保育園の保育士が、小倉で行ったビジョンヨガ教室にしばらく通っていた。北九州にある100人規模で乳幼児を受け入れるその保育園では、必ず、行う”儀式”がある。
それは、新規に入園希望の子供の服を少しだけあげて、背中全体をさりげなく見る、という儀式だ。何のために、そんなことをする必要があるのか、コミュニケーションのためか、最初は分からなかった。
その保育士は、寂しそうに語った。
「必ず、いるんですよ。背中にあざがある子が。そういう場合は、親と話し、「事実関係」を確認し、場合によっては、入園をお断りする場合もあるんです」と。
2007年早々の法改正は、「児童虐待防止法改正。「親責任」盛り、立ち入り検査を含む迅速な救済を可能とした。
予想通り。というか予定のコースと読むべきか。
イギリスの児童法では、「親権とは、親が(子を養育するという)責任を果たしている限り、子供に対して有するもの」とある。それを参考にした法改正だ。
これ自体は、取り組むべき対症療法であろうが、国が幼児教育に強制力を持ち、一元的に管理する体制への車輪が回り始めたと見るべきだろう。
その読みの一つの証しとして、昨日こんな記事があった。
ー学校行かない18万人ーホームスクール増加
家族が先生役を分担(毎日新聞)
つまりフリースクールにも通わない児童が、18万人もいるのだ。
そのことを、社会性が身につかぬとの批判も多く、国は「容認への動きはない。逆に締め付けが厳しくなるのではとの懸念もある。(毎日)」とあり、
恐らく、現状の流れでは、これらの自由放任の教育を「取り締まる」ために関連法案の改正となる可能性が高い。
また同時進行して、いじめの加害者の親は、罰金を払って、いじめられた子供への責任を取るべき、という風潮が高まるだろう。英国の児童法に習って、その事が、「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とした教基法改正の具現化として、決定される方向で、既に法改正が進んでいるに違いない。
教育委員長が、いじめ自殺問題で謝罪するということは、国が責任を取る=多額の慰謝料等を支払うということになるから、それは、たまったものではない、ということだろう。だから、問題が多発する前に、法改正して、母親に責任を押し付けてしまえ!ということだ。
幼稚園・保育園が、義務教育になるということが前提とすれば、学級崩壊やホームスクール激増、校内暴力多発など崩壊現象を食い止めることが不可能な事態に陥る前に、秩序維持のための強権発動が可能な体制を今のうちに整えねば、国の威信にかかわる、というような危機迫ったものが、各種法改正を急ぐ理由に他ならないと、私は考えます。
よかろう。それも、よかろう。
流れに竿をさしても、くたびれるだけだ。それに、締め付けが厳しくなるほどに、自分の首を絞めている、ということを、教えてあげよう。
教育現場の悲鳴からもたらせられる将来予測を、次に読み解いていく。
2007年01月09日
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