2015年12月10日

文と長州とバースビジョン=その7;忠義に生きるとは≪シリーズ完結≫=

花燃ゆも、ついに鹿鳴館まできて次回最終回となる。松陰先生や高杉晋作の思想や行動を通じてその先に”あるはずの”明治を語りたかったが、舞台は大奥やその引っ越し、そして群馬に移っていき知らなかった地方自治体から見た明治の姿を知れたり、なかなか見ごたえのあるシーンもあり満足だった。

が反面、描きたかった部分、明治政府の苦悩の選択について、あまり扱われなかったがために幕末と明治が切り離されたように見えて、どう扱ったらよいか分からないまま今に至ってしまった。
松陰先生の忠義に生きた時代とは、諸外国の圧力に屈しない形で源頼朝以来約400年間続いた幕政に終止符を打ち、天皇を頂く国体のあり方へと国のあり方を見直すこと。
その理念は明治に入ってどう変質していったか、あるいは山形有朋らに悪用されていったか、ドラマを通じて描きたかったが、なかなか難しかった。

そもそも忠義とは、天皇に対する忠義と捉えがちだが、松陰先生の生き方を研究していると、必ずしもそうではない、ということが分かる。晩年では、「幕府もいらぬ天朝(天皇)もいらぬ。ただわが身(六尺の体)があるのみである」と説いている。
自分一人でも立ち上がろうという気概を表す言葉であるが、あくまで国体として、天皇を象徴として扱っているに過ぎない事が分かる。
そもそも古来天皇に政治的な権力などなくても成り立っていた国家だったという、その故事に従い元に戻そうという動きが、幕末の尊王攘夷思想ではなかったか。

であるならば一たび幕府を崩壊させたら、近代的な政治形態に変えていくのはよしとしても中央集権国家ではなく、沿岸に奇兵隊をくまなく配置して防備に当たらせるなど各自治体に権限を委譲し、各県の創意工夫で産業を興す。その技術や人材を相互に交流し合って、日本の国体と自治権を守る。という互恵経済圏の確立に舵取りをしていったらどうなっていただろうか、と思うのである。
(飛行機のない時代である。上陸して来た敵兵を追い落とす事は奇兵隊の得意とするところで実際に長州で成功した。何も海軍など持たずとも、性能の良い大砲と上質な外交で時間稼ぎをすれば、30年もしたら強力な産業力を保持して対等な国力を磨き上げ、不平等条約など解消されたのではないだろうか、と)

先日の大河ドラマでも、国営の事業が赤字だからと次々と民間に払い下げられる、という無責任な事態に陥った。中央集権国家を目指した弊害である。しかし群馬の富岡製糸場だけは?生き残り、生糸を大量に輸出するための鉄道までも国の資金で引かせてもらえることになったという。

まさに至誠の現れである。

これぞ長州の力と言わずして何とするか、神奈川県令となった野村靖がどんな至誠を市制で貫いていったかを描くなどして、松陰先生の教えや理念が息づいている様を描き、地方創生に一石を投じるドラマがもっと見たかったが、中央集権の権化である鹿鳴館外交で終わってしまうという、寂しい限りだ。

忠義とは、天皇のために尽くす、ということなどではなく、己の心に忠実に生きる、ということであり、我欲を捨て、天命を尽くすことであり、それがその人にとっての義であり、その思い(義)に逆らって生きることは不義理だ、ということに他ならない。
つまりは、バースビジョンに沿って生きることこそ忠義の現れであり、そのカタチは日本人の数だけあるはずなので、その妨げとなる制度はすべからく廃止すべきである、というのが持論である。この考えは民主主義の理念とはいささかも矛盾しない、という結論に至ったのである。

花燃ゆが終わってしまう前に、ドラマの中で共感したことがあるのでいくつか述べさせてもらいたい。
一つには、明治維新とその後の日本の発展の共通性というか、現代とは何がどう違うのか問い詰めるに、現代と大きく変化したのは、家族の絆の在り方ではないかと、文の大河ドラマを観ていて思った。

御一新を成し遂げた原動力も家族、とりわけ家系の絆が強固だから、艱難辛苦を幾度となく乗り越えて、なお至誠を貫く事が出来たのだと。

突き詰めると母親を母上と、父親を父上と称する、当時としては当たり前の光景の中に、日本の将来を憂い共に立つ力がどこそこに生まれたのだろうと、そんな風に思えてきた。

志士たちの変革への志を支える尽きることのない原動力は突き詰めると母親の想いなのか、と。恩師や師匠のためにというエネルギーもあれど、比較にならない力で推し進められたのだろうと。男性エネルギーでまい進してきた国家作りも、その根幹に母性がある。日本は母性国家ではないだろうかと、そう思えてきた。

自分の立身出世や自分のために頑張るエネルギーなどポキっと折られたらもろいもの。君子と小人の差に関して、二十一回「孟子」を題材にして、説こうと思う、と大それたことを書いてしまって後悔したが、そう思えば、誰もが母親の母体から誕生したわけで、そこには例外はないのだから、どんな境遇の人でも、家柄が良かろうと悪かろうと、能力があろうが無能だろうが、母親の母性を受け取る感性があれば、尽きぬことのない無尽蔵のエネルギーで、幕末の志士のような働きができるのかも知れない。その結果が歴史に残るかどうかは別としても。

ドラマを通じて、家族の絆を見た。松陰先生の母親の出身地である「下関市≪旧豊浦郡≫滝部」に良質な温泉があり、何度も行ったことことがあるし、私にとって最初の萩ツアーはこの滝部温泉からスタートしたのだった。そうした縁のある滝部で最近、松陰先生の母、滝を顕彰する碑の除幕式があった。
有名なことわざ、

「親思う こころにまさる 親心」
  
は、松陰先生の句である。
  「けふ(今日)おとずれ 何と聞くらん」(先に死んでいく私の報せを、母は故郷の萩でどんな思いで聞くのだろうか。ごめんなさい)と続くのだが。
  
滝は先生の背中をよく流していたそうだ。
posted by 大石 at 09:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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