてくれたに違いない。
国禁を破って黒船に乗り込む勇気と、それとは、はたから観たレベルの差は有れども、約束としての重さは変わらない、立派な事だ。

◆よもやま話◆
今、子供たちは、学校に行って、サッカーを愉しんで帰ってきた。持久走コースを何週も走ったあと、6歳緒三男と20分くらいかかる帰り道を走って「ただいま!」と。
その子達には、ドッジボールを至誠を貫くことを学ぶ場として(チームを)用意してあげた。
次男海斗は本当は野球チームに入りたい、将来はプロ野球選手になる、という志があり、実際、5年生のとき強い野球チーム監督から強くお誘いを受けた。「ドッジもいいかも知れないが、将来を考えたら、今の内から是非うちのチームで野球をやらないか」と。しかし海斗の返事は、NO。理由は
「友達をたくさんドッジに誘ったので、その友達を裏切る事になるから、ドッジは辞めない。すいません。」と。利より義を取った瞬間である。松陰先生の言葉の素読の成果がこんなところにでているのかしらん?(笑)。

それが彼の小学生としての精一杯の恩義に報いる行為である。友情を裏切らない至誠の心だ。

(つづく)

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2015年01月06日

文と長州とバースビジョン=プロローグ=

新年明けましておめでとうございます。2016年は、大河ドラマ『花燃ゆ』から始まりました。自分が明治維新発祥の地下関に住んでいるから、そう切り出しているわけですが、時の首相が自らを「長州人」と称して意識している事、その首相が在籍中に改憲議論が沸騰した事、正月の日経新聞に花燃ゆ関連書籍の特集として、吉田松陰関係の書籍は当然だが、その隣に何と、憲法改正に関する書籍が含まれていたこと。

これらの事を直感的に関連付けるに、大河ドラマの中に陰に陽に時代の転換点を見出す事になりそうだ、と想った次第である。よもや松陰先生の思想や志を現代に活かして、改憲運動にまでつなげようと言う政治的意図が脚本に含まれているとは思い難いが、戦後70年の節目にして、およそ戦後最大にタブー視されてきた松陰関連の書籍や思想を世に再び明らかにされる一年となる事は予想できる。
少なくとも「身近な幸せを守ろうと懸命に生きた人たちの(心温まる)ホームドラマ」(チーフプロデューサー)などという表向きのテーマでは計り知れない隠れた『時代的メッセージ』を読み取る試みをしたい。

今年一年、明治維新を成し遂げた「長州人」の志を、下関の地から、思いっきり大胆に現していこうと思う。
「文と長州とバースビジョン」というシリーズ・タイトルを掲げたのは、いくつか理由がある。
女性に秘めた力をどのように発揮する事がバースビジョン(天命)に導かれるのか、という点を、文の生き様を通じて現して行きたい、ということが一つ。やはり主人公は松陰先生ではなく妹なのだから、その視線で変革の時代を観る事が、現代においても女性がどのようなポジションで社会に関わる事が「志に生きる」ということなのか、ヒントとしたい、という想いがある。花燃ゆの脚本の中には

ー明治維新は、志士たる男性の力のみで成ったわけではない。あまたの女性が鍵を握っていたー

というメッセージが、主人公の文はもちろん、文以外も随所に表現されているはずだからである。

二つ目は「長州人」とは何か、バースビジョン的視点で探って行きたい、ということ。そこまでアイデンティティを自覚するほどの連帯感や郷土への誇りや「自分たちの祖先が新しい世の中を創ったんだ!」という自負が正直言って感じられない。結局、観光に生かそうという程度で世の中の乱れや教育の荒廃を正そうという運動には結びついていない気がする。どことなく冷めている、というか、長い物に巻かれよという空気を感じてしまう。今年一年で萩・下関の地域の動向も探っていき、人脈も形成し志の高い人物との交流を通じて「長州人」の天命を現すという挑戦をしたい。

そして三つ目は、やはり日本のバースビジョンを大河ドラマ花燃ゆの進行に合わせて、つまびらかにしたい、という大それた構想の実現だ。例によって、直感的、空想的な根拠の薄い説得力のない文章となるだろうし、独善的な論理展開となるだろう。しかし、自分がやらねばならない、という使命感のようなものが自分を駆り立ててしまう。書籍にするには、論理の飛躍や誇張表現がマスメディアに相応しくないはずだ。
しかしながら、これまで人生50年生きた証しとして、構想実現をこの目に見ずとも、遺稿の一つでも残すことが出来たら、これ幸いである。

=プロローグ終わり=


◆よもやま話◆
今、子供たちは、論語の素読の真っ最中。6歳の4男が、4年、6年の兄ちゃんたちに教えている。
暗記している論語は200は下らない4男琉磨が一遍づつ叫び、二人の兄がそれに続く。「違う!違う!」と間違いを正し、ダメ出しをする4男りゅうま。3歳から始めた素読を昨年一旦休止してしまったが、冬休みからは、意味の素読も含めて再開した。笑いながら、楽しくやっている。(うん、久しぶりの光景に余は満足じゃ笑。)

四書五経の一つ論語を修めたら今度は、『大学』だ。こちらはバースビジョン教育に欠くべからざる教材だ。次男海斗はほぼ全文暗唱が済んでいるので、10歳になったし、そろそろ意味の音読も始めようと思う。父親オリジナルの意味解釈文の丸暗記。まだ6割程度しか完成していないが時間がない。学問とは、己の生きる道を知ることだ、と。勉強(強いる、強制の意。義務教育なればこそ、学問ではなく勉強とされてしまった恐らく明治期)が本格化してしまう中学に入ってからでは、学問を始めるのは遅い。

遊びと勉強の区別が付いていない未就学児が一番、脳が柔軟で、楽しく学ぶ環境さえあれば何でも吸収する素直さがある。そんな時に私は英語を覚えこませる事はしたくない。ことわざなど含め、美しい日本語を肌で音読で体得させたい、と願う。ひとえにこれが、江戸期に完成した学問体系を身に付けさせたい、それが明治維新の原動力となった、論語等の素読と読解、その実践こそ教育インフラとなり世界で唯一維新を成し得たとの研究成果による私の教育方針だ。
posted by 大石 at 12:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月28日

八重の桜と新渡戸稲造・内村鑑三

来年は、同志社大学の入学が増えるでしょうね〜。あれだけクローズアップされたら。キリスト教の伝道がベースにあったとは知らなかった。ラグビーが強いというイメージしかなくて。
ジョー校長は資金を米国から引っ張ってきて、自分の理想を打ち立てようとしている。「伝道の事はあいまいにして資金援助してもらった。学校設立だけだともらいにくくて。」と。表と裏を使い分けるというか、理想のためには多少のごまかしも必要と言うか、フィクションにせよ無から有を生み出すプロセスと言うのは、非常に参考になります。
「学校を維持するためには、お金が要る。大学を設立するとなると、商工会議所からの援助も必要だ」という八重の兄さんが言う。そうか、学校を作るにはまず、お金なのか、はやりそうなのか、と自分に置き換えて観ていると、色々考えさせられる。

私も全くの空想段階で、構想にすら降りていないが、「バースビジョン大学」を設立しようと志している。
その中には、医学部もあり、薬の要らない体作りを指導する医者を育てるのだ。(それはもはや医者とは呼べないが。)WHOの4つの健康を取り戻そうとする医者である。人生の目的を失った痛みを和らげる、という意味では立派なドクターだ。メスの代わりに、タッチを使う。

よって触育士養成学校を大学の下部組織に置き、卒業生は、認定触育士として登録され、地域の健康センター(現在の保健所のような機能を持つ)で働く。予防接種を勧めるために各家庭へ訪問する保健師の代わりに、きのこで触育法を、と伝え歩く。

同じ伝道なら、薬の要らない子供の体作りを教えるためのほうが、よっぽど家計にも良いし、地域社会の健全育成に役立つし、地方自治体としても医療費の削減になる。それらの具体的な手立てをお母さんたちに教える役目が、触育士なのだ。

キリスト教の伝道は、違う。神の教えに従えば救われる、と外部に力を依存している。そうした外部に依存し心のバランスを保とうとする教えだ。その帰結として西洋医術が発達した事は決して無関係ではない。それどころか必然的なのだ。神に頼る思想と医者に頼る思想と発想が同じだから。
だから平気で人の家に入り込んで、「なぜ貴方は、インフルエンザの予防接種を受けないんですか?」と押し付ける。あの保健師は、本当に宣教師かと思えた。二回も別の保健師が家に来ては、予防接種をしつこく勧める。その翌日にエホバの証人が宗教の勧誘に来た日には、全く同じ目をして、洗脳された集団にしか思えなかった。

手波法のタッチをしていれば、そんなもの(予防接種)など不要なのだ。感染などしないのだ。それは我が家の子供たちの10年間が証明している。これは思想などではない、実学だ。スキルであり知識であり、科学でもある。こーすれば、あーなる。と、車の運転を教えるが如く、誰にでも簡単に身に付くスキルだ。

そのスキルは、いまや未妊ケアに発展している。200万円からかけて辛い想いをして不妊治療をしている家庭が非常に多くなっている。その女性たちに、触育士が指導に入れば、半年もしないうちに妊娠した、という事例は数多く報告されている。
同じ伝道なら、キリスト教や医療といった、外部に頼る伝道ではなく(それは、麻薬のように永久に依存するシステムだから)、自身の力に頼る、その方法を伝えるほうがいいに決まっている。

それが、WHO世界保健機構の提唱する4つの健康を満たす道なのだ。
そのスキルを学び、教えることが出来る教師を育成する、それがバースビジョン大学の医学部の理念である。

その前身である教育は、タッチセラピー協会として、既に10年前から行われている。
薬を不用とする体を作るための医者を育成する大学。面白くないですか?
広がるほどに、病院がなくなる。街から必要性が次々失われる。そうなれば喜ぶのは国の予算を扱っているお役人さんのはず。赤字の病院に補填している地方自治体のはず。誰もが喜ぶシステムです。
そういう国作りを目指したい。

しかし国会でそうした話、つまりは『触育基本法』(既にたたき台は出来上がっているが)など可決されるわけはない。だから、私は、代替国家による、代替自治体を形成し、代替学校による、代替教育を施そうと思う。オルタナティブ・カントリー。いいんじゃないですか。

面白き 事もなき世を 面白く
住みなす世界を より面白く


触育士  大石健一

pS
そういえば、タイトルと関係ない方向に行ってしまった。ドラマで彼らを出さないのは、面白くないですね。
内村鑑三こそ真の日本人です。(続きはまた。。)

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2013年09月11日

引越しし現住所が変わりました。−PC不通のお知らせー

7月に下記住所へ引っ越しました。
〒751−0808
下関市一ノ宮本町2−10−8
電話番号は変わらず。PCアドレスも変わりません。

同じ学校の校区ですし、PCアドレスも変えませんが、工事に少々時間がかかっています。
メールをお出し頂いた方には大変ご迷惑をおかけしています。開通までご了承下さい。
何でも、NTTから電柱の使用認可を得るのに、1,2ヶ月かかるとか。現場の方の話によると、インターネットの親会社である中国電力との関係が悪くて、認可がなかなか降りない、とのこと。
(隣の大家さんの回線は同じ会社なのに、認可が出ているのにな〜。)

御用事の向きは、携帯メール
ken-2013@ezweb.ne.jp
または携帯電話
080−5233−2013
まで、お寄せ下さいませ。

尚、スマホは購入せず、ラインやその他サービスには入っていませんので、友達申請?された方にはお返事が出来ていません。(って意味が通じにくいかと思いますが・・)
かような状況で完全に、時代の波に付いていっていません。が、便利さの極みここに至れり、というネット中心社会には、付いていく気もなく、かといってPCその他のすべてを拒絶することなく、必要なことだけを取り入れながら、
ひたすら我が道を往く、といった生活です。

時々、こうしてネットカフェから近況と、今感じている世情をお伝えしてまいります。
ではまた。

大石健一
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2013年02月03日

八重の桜ー松陰の遺言を観てー日本の融和が始まったー

まさか敵方会津の物語で長州の話が一話あるとは思いもよらなかった。そう、今でも山口県人が福島に旅行に行くと、たいそうぞんざいな扱われ方をされて「来るべきではなかった」と落胆することもあると聞く。それゆえか、下関市長は福島に表敬訪問を定期的に行い「過去のことは水に流しましょう」というお詫びと融和の儀礼を執り行うという記事が新聞で流される状況だ。韓国との融和以前に日本国内を溶かさないと前へ進めまい。

「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」。

大河ドラマで二度もセリフを口にした松陰の遺言は、つまるところ、
「私の身が滅んでも志を継ぐ者が後に続くであろう、ただ我が身一つで、必ず立ち上がる者たちがいる。『誠を尽くせば動かせないものなど何もないのだ!』という叫びであった。これを現在の日本に当てはめて見てはどうであろうか。
ドラマでは、松陰先生は沙汰を聞き取り乱した、とあるが史実ではない。幕府の要人を襲撃する計画を自ら漏らしたので遠島から死罪になったということは史実だが、刑を執行した首切り役人が「あのような乱れのない囚人をかつてみたことがない」と証言しているし、松陰先生が牢獄の役人に向かって「これまでご苦労様でした」と頭を下げたという。取り乱していたならばどうして「(判決を言い渡されるために)呼び出される声を待つ以外に、もはやすることなど何も残っていない。嬉しいことである」などという詩を書けようか。(私の解釈文による)
史実は梅田雲浜に関わったことが罪状ではなく、それ自体は不問にされたが、あまりに簡単すぎるので幕府に言上仕るべく後々になって取り調べの際、幕府を諌めるために(暗殺を)暴露した、というのが真相である。

いづれにせよ、諌死を持って意見をする道を選んだ松陰先生の潔さに日本中が震えた、という臨場感を大河ドラマで演じた功績は大きい。無謀な攘夷を唱えた(ふりをした)松陰先生のメッセージは、決して日本を真っ二つに割るものではなかった。外国から舐められきったこの日本を何とかしなければ、何とかしよう、という魂の叫びだったのだ。

現代では日本の農業を潰そうと、西欧諸国の言いなりになって関税を撤廃されるなど恥辱の至りと、もし生まれ変わった松陰先生がおれば激を飛ばしたに違いない。最近のこのブログで日本の天職を「東西の媒酌人」「西洋と東洋の橋渡し役」として語った。内村鑑三氏の魂の叫びは、そのまま私自身の叫びであり、八重の桜の根底に流れ出るメッセージと重なって見えるのは私だけであろうか。

朝敵の汚名を着せられた会津の敵、長州の松陰先生を高く評価したドラマの脚本に、会津・福島と長州・山口の融和を意図した作品だと感じたのは私だけであろうか。恐らく、この後会津を滅ぼした薩長と会津の融和をシナリオに組み込むと読んだ。と予想していたら、今度は、井伊直弼襲撃の下手人、元水戸藩士の所属する水戸を討て、との幕府側の沙汰を覆し、会津の容保公は両者の「橋渡し」を行い事なきを得た。
会津ののどかな祭りの最中、喧嘩を仲裁した八重他も両者の融和を図った。そしてドラマの最後には、萩の松下村塾を映し出したー。「ありがとう」という言葉が出た。震災で苦しんでいる東北を励まそう、という趣旨が強く出た大河ドラマで、こうまで長州に敬意を表するかのような扱いを受けて、ありがたいことだ、と身が締まった。
今、すべての汚濁を流し、日本民族が真に融和し、世界の大調和に向けて一歩踏み出すべき時を迎えたのだと思う。
日本人の融和を図り、洋の東西の融和を図る。それが日本のバースビジョンなんだと。日本人に生まれた意味なんだと。そう確信させるドラマになってゆくものと期待するし、またその方向で自身の身のふりを研ぎ澄まされた感性で突き進んでいく意志を奮い立たせてもらった。

2015年に300人集めて下関にて剣舞を舞う演目が昨日決まった。2年前ほどから習っている剣舞にて昨年は審査委員長賞を受賞したのだが、この大イベントでの私の演目は、なんと松陰先生の世辞の漢詩であるという。
「我今、国のために死す。死して君親に背かず。悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」を吟じる中で舞わせて頂くことになった。我今、命懸けで松陰先生に奉納したく思う。

家族の融和は10年前から推進しているが、地域の融和を図る担い手をもっともっと育成し、日本の融和への道筋=バースビジョン国家論を明らかにし、世界の融和への架け橋となりたい。世界を結ぶひとつの橋、それが屋号ワールドブリッジの理念である。
「人と人をバースビジョンレベルでブリッジわーくする」「大いなる遊び場を地上に遺す」「互恵経済圏確立のめどを立ててから死ぬ」。これが私の人生理念である。

今、明治維新をもう一度起こそう、という下地作りが、どこそこで始まっているー。

posted by 大石 at 22:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月13日

ビジョンヨガと内村鑑三と日本の天職A

情報を得るために今の人たちはインターネットを使う。今では私もその恩恵に預かっている者だが、手書きの卒論を書いた大学生の頃の私は、情報は足で獲得する、という本能に満たされていた。

大学3年の春にタイへ一人旅に行った際に得たインスピレーションは、ホンモノだった。インドへの精神修養などではなく、東京でビジネスを行うべき。であるが、それは大きな使命のために行う娑婆(シャバ)でのビジネス修行に過ぎないのだと。
その感覚は確かな手ごたえがある。だがそれは、架け橋となること、何かの橋渡しを行う為のステップなのだと。その感覚を確かめるために翌年の旅に出たのだ。そうギリシャへー。ギリシャからイスタンブールへー。

私の脳裏には既に(日本の反対側のトルコへ赴き、そこから世界の文明の歴史を辿ってみよう、それしかあのインスピレーション(私の中ではオリエンタルタイムと呼んでいたが)を確かめる術はない。)という思いで一杯だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西洋物質文明と東洋精神文明の中間位置にあって、
その地理的・歴史的観点から見て、日本はその橋渡し役を
果たすべきである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私の無意識レベルはそれを認知していたはずだが、この時点ではまだ私の表層意識には現れていない。そこで
情報を足で稼ぐ習性がいつの間にか身についていた私は、あろうことか2ヶ月で世界の文明を辿るという無謀な旅を計画したのだ。
西欧はもういい。大学一年の時、米国西海岸(ホームスティとキャンプだが)に2ヶ月弱過ごして、ちょっとばかり目立つことをしたからといって(”トップショー”と称して50人くらいのアメリカの子供たちの前でコマで綱渡りの技を演じた)、女学生が抱きついて「Ken〜!ワンダフル!」とキスをしてくる、そんなハレンチな国はもうごめんだ。私は大和撫子の方がいい。

やはり文明はアジアから生まれた。4大文明を旅しよう!とかなんとか発想して、格安チケットを購入したことを記憶している。ただエジプト文明も観ておきたいと計画したが荷物が空港の回転テーブルになくて予定が狂い断念したが。航空会社が調べている間ギリシャで足止めされたおかげでロマンスもあったので結果良しだが。高校の同級生に宿泊宿のエレベーターでばったり会うし。

何の話だったか。
そうだった、ビジョンヨガと内村鑑三と日本の天職。これを描かねばならなかった。

発想の原点は、卒論を仕上げる以前に、1860年代、実に140年前には、内村鑑三氏により明確に描かれていたのだった。『今、日本国の天職がどこにあるかを知ろうと思えばまず第一に我が国の地理学上の形状について推究しなくてはならない。』と。そう私たち子孫に訴えかけた言葉を、私は聴いたのかもしれない。ギリシャで。

どうしても東洋と西洋の境界線に立たねばならない。ボスポラス海峡を見なければならない。そう直観した私は、ロマンスとも闘いながら(あ、日本人と交差点ですれ違い挨拶したら)、ギリシャからイスタンブールへの飛行機に乗ったのだ(その西宮のお嬢様と偶然同じ飛行機で。エーゲ海を一緒に見下ろしながら。1週間も一緒に旅し・・・いや、その話はまた別便で。。)

古代文明の発祥地ギリシャーインダス文明ー日本と飛び、世界をダイジェストだが肌で感じて確かな事は、西洋文明は産業革命の英国からヨーロッパに広がると共にアメリカへ渡り日本で花開いた。
一方アジアの精神文明はその真逆の進路を辿り、主に陸路【シルクロード】を経て、トルコ巨大文化圏ーペルシャ文明ーインダス文明(この辺りまでイスラム圏の影響が強い)−黄河流域(私は中国へは上海・しんせんのみ訪問)の漢民族ー日本(仏教・儒学など思想が流れ込む)という精神文明の流れがある。

この歴史は800年周期説として故村山氏により立証されているが、そのことも知らず私は足で歴史の潮流を掴んだ。
(と同時に彼女も掴んだのだ。あ、それはまた改めて。。やはり東京と大阪では文化も違い、心を橋渡しするには幼かったということで二年で破局。)

話が支離滅裂になってきてしまったところで、内村氏に登場願おう。

『日本は東洋ならびに西洋の中間に立つものであって両洋の間に横たわる飛び石(ステップストーン)の位置にある』
・・・そう、まさにその通り!

『右手をもって欧米の文明を取り、左手をもって支那ならびに朝鮮にこれを授け渡す位置にあるようなものである。』
・・・それ、それ!それこそ日本のバースビジョンを推し量る鍵です。

『日本国は実に共和的な西洋と君主的な支那との中間に立ち、キリスト教的な米国と仏教的なアジアとの媒酌人の位置にある。』
・・・媒酌人か、鋭い表現だ。私が卒論で示した、東洋と西洋の境界線。「21世紀文明へのシナリオ」〜東洋と西洋の調和の美を求めて〜とは、宗教論ではないが、端的に言えばそういうことだ。

『我等は常に他国の文明を吸収ならびに消化しうる力においては、十分の鍛錬と経験を経たことは歴史上著名な事実であり、私が維持するように日本国は東西両洋の媒酌者たらんとするには最も適当な教育を施されている者といわざるを得ない。』
・・・さすが内村鑑三氏。私は卒論で「間の文化論」という表現で、コミュニケーションは間にある、と論述しました。間の取り方次第では要は、行間を読めるというわけです、感性で人の話を理解する能力と言うか。つまり触覚であり嗅覚です。
ビジョンヨガでは、「サイレント・ナビゲーション」として間でメッセージを伝える技法を共有している、それです。


東西両洋の仲裁人、器械的な欧米を理想的なアジアに紹介しようとし、進取的な西洋を以って保守的な東洋を開こうとする。これが日本帝国の天職と信ずる。
日本人民は東西の間に起立して左隣の西洋より文明を輸入しこれを消化し変換し改良し、我等の西隣にあるアジア諸州にこれを伝えるべきである。
・・・内村氏の預言を要約すれば、「日本は東西両文明の良い面を素直に吸収しうる世界にも稀な地理的位置と感性を持ちうる民族であるがゆえに、その仲人役を務め、両文明を融和し、東西を橋渡しし、世界に日本文明を広げるべき使命を有する。」ということでしょうか。だいぶオリジナル解釈になってしまいましたが。

内村氏の著作の訳者もこう仰っています。(ブログのURLを失念しましたので引用のみ失礼致します)
当時、国民の血税の7割を軍事費に費やしていた政府を、厳しく批判した内村氏は、「戦争は大罪悪である」。これで「個人も国家も幸せになれるはずがない」。と訴えました。不敬事件で、「愛していた国民に捨てられた」と嘆いています。
しかし何でも言う。そして文書にして出版する。このような行動をするのには、大いなる勇気がいります。しかし、この過程を後世に遺したことにより、後世の人達が、今、内村鑑三の生涯を理解することができるのです。(ここまで引用)


 日露戦争前のこの頃、国の世論も、マスコミも上げ潮を信じた真っ只中で、日本の軍事大国化と太平洋戦争への突入、そして敗戦を、見事に予言して、内村氏は人々に、強く警告しています。


日本の天職は「文明と文明の仲立ち」。


その見果てぬ思いを成就させるためにビジョンヨガが産声を上げたといっても過言ではありません。「バースビジョンを実現させる心と体の基礎作り」が理念ですから。
その担い手たるインストラクターが日本の天職の発露を促がす役立ちをしても何ら不思議ではありませんし、20年前からそれは天に定められた予定調和、言うなればビジョンヨガ団体の天命でもある、と言えるのです。(この項終わり)


posted by 大石 at 05:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月10日

ビジョンヨガと内村鑑三と日本の天職@

ビジョンヨガと内村鑑三と日本の天職。さて今年早々に途方もないタイトルから始まってしまった。
感覚が先で知識は後、というビジョンヨガの教育方針は私の体の中にも染み付いている。何故今私はこれをしているのだろう?という疑問は、それをし終えてから考えればいい、という習性だ。すると考える間もなく、そういう意味だったのか、と悟る。知識から自身の行動の裏付けを取るわけだ。
この繰り返しで20年やってきた。
その成果を一つ、披露してみようと思う。ビジョンヨガは、明治時代に国の行く末を案じた内村鑑三氏の見果てぬ思いを果たすために誕生したなど、20年経て初めて知った、という話です。
内村鑑三氏とは、あの名著「代表的日本人」の著者であり、JFケネディやクリントンをはじめ米国の大統領がその著作を高く評価しているのは有名な話だ。その著作の中に、「日本の天職」というものがあることを今年正月に始めて知った。いやこれは嘘ではない。お恥ずかしい限りだが、ノーチェックだった。
やはり決めると手に入る、という法則は真実であり、日本の国家論を著そうと決めたら検索にヒットしたわけだ。天がそれをやれ!と後押ししているように。その「日本の天職」の訳書には、こう書いてある。

『人各々、天の命じた職に安んじこれに従事することによって、自身も幸福を得、世もまたこれによって著大の利益を得るものである。』

まさに。まさにその通りである。天職=天の命じた職。バースビジョンに沿った生業。職業。まさにその定義通りである。それさえ見つければ、天命を実現させるスタートを切れる、というものだ。
次に、

『人々各々天職ありとすれば、国民なるものもまた一つの集合体であり相寄って人間界を組織するものであるから、宇宙に目的があるのと同じくまた一個人に天職あるのと等しく、各国民にも特別な天職があって、全地球の進歩を補うであろうと考えるのである。』

凄い。
時あたかも日露戦争勃発前夜だというのに、いやだからこそ非戦論を唱え、言論界から抹殺されようとも怯まず、このような論文を発表したのだろう。まさに武士である。彼はクリスチャンなどではない。そういう仮面を装いながら、何とかして欧米人に日本を理解させようと工面した策だったように思う(魂レベルでは、だが)とにかく筋の通った真の武士だったと確信する。

内容には解説するまでもない。その通りであろう。私もバースビジョンDr.として、この日本の未来を憂いバースビジョン国家論を草稿せんと決意した。その中にはかなりのタブーが含まれている。
だからこそ内村氏の胸中を少しは察することが出来るのだ。当時の日本は「富国強兵」「殖産興業」を国是とし、中央集権体制が強固になった時代である。正月に「山本五十六」がテレビ放映されたので観たが、メディアも国民もあのようにロシアを叩け!と熱狂していたに違いない。

そんな戦争賛成ムードの高まる中で、だ。人間には天職が有り、国民もまた一つの集合体であり(日本にも)特別な天職があって、全地球の進歩を補うであろうと論じた。世間からは宇宙人か非国民か、迫害対象だったはずだ。ごくごく近いお弟子さん筋だけは信奉しただろうが。メディアは当然無視だったのではないか。
著作の中にある、日本の天職とは何か、結論を書く前に、こうした発想を頂いたことこそ、発明と文明創造への貴重な一歩だったと賞賛したいのである。

『自国の強大のみを求めて他国の利益を顧みない国民が、永久の富強に達したのを私は歴史上いまだかつて見たことがない。そうしてもし我が日本国もその希望するところの強大に達せんと願うならば、この動かすべからざる天理に従わざるを得ない。』

この意味は、軍事大国ロシアに宣戦してしまったら、後には引けない。富国強兵の国是を即刻改めねば、勝っても負けてもこの国は滅びるまで突っ走るだろう。動かすべからざる天理に従わざるを得ない、とはそういうことだ、しかし現実は、日本の中枢部は【日本の天職を一切省みることなく】(ここ重要☆)大国に対峙する道を選んでいる。天理に従って、日本は瓦解する道を選ぶのか、という悲観めいた預言に繋がっている。

『我が日本は、人類文明の今後の進歩ならびに発達に対して為すべき業を有しないのか。
日本はまさに他国の文明を吸収し、西洋の文明の美菓に飽き足りて満足すればよいのか。
日本国の天職とは何か、日本は全世界のために何をなしうることができるか。』と自己の中に問い続けた様子がありありと浮かぶ。

今、私たちは明治国家の成立と、昭和の敗戦までの軌跡を振り返り、平成の世に同様の現状を迎えている、との認識を持つべき時代を迎えている。原発問題然り、TPP然り。教育問題然り。医療問題然り。
それらに個々に対応する前に、一度考えてみたい。

『一体日本は、何のために存在しているのか』を。

内村氏の論文にその回答を得た気がした。「バースビジョン国家論」でその答えを出したいと思う。
内村氏の「日本の天職」とは何か、その結論と解説を述べる前に、こちらをご紹介したい。
私の大学の卒論の研究テーマである。タイトルは
「21世紀文明へのシナリオ」〜東洋と西洋の調和の美を求めて〜 1885年−86年に書いたものだ。

論旨は、西洋物質文明と東洋精神文明の中間位置にあって、その地理的・歴史的観点から見て、日本はその
橋渡し役を果たすべきである。というものだった。
文学部や哲学科や、歴史学部ではない。中央大学経済学部の企業研究のゼミに所属していた。あくまで企業の観点から文明論を起こしたわけだ。

この論文がバイブルとなって、ビジョンヨガが生まれた事は、バースビジョンノートの中にちらりと触れてあるとおり。インドのヨガでもない、ましてアメリカ発のヨガなどでもない、日本人の手による古今東西の叡智を融和して枝葉をそぎ落として、発祥した地球の贈り物。それがビジョンヨガだ。
日本人には吸収して自分のものにして世界に発信する能力がある、その事を論文には様々な視点で描かれているが、ビジョンヨガこそ、その一端を示す作品である。

しかしその発想の原点は、卒論を仕上げる以前に、1860年代、実に140年前には、内村鑑三氏により明確に描かれていたのだった。
『今、日本国の天職がどこにあるかを知ろうと思えばまず第一に我が国の地理学上の形状について推究しなくてはならない。』と。
2013年正月、それはビジョンヨガの知られざるルーツに出逢う旅から始まった。まさか日露戦争勃発前夜にまでさかのぼる事になろうとは・・・。

(つづく)
VisionCreator 大石健一





posted by 大石 at 15:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

謹賀新年☆2013☆ー年間テーマは『A10神経』ー

ご縁のある皆さま。
新年明けましておめでとうございます。

いよいよ2013年に入りました。
いよいよ、という言葉が「ホントに・・」とか「遂に・・」とか身が引き締まる思い・・などの反応の方はいらっしゃるでしょうか。それとも新たな年が始まるから気持ちを新たに過ごそう、という心境でしょうか。
各人各様の新年を迎え、一年の抱負を胸に描いていることでしょう。
久々に記事を書く2013年元旦に読んで頂くという、大変貴重なご縁を頂いた方々へ、私なりの2013年のメッセージをお届けしたいと思います。

私にとって2013年とは、証券会社勤務から脱サラし、1993年11月9日にワールドブリッジという屋号で東京は杉並区高円寺にて今の業務形態での独立を果たして、ちょうど今年で20周年目に当たる記念すべき年です。
ですので私にとって、いよいよ、とは、20年間の集大成とすべき年とせねばならない、という想いが一つ。
更には「いよいよ待ちに待った大いなる祭りの始まりだ」、との想いが一つ。この日を予見して20年前から地道に準備し、温めてきた「経済を癒す構想」を実現化させるべきスタート地点に立つのだという想いが一つ。

証券時代に巨額の資金が世界中を巡る様を見て、どうしたら戦争や過度な医療に莫大な資金が投じられることなく、大量消費社会を生み出す過剰な生産に頼ることなく世界中の人々が豊かに暮らせる世の中を作りだせるか、を考えて考えて考え抜きました。
ヨガで瞑想して空想して、浮上したひらめきを構想して企画にして計画し実行して、検証し、再試行を何度も繰り返し完成しては壊し、より精度の高いバースビジョン実現化プログラムを開発してきました。未だその構想のうちの20%も形にはできていませんが、それでもバースビジョンに目覚め、人生理念を掲げて実現化させている人たちの光源活動を見ると、目指す方向性は間違っていなかったと確信に至ります。

そして2013年は未だ世に現しきれていない20年の集大成とも言うべき構想を、世に示すべき時が来たと言う意味で、私の人生も大きな転換期に入ります。
今年、世に示す計画の20年の集大成とも言うべき構想は、論文形式で発表する予定です。小説として著す計画もありますが、文章力にも難がありまだまだ文章力を磨く必要がありますので、先ずは主旨をきちんとまとめて、日本が目指すべき国のカタチを明らかにしていきます。タイトルは、

バースビジョン国家論〜光源立国日本への道〜(仮題)

尚、2013年の年間テーマに定めた『A10神経』を軸にブログの再開を図り、コラムとしてその一部分を展開させます。

バースビジョンを目覚めさせ、光源となり、日本人として立派に人生の目的を果たすには、『A10神経』の活性化が鍵となります。いやそれ抜きに一歩も進めないでしょう。その意味も出来るだけ分かりやすく、事例を挙げながら文章を展開して行きましょう。
バースビジョンと『A10神経』。この組み合わせを解明することにより天命の発動、天職創造への道が開かれ、光源立国の基礎が出来上がるのです。

posted by 大石 at 21:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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