「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」。
大河ドラマで二度もセリフを口にした松陰の遺言は、つまるところ、
「私の身が滅んでも志を継ぐ者が後に続くであろう、ただ我が身一つで、必ず立ち上がる者たちがいる。『誠を尽くせば動かせないものなど何もないのだ!』という叫びであった。これを現在の日本に当てはめて見てはどうであろうか。
ドラマでは、松陰先生は沙汰を聞き取り乱した、とあるが史実ではない。幕府の要人を襲撃する計画を自ら漏らしたので遠島から死罪になったということは史実だが、刑を執行した首切り役人が「あのような乱れのない囚人をかつてみたことがない」と証言しているし、松陰先生が牢獄の役人に向かって「これまでご苦労様でした」と頭を下げたという。取り乱していたならばどうして「(判決を言い渡されるために)呼び出される声を待つ以外に、もはやすることなど何も残っていない。嬉しいことである」などという詩を書けようか。(私の解釈文による)
史実は梅田雲浜に関わったことが罪状ではなく、それ自体は不問にされたが、あまりに簡単すぎるので幕府に言上仕るべく後々になって取り調べの際、幕府を諌めるために(暗殺を)暴露した、というのが真相である。
いづれにせよ、諌死を持って意見をする道を選んだ松陰先生の潔さに日本中が震えた、という臨場感を大河ドラマで演じた功績は大きい。無謀な攘夷を唱えた(ふりをした)松陰先生のメッセージは、決して日本を真っ二つに割るものではなかった。外国から舐められきったこの日本を何とかしなければ、何とかしよう、という魂の叫びだったのだ。
現代では日本の農業を潰そうと、西欧諸国の言いなりになって関税を撤廃されるなど恥辱の至りと、もし生まれ変わった松陰先生がおれば激を飛ばしたに違いない。最近のこのブログで日本の天職を「東西の媒酌人」「西洋と東洋の橋渡し役」として語った。内村鑑三氏の魂の叫びは、そのまま私自身の叫びであり、八重の桜の根底に流れ出るメッセージと重なって見えるのは私だけであろうか。
朝敵の汚名を着せられた会津の敵、長州の松陰先生を高く評価したドラマの脚本に、会津・福島と長州・山口の融和を意図した作品だと感じたのは私だけであろうか。恐らく、この後会津を滅ぼした薩長と会津の融和をシナリオに組み込むと読んだ。と予想していたら、今度は、井伊直弼襲撃の下手人、元水戸藩士の所属する水戸を討て、との幕府側の沙汰を覆し、会津の容保公は両者の「橋渡し」を行い事なきを得た。
会津ののどかな祭りの最中、喧嘩を仲裁した八重他も両者の融和を図った。そしてドラマの最後には、萩の松下村塾を映し出したー。「ありがとう」という言葉が出た。震災で苦しんでいる東北を励まそう、という趣旨が強く出た大河ドラマで、こうまで長州に敬意を表するかのような扱いを受けて、ありがたいことだ、と身が締まった。
今、すべての汚濁を流し、日本民族が真に融和し、世界の大調和に向けて一歩踏み出すべき時を迎えたのだと思う。
日本人の融和を図り、洋の東西の融和を図る。それが日本のバースビジョンなんだと。日本人に生まれた意味なんだと。そう確信させるドラマになってゆくものと期待するし、またその方向で自身の身のふりを研ぎ澄まされた感性で突き進んでいく意志を奮い立たせてもらった。
2015年に300人集めて下関にて剣舞を舞う演目が昨日決まった。2年前ほどから習っている剣舞にて昨年は審査委員長賞を受賞したのだが、この大イベントでの私の演目は、なんと松陰先生の世辞の漢詩であるという。
「我今、国のために死す。死して君親に背かず。悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」を吟じる中で舞わせて頂くことになった。我今、命懸けで松陰先生に奉納したく思う。
家族の融和は10年前から推進しているが、地域の融和を図る担い手をもっともっと育成し、日本の融和への道筋=バースビジョン国家論を明らかにし、世界の融和への架け橋となりたい。世界を結ぶひとつの橋、それが屋号ワールドブリッジの理念である。
「人と人をバースビジョンレベルでブリッジわーくする」「大いなる遊び場を地上に遺す」「互恵経済圏確立のめどを立ててから死ぬ」。これが私の人生理念である。
今、明治維新をもう一度起こそう、という下地作りが、どこそこで始まっているー。