2018年〜2025年まで。
何が起こるのか、何を起こさねばならぬのか。
シリーズ開始の手始めに、大まじめに世界各国に翻訳され、超有名なアニメから導き出された資本主義の終焉を予言します。
木の葉病院。
あのアニメの中に何度も出てくる病院には、一切器具がない。手術用具もない。あるのはベッドと花瓶くらいか。
これだけ申せば、ピンとくる方も中にはいらっしゃると思います。その先にあるのは資本主義の終焉だという事を。
ナルトの世界では医療器具が一切ないのは当たり前のこと。全て人体を通じて患者の治療を実現してしまうからだ。
戦場で先に打って出てはいけないのは医療班。傷ついた兵士を癒す事を任務としているから、先に死んではならないのだ。
刀傷であれ、何であれ、目を瞑り手をかざしてしばらくすると、傷口がふさがれたり、時には生命力を急激に回復させ、細胞を蘇生させる力を持つ医療忍者。その能力は、チャクラのコントロールで可能だ。
チャクラとは、治癒能力自体を活性化させるために不可欠であり、人間の身体を構成する膨大な数の細胞一つ一つから取り出すエネルギーである「身体エネルギー」と、修行や経験によって蓄積したエネルギー「精神エネルギー」を指す。これらを練り合わせて、それぞれの適性に応じた能力が開花する、その一つが医療忍術というわけだ。どんな能力が目覚めるかは、個々によって異なる。
医療忍術は自分のチャクラを相手のチャクラと同調させて、術を発動する。この点が我がタッチセラピー協会の理念に符合している。
我々タッチセラピストは、NARUTOに言わせると、「身体エネルギー」と「精神エネルギー」を練り上げてチャクラを練り上げて、術を発動することができる。という表現置き換えても、そういわれたらそうなるな、と納得の技法を提供しているとも言えなくもない。
私自身、あるクライアントの社長(当時短期だが経営コンサルティングを依頼されていた)から余命あと数日とされた奥様と話がしたい、という事で、週末医療病棟のような部屋に通された事がある。昏睡状態に陥っているやせ細ったお身体で大声で話しかけても何しても無反応のまま、何日もそうしているという。
そんなもうその時を待つしかないご状態でお電話を頂いても成す術もない。しかし最期に話がしたい、せめて意識を一瞬でも取り戻してお別れを言いたい、というご主人の願いは言葉こそ多弁でなくとも分かった。社長も私が何らかの能力を使って治療が出来る、と思い込んでいる。(と思われても仕方がないのも分かるのだが、どうしたものか)。
タッチセラピーって言っても治療ではなくて治癒でして。。などと説明しお断りするのは無情というもの。そこで「分かりました、やってみましょう」と伝えやってみる事と相成った。
奥様のベッドの横で座り、目をとじた。最初は中枢神経を刺激するべく指圧療法を試みようとしたが、ぽきっといってしまいそうな脆さで断念し、すぐさまタッチに変更した。しかし触れても壊れそうな弾力性のない皮膚感だと察し、またオーラ的な反応も全く感じられなかったので、医療忍者のような手をかざして行う手法は効力がない、同調仕切れないと判断し、避けた。
すると残る手立ては、・・・と瞑想しながら聞いてみた。考えても思考からは答えは出ない。経験したことのない微弱な生命力である。
だから相手に聞くしかない。聴く、何を?聴く、目的は?聴く、で得られる価値は?聴く、本当にいいのか?と。聴く、一体誰に?
何度も高速で自らの脳神経に微粒子を走らせ、問いを発し答えを受信し、そもそもこの施術はこのまま実施していいものかどうか、同意を得る作業から入った。(表現するとまどろっこしいが、タッチセラピー協会のルールブックには必ず相手と同意を得ること。という掟があるのでその手順(マニュアル)に沿って進めた。なにせ意識のない方へのタッチである。心の奥深く意識に直接コンタクトを取り同意を取り付けなければ、同調率は上がらない。そもそも倫理規定に反してしまいかねない。
そうして約15分程度か、ようやく僅かな微弱電流(というよりチリほどの生命波動)を私の受容器たる皮膚でとらえた瞬間を見逃さず、こう話しかけた。
「初めまして。あのう、ご主人が話をしたいと申しておるのですが、可能ですか?ほんのわずかなひとときで構わないのですが、如何でしょうか?」と。
むろん、こんな長いメッセージを伝えたところで、流れ星の数百倍のスピードで繋がった意識は、次の瞬間には消滅している。よって人に説明するための表記にすぎない。そもそも同意の段階では「すみません、コンタクトして宜しいでしょうか?」と打診する手続き、語り掛けがあった。書き飛ばしてしまったが、最初から治そう、蘇生させようとしても逆効果だから、対話したのはむしろ自分自身の方だったのだ。自己のフィルターを通過して、対話の許可が得られ同調が可能となったのである。ナルトがチャクラを練って術を発動した、という表現のそれと同じ、医療忍術の一つである蘇生術を駆使した、と言ったら言い過ぎか。
その次の瞬間、同調し相手の意識とコンタクトした次の瞬間、右手がピクっと動いた。(ご主人の驚きの声で目を開けると、確かにピクピクっと反応しているのが肉眼で確認できた。その時私の感情は一つも動かさなかった、動かしてはいけなかった、やったぜ!とか、奇跡だ!などと喜んだり、ほっとしたと胸をなでおろす反応をすると、すぐさま同調率が下がり、患者の心が閉じてしまうからだ。
あくまで意識を取り戻したのは本人の生命力であり、術者の力の賜物ではない。それは奢りである。
再び目を瞑り、話かけた(むろん目を開ける体力?気力、神経網は恐らくまだない。)わずかに灯った生命力をわずかでも増幅させようと、同調を試みた。がしかし、それ以上エネルギーが高まらない。(ここまでだな)と悟った私は、語り掛けのみ行った。
「どうされたいですか?わずかな時を共有されますか?それともこのまま眠られますか?」と。全ては自由意志。過度な期待や願望は負担となり、世の秩序を乱す元となる。ひたすら対話を試み、それ自体ストレスにならぬうちに、シンクロ率をさげてゆきシンクロカットして術式終了とした。
それだけでも(手が動いただけでも)社長は喜んでくれた。そして部屋を後にした。時間をかけてゆっくりと廊下を歩いたのを覚えている。急に電車に乗れば、自身の神経系統に異常をきたす恐れがあるからだ。以前、深い同調後直ぐにおしゃべりなど始めただけで呼吸困難になった事があるから慎重だった。
その後一週間して、社長から電話が入った。妻が死にました、と。そうですか、お気の毒に、と言おうと思ったら、嬉しそうな叫び声が耳元に届いた。なぜか・・?
「大石さん!あの後、笑ってくれたんですよー!信じられますか?医者はびっくり仰天でしたよ。息を吹き返したって。何をしたんですか?と詳しく聞かれましてね(困った困った)。ニコッと笑っただけで、その後すぐ息を引き取ったのですが。
どうもありがとうございました!!」。と。その後、お通夜に伺った時も、「いやあ、大往生ですよぉ、あっはっは」と酔いながら上機嫌だった。それっきりその所沢の社長とは会っていない。会っては行けない、となぜかとっさに思った、先方のまなざしを半ば遮るように、冷たい態度で関係を断ち切ったような気もする。(分からないが)
以来、蘇生術と名付けたこの手技(いや手は何もしていないので)、術式(というとオペみたいなので)、忍術(というと本当にナルトになるし(笑)、秘儀(というとオカルティックなどで)、戯れ(がしっくりくるかな)は、一切封印して今日に至る。
大変長くなってしまったが、こういう公に出しにくいことでもなく、通常の治癒技術を用いて不定愁訴の改善や薬に頼る治療の代わりを施すことが出来たら、間違いなく医療費は削減できます。
ナルト世代は、何回も何回も手をかざすだけで、治療を行うサクラや医療忍者たちのタッチセラピーを観ているので、世界中多くの若者が自然に潜在意識に「そういうのがある」という意識を刷り込ませているわけだ。そこに適切な手法で、安全に行えるルールを用いて、多くの人たちが可能な技術として普及させたら、どれだけの医療費の削減につながるか、一度計算してみたことがある。すると・・・・。
とんでもない額(数える言葉を知らないほど、がい?けい?忘れた)というわけです。
してその施術法(普及技術いわゆる養成学校設立のノウハウ)はこの世に存在している。
という事です。近未来の病院は木の葉病院のように、何にもない部屋となる。交通事故のオペは別として。それは預言ではなく、水面下で進行しているごく自然な日本の見取り図です。(つづく)