2010年12月06日

龍馬伝48「龍の魂」からバースビジョンを読む

男児、志を立てて郷関を入ず。学もしなるなくんば、また帰らず。骨を埋める墳墓の地。人海至る所に青山あり。
長州の勤皇僧月性が読んだ歌で意味は、「男たるもの、ひとたび志を立てたなら、その志を全うするまでは決して郷里に帰るべきではない。海でも山でも骨を埋める場所などどこでもいいのだから、死ぬまで志を貫け」。お〜い竜馬では、旅に出る我が子竜馬を送り出した時、父親が言った言葉でもある。

果たして、龍馬は、志を全うして逝ってしまった。何かと批判の多い大河ドラマではあったが、その中でもしっかりとバースビジョンを描いている場面も多々あり、そこを私は評価したいと思う。最終回から、バースビジョンとは何か、という事を読み取れるシーンを回想し、理解を深めていただこうと思う。

弥太郎「けんどの龍馬。人がみんなぁ自分のように新しい世の中を……
    新しい世の中を望んじゅうと思うたら大間違いじゃぞ。
    ……口ではどう言うちょったち、いざ扉が開いたら……
    戸惑い、怖気づく者は山のようにおるがじゃき。
    恨みや、妬みや、恐れ、保身……そのうち怒りの矛先はおまんに向くろう。
    ……わしには分かる。眩しすぎる陽の光は、
    無性に腹が立つゆうことを知っちゅうきにのぉ……」

この台詞は、理想や志を抱いて活動する全ての人は、肝に銘じておくべきかと思う。

龍馬「……。……おまんの言うとおりかもしれん。
   わしは……わしは気付かんうちに、人を傷つけ、人に恨みを買うちゅうかもしれん。
   ……『世の人は、我を何とも言わば言え。我が成すことは、我のみぞ知る』。
   ……わしはの弥太郎。自分にできることをしただけぜよ。
   おまんもそうじゃ。おまんの思うように、思うように好きに……好きに生きたらえい」

誤解であれ、先に行く人を妬む視線は、みぞおちでしっかりと受け止め融和した状態で、突き進むことが肝心だ。それでも孤独感を感じたら、この龍馬の句をみぞおちに向けて唱えたらよい。
そして自分の成果や功績を人に評価されることを望まず、自分の中に満足感を覚え、人には人の役割がある、それを見つけたらいい。という具合に立場や能力や役目の違いを理解するセンスを実につけるとよい。例えば、

龍馬「おまんはのぉ! おまんは今、この……
   この金で世の中と繋がっちゅうがじゃぞ! 弥太郎!
   おまんは、この金で……この金で、日本一の会社を作って、
   日本人みんなぁを幸せにせんといかんがじゃき。
   それはのぉ、それはわしには到底出来ん!
   この世で、岩崎弥太郎ゆう男だけができる大仕事ぜよ!!
   わしにやるべきことがあったように……
   おまんにも必ず、必ずやるべきことがあるがじゃ!」

龍馬は弥太郎の商才を見抜き、金儲けを人生の目的にしているようでいて、人の気持ちのわかるリーダーとしての資質を発揮してもらいたいと願っている。大政奉還直前に銃を売りぬく相場観は圧巻であり、土佐藩の上士たちが一緒に働かせてくれ、と言われる場面は、壊れ行く武士階級によって職を失う多くの人々の暮らしを明治になり助けることになってゆく。

また、
龍馬「以蔵。おまんは優しい男じゃき、人を助ける仕事が向いちゅうのぉ……」

と地位や名誉だけが、成功ではない、「人賢愚ありと言えども、各々一二の才能なきはなし」(松陰)ということを伝えている。

   「高杉さん……高杉さんが夢見た、新しい日本が来るぜよ」

この台詞にも、同志の遺志を受け継ぎ、背中に同志の思いを背負って自らの志に乗せている事が見える。晋作がドラマでは大政奉還を策としていた点を議論するはずだったが、製作側の意図はないものと判断した。刺客が戸を叩いた時「中岡の妻です」などとあり得ない脚色をする辺りの愚と同じで、とりあえず思いついたままに脚本を書いた、というだけだろう。
晋作が見た倒幕後の日本の未来は、外国と対等に渡り合える国造りだ。それが果たせたのかどうかは、今後じっくり扱ってゆきたい。

ひとまず新しい日本のビジョンは、ドラマ上、「デモクラシー」(民主主義)であることは間違いない。
中岡「あの『○○○』! 誰の名前が入るがじゃ。答えや……龍馬!!」
龍馬「それはのぉ、『みんな』ぁじゃ。
   あの『○○○』には、『みんな』が入るがじゃ。
   上士も下士も無い、商人でも、百姓でも、志がある者やったら
   あの『○○○』には誰もが入れるがぜよ!
   それをのぉ……それを、みんなぁで選ぶがじゃ!
   志のある者をみんなぁで選ぶがじゃ!
   そんで……ほんで、みんなぁで選んだそのお人を、この人らで支えたらえいがじゃ!
   それがわしの考えじゃ!」

倒幕後に、総選挙(入れ札)で大統領を選ぼうとする龍馬は、50年以上先に行き過ぎである事は、明らかである。その後どれだけ時間をかけて国会が開かれ、町人、商人にも選挙権が与えられ、女子に選挙権が与えられ、民主主義の体制が出来上がっていったか。それを思えば殺されて当然の預言者だったことになる。

龍馬「この日本に、世界中から知恵と、技術と、人々が集まったら……
   この国は、まだわしらぁが感じたことの無いような、
   夢と希(のぞみ)に溢れた国になるがじゃぞ!」

明治に入り、開国し、文明開化の時期を向かえた。その後の日本は、

弥太郎「明治政府も、西郷・木戸がおらんなった今、醜い勢力争いばっかりじゃ!」
坂崎「……時はかかるかもしれんけんど、
   龍馬さんが思い描いとった国に、きっと……きっと、なると思います!」
弥太郎「そんな、甘いことではないがぜよ……!!」

今後この弥太郎の視点から、坂の上の雲の時代を、描いてゆこうと思う。

私の結論は、既に数年前に定まっている。
国是は、バースビジョン社会。全ての国民が、バースビジョンに沿った人生を歩み、必要なものを必要なときに必要な人が自由に得られる社会の実現を目指す。そして世界へ向けた規範と成す。

その考えを「バースビジョン国家論」という論文で現す決意は定まっている。

民主主義の究極がバースビジョン国家である、よって革命のように白紙の状態から国を建て直す必要はない、だから真に血の一滴も流さず新文明国家を形成できる、という論理立ても発明した。

幕末維新は、地球文明社会創造への貴重な予行練習であった。龍馬伝を批判するのも良いが評論家は世の中を変えることができまい。この大河ドラマという共通の情報を元にもっと変革期に相応しい行動規範を読み取るべきかと思う。
次に、薩摩の取った行動から龍馬観を紐解く。薩摩の人間が明治の方向付けをし、現代にも受け継がれたものがあるはずだからだ。温故知新。幕末維新は、地球文明創造への原型であり、もっと研究すべき可及的課題である。



posted by 大石 at 12:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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