事を始める際に、私は決まって語句説明から入ります。意味も分からずそれを使うのは、非常に危険な事だと認識しているからです。
言葉とは人と人とが関わり合うときに有効なコミュニケーションの道具。道具である以上その取扱いは、その道具の持つ意味を知らねば扱う事が出来ない、誤った使い方をしてしまうかも知れない。
例えば英語を覚えたばかりの学生が、外国人を見て、「ヘイ、ユー!」と声をかけたら、こんにちは、と言っているつもりが相手にとっては「ケンカ売ってるのか?」と思われかねない。日本語なら「おい、オマエ!」と見知らぬ人に声をかけるわけだから。
言葉とは、自分が伝えたい事を正確に、伝えたい相手に届けてこそ、道具としての値打ちがある。
まして、天職などという通常生活では用いない言葉を扱うからには、慎重になる必要がある、と考えます。
そこで、辞書によると・・・。
・天から授かったつとめ。
・神聖な職務。
・自分の生まれつきの性質に合った職業。
とある。他の電子辞書にも同じような文言があったので、この一つで話を進めることにしよう。なるほど。
なるほど、そうか。と私はうなった。何故か。
いきなり、「天から授かったつとめ。」「神聖な職務」と来た。
(これは、一筋縄にはいかないぞ)と、背筋が凛と伸びたものだ。もう何十年も前になる。
自分の生まれつきの性質に合った職業。ということは、つまりは、バースビジョンの事ではないか、と。生まれ付いた時から備わっていた性質に、見合った神聖な職務であり、天から授かったバースビジョンを担う何らかのおつとめの事を指す言葉だという。
ならば、天職に巡り合うという事は、「自分が生まれて来た目的、意味を感じ取り、時に覚醒させ、その生まれ付いた性質を明らかにして、それに見合った仕事を探して職業としてこそ、天から授かったつとめを果たせる、というもの。
そんなことが、簡単に出来るものか、直ぐに実現出来たら、苦労しない。
と、遠く、遠くに思ったものだ。
ネット検索すると、こういうのもあった。
ライフワーク(英: lifework)または天職(てんしょく)は、人が生涯の仕事として人生を捧げたテーマのことである。
天職(てんしょく)は、人が生涯の仕事として人生を捧げたテーマ。
これには、しっくり来る。人生を捧げるテーマ。志を感じさせる。志すモノがなければ、天職とは呼べない、しかも生涯の仕事として。これも腹にぐっとくる、重い響きをお腹の奥で実感する。
しかし、ライフワークまたは天職(てんしょく)は、とある。これはどうしたものだろう。
ライフワークと天職は果たして同義語なのだろうか。非常に違和感があるのは私だけか。
ライフ=人生、これはまだいいとしても、ワーク=仕事。ここが違和感の根拠だ。
ハローワークとは、職業斡旋所。ワークとは凡そ日本人にとっては、働くこと、という意味あいで用いられることが多い。もっと言えば、稼ぐ事。
ところが、天職という言葉の定義には、元々、神聖な、とか、天から授かった、とか、凡そお金を稼ぐ仕事。という事を前面に出したワーク(働く)という事とは、結び付かない世界の言語のはずである。
言い方を変えれば「お金にならない天職は、天職とは呼べない」という意味は、語句の意味には全く、含まれていない。冒頭引用した定義でも、ようやく3番目に職業、という説明がなされている。つまり神聖な領域を担う職業。それをワーク、という日常用いる一般用語と、同系列、同次元で扱われている、と言えまいか。
私は、そこに大きな落とし穴が潜んでいる、と危惧している。
私もライフワークという言葉は好きで、よく研修でも用いているが、明らかに天職とは異なる用語として区別している。
私の著書「バースビジョンノート」(ビジネス社刊)に用語解説と時代背景という施設辞書のような索引が巻末にある。それによるとこうだ。
ライフワーク・・自己実現に近い言葉。好きな事をカタチにして表現すること。バースビジョンは普遍的なものだが、それを実現する形は成長の時期によって変わるもの。(以下省略)
必ずしも職業としての形を求めない、そう定義することで、自由度のある表現となっている。言うならば、お金にならないライフワークの段階から、お金を得られる段階まである、とも言える。いづれも共通するのは「好きであること」。
(ちなみに研修ではライフワーク発展の四段階を発明し提供している)
それに対して、「天職」は、こう、定義している。
天命を全うするために行う仕事・事業。その中には出産や子育てを担う主婦業も立派な天職に含まれます。
この後、詳しい時代背景や、英語圏における天職とはどう違うか、詳しく解説しているので、天職に興味がある方は、ご一読下さい。
今、ここで強調したいのは、2点。
出産や子育てを担う主婦業も立派な天職。と明言している事。2005年発刊の本で、きっぱり言っている。この事は別の項で重要案件として解説します。
もう一点は、天職とは、ライフワークとは次元が違うものである。ということ。
辞書の定義にも、ワクワクすること、とか好きな事を仕事にしたもの、等というニュアンスは、みじんも「ない」、ということ。ここを強調しておきたいと思う。
他の辞書には、こういうのも天職に位置付けられていた。その定義にはこうある。
花魁。おいらん。天神。
嘘ではない、調べて頂けたら直ぐに検索できる。かつて花街に働く女性たちの華であった。花魁道中とは、めったにお目にかかれない花街のトップレディを一目見たいと男性のみならず女性も子供も集まったという。
明治に入り文明開化、昭和で戦争に負けて、と色々な過程を経て、天職という言葉も歪められてきた。その結果、平成、令和になって、「天職で稼ぐには」とか、「誰でも天職が見つかる!」とか、安易でお金を稼ぐ手段のように、扱われてしまっている風潮はないだろうか。
神聖な職業という意味である、言葉の意味を知って、扱っているだろうか。
かといって、他の辞書にある「天子としての職務」と定義されているように、生まれ落ちた環境次第では、一般市民は手に出来ない高貴な身分の職業だ、と定義してしまう必要はない。
天職は万人に開かれている。
そもそも、仕事とはすべからく、天職であるべきだ、とも思う。
だから、私は、天職を知りたい、という方へと支援させて頂く。
さりとて、ハローワークのように行けば確実に天職に出逢える、天職先を斡旋してもらえる。というほど現実は甘くない。
仮に天職傾向が明らかになったとしても、その就職先としての天職企業群は、ほとんど育っていない。
天職を見つけ実現したかったら、自分で興すしかないのだ。
そういう過渡期を迎えている、と言える。起業は天職創造への舞台と言える。
そういう志を抱いた人と、他の天職を結びあわせ、新たな世界、新たな文明世界を築き上げていく。
天命に目覚めた人たちの天職と天職をブリッジわーく。
それが私の天職。
ビジョンリーディングでは、光源としての輝きを発掘し、天命の扉を開く。
そして天職への階段を昇って頂く。情報資源の汲み出しによるバースビジョンの目覚め、時の流れに同調した人生ルートの開拓、ピンポイントでの方策提示。
魂の翻訳機として機能し、バースビジョン開花をお手伝いさせて頂いてます。リーディングというツールがその私の天職を実現させるためのライフワークの一つです。好き、を極めた結果の結晶です。
VisionCreator
大石健一