2015年02月19日

文と長州とバースビジョン=その5;恩義について=

私が最も好きな言葉として「義」がある。好きと言うより判断の拠り所とすべき指針が、「義」だ。
恩義にもとる。悖る。という言葉があるが、最近、恩義を知らない人が多い(多すぎる)ように想う。
誰の心にも良心があり、それを元から知っているのが人間であり、良心の中には、仁義礼智信という武士道の心得が含まれている。
そしてそれらの徳目は、五倫をベースに行われてこそ身に付いてゆく。すなわちお世話になった人(父母・恩師・国)へは感謝せよ、夫婦はそれぞれ役目が違う、兄を敬い弟を可愛がり、上下のけじめをつけよ。友達は大切にし、裏切るな。という教えだ。松陰先生の仰るところの

「けだし人には五倫あり。しこうして君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)だ。

・・・と解釈すると、恩義の意義も奥深い。

最近とみに「恩義」を知らぬ人間が増えてきたように思う。という危惧は私だけではないだろう。恩義をないがしろにする日本人が増えていく事は、日本が日本で無くなることにも通じる一大事だと思う。
「君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)とは、社会の秩序を端的に現している。秩序なき社会は無法地帯、法があっても目を掻い潜るごとく利己的な動きをしては社会は乱れる。

法があるなしに関わらず、守るべきもの、それが道徳だ。徳とは、元徳と明徳がある、とは前に書いたが、本来、父や母、兄、先輩や上司、教師といった目上の人から教わるものであって、学校のお勉強さえ良ければ身に付くものではない。父親に言われたことを聞き分けのない振る舞いをしたり、ハイと素直に聞き入れられないようでは、身に付かない。というわけだ。
そして父子の間柄に加えて、君臣を最も大なりと為す、とは直訳すれば、君(主君)に忠義を尽くせ、ということだが、現代ではもっと拡大解釈して、目上の人を重んじるべし。としても語彙として差し支えないだろう。目上の人とは、突き詰めれば、先祖であり、先祖の先にある国を創った人たちであり、ひいては天皇家の存続(皇統)のお陰で日本は、比較的平和社会を築いて来た、という歴史に感謝せよ、ということになる。よって、いわば、君臣父子とは、忠孝の二文字で現せる徳目であり、我が国においては忠(義)と孝(行)は別物ではなく、同一のものだ、という考え方を貫ける世界で稀な民族なのである。この項は、後々詳しく論じることとする。話を、恩義の重要性に戻そう。


例えば、中国。空がガスで曇って晴れていても青空が見えない。という事は、自然に対する恩義が欠けている、ということもあるが、人気アトラクションで並ぶ順番を横入りさせないために、見知らぬ人同士ぎゅうぎゅう詰めにする浅ましさ。上海は観光に使われるメイン道路でも生ごみの匂いが臭い。
そうした日本にはまずない光景が至るところにある、自己中心人間(自己チュー)の寄せ集め国家であり、その結実が有毒ガスで空が常に覆われた都市光景だ。

その精神性を突き詰めると、その心に恩義が欠けているから、と言える。海賊版CDと称される違法コピーが出回り、アーティストが知的財産を侵害されていても、無関心でいられるのは、「良い音楽をありがたいな」と思う、恩義の心が欠けた民族だからである。
CD一枚コピーするのは簡単だが、それを一枚制作するのにどれほどの歳月がかかって苦労を重ねて、人の手に渡るようにまでになれたのか、想像する知性を持ち合わせない民族、それが中国人だと断言できる。
そういう道徳心を持ち合わせない、あるいは教育を受けていない野蛮人が、人の創ったものを平気で盗み、人に見られて恥ずかしい行為を平然と振る舞い、あるいは、営業し利益を得る様は、もはや仁義にもとる浅ましい人間たちである。そういう輩に決まって、その(海賊版の)方が安く手に入る人が増えるのだから、どうしていけないの?と罪悪感のかけらもない、最悪の人種だ。

松陰先生に言わせれば、そういう輩は犬畜生と同等でしかない。

「およそ生まれて人たれば、よろしく人の禽獣に異なる所以を知るべし」。(士規七則)

人が犬畜生と違うところは、道徳心があることだ、だから道徳を失っては、もはや人とは呼べない。
つまり、人が作った知的財産を平気で盗み取っても罪悪感すら感じない者たちは、もはや人とは呼べない低俗な生き物なのである。そういう輩が日本にも増えてきたことを、私は遺憾に思うし、大いに懸念している。

かつての中国と違い、欧米では知的財産管理は徹底しているようだが、それはあくまで法で縛り付けた結果である。米国では弁護士の数が非常に多いが、江戸時代の日本では武士がその徳で裁いていた事実がある。警察官に相当する与力等の取り締まり役は、江戸の大都市でさえ南北の奉行所合わせても実に600人程度しかいなかったというデータが残っている、無法者はどの世界でもいただろうし、ご法度もあったろうが、いかに徳で治める国創りをしてきたかが伺える。法治国家と言うのは影でこそこそする小物を増やすだけのようで気になるも、現代では致し方ない。

かなり偉そうなことばかり綴ってしまって恐縮だが、恩義にもとる、という概念が染み付いていた日本人は、一体どこへ言ったのか、ご飯粒を一粒残しただけで「お天道様に罰が当たるよ」と言われ口に入れたあの頃・・・。人が見ていなくても、天が見張り役になっているから、心に恥じる行いをしまい、と自己を律する心を養ってきた子供たち・・。今、一体どこへ行ったのか。


◆よもやま話◆
今、子供たちは、未来少年コナンを観てから寝ている。コナンは、恩義を知った子だ。智・仁・勇の三つを兼ね備えた武士でもある。公園でばかり遊ぶ(それしか空き地一つない暮らしの中で)自然への畏敬の念を思い出させ、友情を大切にし、権力の壁を突破してゆく智恵と勇気を備えた、たくましい子供になってほしいと願って。
今の子供たちは本当に可愛そうだ。便利さばかりを当たり前のように与えられ、寂しくて泣いても、スマホのゲームを与えられて。「これで泣き止んでくれ」と言わんばかりの乳母車を引いた母親たち。先日、小学校の仮入学で校長のお話を聞いたが、その最中、ずっーーーとおしゃべりしている母親たちへ、たまりかねて「そろそろいいですか(話を止めても)」とにらみつけてやったら、黙ったが。毎年、学習発表会では、自分の子の出番が終えたら騒ぎ出す馬鹿親が後を絶たないが、PTA会長さんが「静かに聴いて下さい」とマイクで言うなど恥ずかしくて観ていられない。
自分たちがほとんど、家畜化していることに気がつかない母親たち。それを横目で注意しないで、やり過ごす大人たち。感覚が麻痺して、子供へのしつけも出来なくなっている悪循環。
さて、どこから何を始めようか、と考えている日々だが、答えを出したい。逃げ出そうか、と。笑、いや、それでは答えになってないな。。


posted by 大石 at 15:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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