2010年12月08日

龍馬伝48「龍の魂」 薩摩が斬る?龍馬の描いた未来

真の武士道とは何か、己の心に忠義を尽くす道である。故に誰に命令されずとも己の生きる道を模索し、貫くことである。己の道を貫くとは何か、それは、一言で言えば、バースビジョンを実現する道を究めるということだ。武士道の中にバースビジョン発見の鍵がある。
薩摩の取った行動から龍馬観を紐解く。というテーマの今回。幕末維新は、地球文明創造への原型、と前回書いたが、まずは龍馬の暗殺犯に言及してみよう。明治は成ったが、その成り方と龍馬暗殺が無関係ではないと思われるからだ。ドラマでは結局見廻組・今井信郎が役者名の上に出てきて真犯人を確認したわけだが、薩摩の西郷・大久保が暗殺を指令したという説もあり、ドラマでその伏線を匂わせた辺りに注目してみたい。

西郷「(坂本が『○○○』に入れようとしてるのは)徳川か?」
大久保「そげなこつになれば、今までと何も変わらん!
    やっぱい、徳川家は滅ぼさんにゃならん」
中岡「大久保様。徳川はもう、政権を返上したがです!今さら戦は無用ですろう!」
大久保「じゃっどん、未だ徳川は日本一の大大名。
    まだまだ力を持っちょいもんでなぁ……」
中岡「ほいじゃき龍馬は早う新しい政府の形を作ろうとしゆうがじゃき!」
大久保「おはんは! 坂本龍馬によかふうに転がされちょっとじゃ」
中岡「何じゃと……!!」

この後、「言ってはならん人物(慶喜)を口にしたらその場で(龍馬を)たたき切る!」と、中岡犯人説もこの台詞で匂わせていた。
龍馬「中岡。わしを斬る前に、よう考えてくれや」との台詞も残した。あり得る話である。NHKとしてはそれで十分だったのではないかと思う。視聴者を煙に巻いたような脚本ではあったが、歴史を考える時間を与えたのだ。(新説を披露するには勇気がなかっただけかもしれないが)。
薩摩が武力討幕路線をひた走り、龍馬の平和路線を邪魔する設定で描かれていて薩摩が邪悪の塊のように見えるが、それは現代風に見た認識であり、平和ボケした平成日本からは推し量れない「ギリギリの選択肢」がそこにあったのだ。

春嶽「……その高いところに座ると、みんな気持ち良くなって……
   そこからは降りたくなくなるもんじゃ」
龍馬「慶喜公は……降りて下さいました」
春嶽「あのお方だからこそ、できたことじゃ」

ここには嘘がある。表では政権を投げ出した振りをしてその実は、混乱した新政府を再び奪い取ろうという狡猾さが慶喜にあった。
人間の欲を知り尽くした一枚上を行く薩摩大久保・西郷が見抜き、慶喜も徳川も潰せ、と判断した。正解である。ドラマでは執拗に慶喜の狡猾さが頻繁に出ていたが、大政奉還後も高いところから降りる気はサラサラない!というシーンをちらりとでも出してくれれば、薩摩の名誉ももっと保たれたのではないかと思う。

弥太郎「けんどの、けんどのぉ……龍馬は殺されるほどの……
    殺されるほどのことらぁしちゃあせんがじゃき!」
今井「坂本龍馬……その男は、徳川に忠義を尽くす、我ら侍を愚弄した。
   我らのすべて……我らの全てを無にしたんだぁ!!」

武士としての矜持を見せてくれた場面だが、これも筋が違う。武士とは何か。家族を守り、藩を守り、国を守る役目の者だ。諸外国から国を守るために徳川が不要となれば、潰してでも日本を取らねば武士道ではない。
そういう観点では、薩摩の読みが正しく、徳川をやたらと温存する、ぬるい龍馬の見識では新政府樹立もままならず、権力が分散したままもっと大規模な内戦に発展していた可能性もある。さすれば儲かるのは武器商人たちである。
彼ら(グラバーなど)と密接につながっていた龍馬は、フリーメーソンの手先として見なされ、徳川温存策が大規模な内乱を招く事で潤う諸外国の付け入る隙を与えぬために、龍馬を斬った(暗殺を支援した)というシナリオが浮上してくるのである。
西郷は国を守るために龍馬を見限った。そこまでNHKでは描けまい。描く必要もない。新撰組をかっこよく扱い、篤姫で徳川を美化した後にあそこまで徳川の権威を落とし、近藤局長をして「(先のことなど(わからん)」と情けない言葉を吐かせたのだから、十分だと思うのである。歴史は勝者と敗者の両側から見ないと片手落ちですよ、というメッセージを大河ドラマのシリーズで投げかけた、と言えよう。NHKのバースビジョンの一つか?さて、
人生が成就したのか、未達成のまま終えたのかは、死に際で見極めが付く。そういう意味では、龍馬は、成就したのだと思う。役目を終えたから迎えに来たのだと。

真の武士道とは何か、己の心に忠義を尽くす道である。故に誰に命令されずとも己の生きる道を模索し、貫くことである。己の道を貫くとは何か、それは、一言で言えば、バースビジョンを実現する道を究めるということだ。

このフレーズは、今後よく使っていこうと思う。

薩摩の人間が明治の方向付けをし、現代にも受け継がれたものがあるはずだからだ。温故知新。と書いた、その真意を上記記述から読み取ることができたであろうか、薩摩も、そして長州も決して無益な武力討幕を望んでいなかったのである。それ(戊辰戦争)をさせたのは、慶喜であり、覇権主義思想である。
これを現代に当てはめると、イランやアフガンで武装蜂起し、中国・北朝鮮で核開発やミサイル配備するのは、米国が覇権主義を改めないからである、と言う歴史と符合する。
政権を返上する(世界の警察官であることを放棄する、あるいは覇権国として主導権を明け渡す)と事上げをすれば、済むだけの話である。
「キリスト教圏以外の宗教や文化も、ネイティブアメリカンの文化も認めます。これまでの迫害の歴史は大いに反省します。ごめんなさい、歴史の過ちでした」と融和すればすむことである。それが出来ない。

口では核をなくすと言いながら、ステルス戦闘機を極東配備する様は、大政奉還しながら裏で政権奪取をもくろむ慶喜と一緒である。

ならば日本も武力討幕よろしく米国一極主義の覇権国に対抗すべきか?軍事技術は世界一であり核開発能力も優れているらしいが。答えは、否。だからと言って龍馬の言う平和主義では、新しい世の中は開けないことは、歴史が証明した。現実は日本の技術と資本と人材が軍事開発や軍備の増強に注ぎ込まれている。覇権国米国の側近として日本は位置している、それでいいのか?
日本の取るべき大局策は?

答えは、晋作の思想と行動美学の中にあるように思う。晋作、死す。の続編で明かそうと思う。


こちらのブログに、日本の取るべき道のエッセンスが描かれています。ご参照ください。
武士道と寺子屋馬関塾と腰椎4番と「バースビジョン国家論」
http://tenami.seesaa.net/article/56748594.html



posted by 大石 at 12:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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