2010年11月26日

龍馬伝47「大政奉還」

看護関係(看護士等)の必要人数が圧倒的に不足しているという。つまり病院から看護士は離れる一方であること。反比例するように代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。その趨勢がもたらす未来を、『大政奉還』と照らし合わせて洞察してみようと思う。

看護士等が慢性的に不足しているのは、病院を辞める人が後を立たないからだ。来年度は全国で5,6万人程度不足する見通しとか。(実態はそんなものではないと思われるが)その穴埋めに期待されているのが、退職した数十万人もの看護士等を再雇用するという案。
実際、私の妻も9年看護婦をしていたが、毎年”古巣”からのお誘い(再雇用します、ぜひ戻ってください、と)の手紙が届いていた。では国が結婚退職した元看護士への保育施設など制度を整えたとして、どれだけの効果があろうか。
果たして妻は古巣の病院に戻るだろうか?答えは否。

アロマテラピーを経由して手波法タッチセラピーに出会い、母と子のタッチセラピストとなり講師養成講座を行う身となった今、戻る理由がないからだ。更に言えばタッチセラピー中級プロ講座に志願する女性の中に、いかに看護士資格者が多いかということは、この10年一貫した傾向である。他のヒーリング・代替医療系団体の資格認定希望者にも看護士は多いはずだ。

病院から看護士は離れる一方であること。
代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。

この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。当局はこの相関関係に気付き対策を練っているのだろか、いやそうは思えない。その趨勢がもたらす未来は、『大政奉還』に通じる革命の兆しとも見て取れる。

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700年続いた武士の世を終わらせた。
そう、まるで龍馬一人で終わらせたかのような描き方だが、時代の趨勢に敏感に反応した志士たちやそこに寄り添った女性や、倒幕側の公家や奇兵隊のような名もなき農民町民らの思いが結実して成立した快挙であることは、何度も語っているとおりである。
将棋に例えれば、最後に詰めたのは、切り札の「金」であっても、あえて犠牲になった「歩」や取られる覚悟で突撃させた「桂」、終盤で刺し違える覚悟で手放した「成角」など幾多の伏線があって詰ませることができるのだ。近代国家もそうした犠牲の上に成り立っている事を決して忘れてはならない。龍馬は、幕府を詰ませた金の役目を果たしただけである。

さて、700年と一言で言うが途方もない年月である。鎌倉に頼朝が幕府を開き、征夷大将軍を名乗ってから始まる武士の時代。攘夷派の大義はこうだ。
日本は建国以来天皇が統治していた国だから、幕府は本来ならば、天皇の代わりに国を治めるだけに過ぎない。それを裁可もなく独断で開国したり、外国との不平等な条約を結んだり勝手なことをするなど許さない、まして夷敵(外国)を打ち払う将という称号であるはずの征夷大将軍をして、外国人にこびへつらうなど何たる醜態だ、という見解。

この大筋(=攘夷論)を大前提として、諸外国と対等な形で開国すべし、その上で文物(西洋文明)は大いに取り入れるべき、との主張が、一環として柱になっていたのが長州であり、松下村塾の塾生であった。他藩はそこまでの軸がなかったのだ。いかに松陰先生が優れた見識の持ち主であったかがうかがい知れよう。

この藩論は全く筋が通っていて、長州がその後日本の主導権を握るのは当然の成り行きである。しかもその志たるや日本建国以来数千年続いてきた伝統に戻そう、という運動であるゆえに、幕政700年、徳川260年など吹けば飛ぶ程度のことにしか映らない。そもそもエネルギーの量が違うのだ。
一説には、藩主に新年の挨拶に行く重臣たちは、「機は熟していますか」「いや、まだだ」という会話を隠密に毎年の元旦毎に続けてきたという。

つまり関が原での敗北以来「雪辱を晴らすのは今年ですか」「いや討幕には今年は時期が早い」という事を260年もの間続けてきたわけだ。

幕末期の長州の暴発とも思える討幕運動は、こうして熟成されてきた。龍馬が一人、平和的解決を望んでも、それ(大政奉還の後に起こる戊辰戦争)は、歴史のエネルギーから見て防ぎようもなかったと言える。
龍馬にはその後の社会の仕組み作りに携わるバースビジョンがなかったわけだから、幕政にピリオドを打つ事で、役目を終える。薩長に恨まれる意味も理解できぬままに。余命あと1ヶ月。

一方、260年という重みしか知らない幕府側・慶喜側は《それ》が見えない。大政奉還論はずいぶん前からあったのもかかわらず、執着した。ゆえに幕引きの時期を遅らせる羽目になり、結果として武力討幕のエネルギーとかち合った。それだけに過ぎない。その趨勢に気が付かない幕臣らの嗅覚が乏しいだけだ。

「大政奉還などしたら、幕府の人間2万人が路頭に迷うんだぜ、それをどうするんだい?」との勝海舟の問いに対して、龍馬は言う。「なんちゃない、そんなもの、どうだっていいこと。」と笑い飛ばす。「商売を始めたっていいし、畑を耕したっていい、働けばいいこと」と。
これを現代医療システムに当てはめてみよう。
「本物の代替医療が発達したら、病院も縮小され、看護士らが路頭に迷う。薬も売れなくなり医薬品メーカーが減益を余儀なくされリストラされたり、100億かけて新薬を開発したって誰も使わずどぶに捨てることになる。苦労して6年間も学校に通って医師免許を取得し何年もインターンしてようやく開業できたのに患者が来なくなって、莫大な開業資金を返済できず、借金まみれだ。一体、どうしてくれるんだい!」という未来が待っている、ということになろうか。

「なんちゃない。」その一言で片付けられる話となろう。

自分の体は自分で治す、自分の子供は自分で生む。
当たり前のことである。
それを手助けする役目の人が町に一人必要なだけである。一家に一人、ある程度の治療能力のある者が一人いればいいだけである。江戸期以前は長い間そうしてやってきた。私なども、幼少期に擦り傷で泣き叫んでいたら、おばあちゃんがどなりつけて「そんなことくらいで、男の子が泣くんじゃない!そこ(庭先)にあるアロエをもいで、塗っておけばじきに直るわ!」と言ってのけたものだ。果たして、数分後に私はまた野原を走り回っていた。
わが子4人は、インフルエンザの予防接種など一度もしたことがない。にもかかわらず昨年の大流行で一度も感染していない。あんなものは、打つから免疫力を破壊され感染するのだ。国の金儲けの手段に何で子供たちが実験台にされねばならないのか、と思う。

病気が原因で死滅した民族など歴史に一つもない。
巨大病院システムが出来上がって一体何年くらい立つのだろうか、100年も立たぬであろう。そんなものは、芥子粒のごとく、地上から消えてなくなっても不思議ではない。その方が人類のためである。

現代の大政奉還は、病院制度が治療するのではなく、人体に備わっている自然治癒力に主権をお返し奉るとでも呼べるような革命的変化をもたらすことになろう。
タッチセラピストを『触育士』として認定し、社会の隅々まで浸透させようとする運動は、ほんの始まりである。代替医療を通過点として、本人そのものに人生の主権を返す《大癒奉還》への始まり。

大半の企業は、心の病気を抱えた人の集う病院と化し、病院は、人生の分岐点であることに気付く研修所、すなわち教育現場となり、学校は、新しい世の中を作る発明発見の場、すなわち新産業創造の基礎研究を行い、実用段階となったシーズを元に起業する場となる。

企業が病院(収容所)となり、病院が教育の場《バースビジョン発見所》となり、学校が起業支援を行う《天職発見創造機会の場》。7年くらい前に私が提唱した構図に世の中が近づきつつあるようだ。

厚生労働省から、「もう患者を収容し切れません、自分の体は自分で治してください。治療の主権を人体にお返しします」と《大癒奉還》を国民に差し出す日は近い。
近未来のその時、真っ先に首を切られるであろう看護士にしがみつき怒りを国会にぶちまけるか、あるいは代替医療の現場で殺到する患者を診る側に立っているか、この1,2年の判断で決まる。むろん後者を選択する看護士たちは、さっさと辞めて既に次の支度をしている。その結果、前者を選択する現場では看護士が足りない、という事態が起こっているだけなのだ。

海流とは、表面の流れの下に、全く逆の流れが起こっている。時代の潮流も同じだ。

posted by 大石 at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

龍馬伝46「土佐の大勝負」

先日旅先でNHK番組で、ワタミフーズの社長が高知の中学生を対象に座談会(研修)を行う場面を見た。竜馬が往くを愛読した渡邊さんは、「自分の《好き》を見つけ、《好き》を極めることが、夢を切り開く原動力だ」と切々と訴えていた。同感である。
龍馬ファンでもある中学生の鋭い質問に、渡邊さんがどう答えるか注目すべき場面があった。「自分のためではなく、人のためにやるべきではないですか?」と。対して「ホント?私は違う、全部自分のためにやってきた」とあえて反論する渡邊さん。男子生徒は女子生徒を援護して「自分も大事。」と反論するも、渡邊さんは妥協せず、No、を繰り返す。

「確かに、他人のために働く動機も必要だ」とか、「自分も人も大事だね」などと妥協しない。まして、どこにでも転がっているような「自己犠牲してでも、他人の為に身を尽くせ」などとは言わない。そうやって利他(他人に先に利益を与えよ)を教育指針にして、結局人を使って駒にして、大儲けしているネットビジネスもあった。渡邊さんのような実践経験を通じて演台に立つ人は、口先ひ一つの研修畑一本の人たちとは、言葉に重みが違う。龍馬観も独特だ。さて、

自分のやりたい事をやり遂げるための人生か、それとも、他人のために生きるのが人生であるべきか。

その問いと今回の龍馬伝を結び付けて論じたいと思う。

番組で中学生が龍馬の凄いところはどこか聞かれて、自分のことより皆の幸せを願って、社会の仕組みを変えた所が凄い、と答えたのを受けて渡邊さん曰く、「本当か?」と否定的な発言の後、
「龍馬は、《好き》を見つけ、《好き》を極めようとしただけなんじゃないかな。
船が好きで海が好きで、世界の海に出たいという、自分がやりたいことを思いっきりやるためには、社会の仕組みがじゃまだっただけで、自分の夢の為に薩摩と長州を結びつけたり、大政奉還をしたりしたんじゃないかな。それが結果として世の中の仕組みと歴史を変えることになっただけで。」と、丁寧に説明していた。
《好き》を見つけ、《好き》を極めた人だけが発することができる台詞だ。全く同感である。

しかし好きにも段階がある。今時小学生に好きなことをしなさい、と言ったら、宿題よりも遊ぶことが好きだから家に帰ったらゲームの続きをします、先生に好きなことをしなさいって言われたから、となろう。好き=わがまま、と同義語になっている世代にとっては、縛りや規制やルールや課題や
宿題や罰則や教育が必要になる。だから学校の先生は「好きなことをしなさい」よりも「ねばならないこと」を強調するのはやむを得ない。

ところが、20代になり30代になっても永遠に「ねばならないこと」で覆われた生活を送っている人が多すぎる。だから逆にその枠組みから離れて好きにさせて!というスピンアウトのようなニート族のような集団が形成される。自分探しの旅という名の隠れ蓑に覆われた現実逃避型の人間が増えてしまう。

番組の中学生の全てに戸惑いが隠せなかった。社会的に成功している社長が目の前に立ち、「君たちも龍馬のように立派に社会に貢献する人間になりなさい」と言われたら、「ハイ!」と疑いなく答えたであろうに、渡邊さんは、心にカオス(混沌)を生み出した、《好き》を見つけなさい、と。
見つけたその《好き》が将来仕事になる保証はない、仕事になる種類の《好き》ばかりではないし、ライフワークで生計を立てるのは楽ではない。というよりも、好きも進化し、脱皮しなければ、本物の《好き》に出会えないのだ。そのことは、龍馬がどれほど《好き》を手放していったかを見ればよく分かる。郷土の好き、仲間の好き、師匠の好き、異性の好き、みんな手放して、さよならして、海という《好き》にこだわった。


刀よりソロバンが役に立つときが来る。そう言われて弥太郎の元に上士が集まった。商売が好き、の弥太郎に惹かれて武士の階級を捨てて同士が生まれた。
幕府に恩のある土佐の殿様に、幕府も藩もいらない、将軍も大名もいらない、そういう世の中を作るために進言する龍馬。その場で打ち首にされても文句は言えない大それた発言を、《好き》を極めるためにやってのけた。すると、徳川への恩よりも目の前の若造への共感の方が勝ってしまう。
史実は多分に利害打算が働いたとは思うが、武士の世において土佐何十万石を賜った恩を裏切ることは、断腸の思いだったはずであり、龍馬の好きは、個人の欲を超えた日本の将来を見据えていただけに、個の利害を超越したところに共感を生んだことは疑い得ない。

少なくとも仲間たちを殺した個人的感情から、殿様は嫌い、というなら大政奉還の話はなかったわけで、好きにも次元がある、ことを如実に表している。

つまるところ渡邊さんの言うレベルの《好き》を極める、とは、《志》を見つけ、極める、と言い換えて差し支えない。志を遂げる、と言う意味で、好きという想いを捕らえるならば、好きなことをするということは、人の喜びにつながることが「前提になる」話であり、成し遂げると言うことは、同時に周囲や社会の役に立つ、と言う結果を必然的に起こす。

よって、女子生徒の素朴な疑問「自分のためだけに生きてちゃ、いけないんじゃないですか?」との疑問は、まだ自分とは他人とは隔てられたものであり、自分の好きなことを貫いては、人の迷惑になる、だから人のために「も」、何かをしなければならない、と考える世界に生きている、ということになり、自分のための時間と人の為に費やす時間がまだ分離している状態であり、ゆえにそういう段階において好きは、まだ志の域に達していない、と言える。
つまり、自他境界線があるうちは、まだ渡邊さんの真意は理解できない、「全て自分のために、だけずっと生きてきた」と宣言する講師を見て、(何てわがままな社長なんだろう、うちの父さんと大違いだ、人の為に働けっていつも言っているし)と軽蔑されてもおかしくない。

それでもあえて渡邊さんは、《好き》を貫け、視野を広げて(本当の)《好き》を見つけろ、と自然の中に連れ出して五感に訴えていた姿には、真の教師である、と敬服した。

龍馬の画策した大政奉還は、多くの失業者を武士階級から生み出すことになる。力で民を抑えていた権力機構が崩壊するのだから、胡坐をかいてきた武士はすべからくリストラするのだ。
世直しだ、と言って騒いでいる人々が、いざ自分の生活に影が及ぶとしり込みしたり反対派に回るのは世の常だが、それを知りつつ、突き進むためには、よほど覚悟の伴う《好き》のエネルギーがなければ成し得ない。だから龍馬は単に海に出たい、ということではなく日本人が好きという気持ちが強かったのだ、だから大勝負で自分を押し通せたのだ、と思った。

暗殺まであと40日。武士も大名もいない世の中に何が残る?の問いは、現代に直せば、経済も医療も失った日本に何が残る?とでも置き換えてみようか。あって当たり前のシステムのうち失って困るものはどれだけ身の回りにあるだろうか。




posted by 大石 at 17:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

生まれて初めての感動バースディ。

昨日は私の46回目の誕生日を信州で迎えていた。相生で手波法中級タッチセラピー講座総勢延べ25人ほどの指導をさせていただいた後、急ぎ信州安曇野に発ち、夜中11時に着いて翌日から、20名のヨガ、5人のリーディングセッションをして、全身の神経がもう、バースビジョンモードから抜けられず、特殊な意識状態となっていた。
翌日が昨日つまり誕生日だったのだが、朝からずっとビジョンリーディングをしていたせいか、完全に”その事”を忘却していた。リーディングの初めに
「それでは、本日2010年の11月16日、どんなバースビジョンが出てくるでしょうか、呼吸を深めていって」と語っているにもかかわらず。丸一日思い出せなかった。

そして今日4人のリーディングを終えて、信州の水の国メンバーと志源会があり、多恵子代表の挨拶があった。
「メンバーが五人になり、来年は水の国から新しい大きな流れがうねりだす事でしょう。それでは、明子さんが歌います」、と言うので、(何だろう?まかさマイケル?)とは思わなかったが、「ハッピバースディ、トゥ、ユー♪」と歌いだすではないか。「本当は昨日でしたが、今朝思い出しました!」と。
すると、ジャーん!と、手書きの大きなおめでとうポスター?が井戸仙人のイラスト付きでプレゼントされ、同時に、色紙が。(誰か、ブログに出して)

細かい字で、たくさんの寄せ書きが書かれていました。いったい何人分?いつの間に?

今朝から集めて夕方までに、20人分くらい?さゆりさんの機転の利いた動きとそれを促した和美さんの一言で、素晴らしい感動的な色紙(両面びっしり!)を頂きました。これは一生の宝物にします。

この場を借りて、緊急要請?に答えてくれたインストラクターの方々には御礼申し上げます。

今からじっくり読ませていただきます。その後お礼に、一人一人に特別なマグネタイズ・フィールドをプレゼントします。

夜中12時半から1時の間で遠隔マグネタイズの種を信州から飛ばしますので、明日以降10日間、思わぬ出逢いに注目してください。
天空から落とすビジョンの種は、《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

pS
新人のTさんに「聞きたいことがあるんですけど」とセッション後に聞かれた。どんな質問だろう?と思ったら「大石さん、お昼も食べないで、遅くまで大丈夫なんですか?」と。私は思わず答えてしまった。
「うん、大丈夫だよ、空気を食べているから。空気っておいしいよ。おなかいっぱいになるし」。と。

「は、はあそうなんですね」とTさん。意味が通じなかったのだろう。
プラーナ粒子を取り入れると、空腹感は満たされるなんて、言っても通じないし、光の粒子状に気を循環させなければ出来ないことをしているから、って言っても始まらないから
「ダイエットにいいよ、空気でおなかを満たしたら。やってみて」と言った。ごめん、ますます混乱させてしまったかな。誕生メッセージのお祝いとお詫びに、

《自分を導く大切な人との劇的な出逢い》。

スペシャルで、飛ばしてあげようね。スペシャルな出逢いをマグネタイズしよう。これで1年後には
宣言通り○○だ。


posted by 大石 at 23:43| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

龍馬伝45「龍馬の休日」

今日は『天婚』について解き明かしましょう。ビジョンヨガに精通してゆくと、なぜか天婚を実現してしまうから、不思議ですね。天婚とは、天命に沿った結婚、つまり赤い糸で結ばれた生まれる前に決めてきたパートナーと結ばれることを指します。
バースビジョンの実現にとって欠くことのできないマグネタイズ・ストーリーであり、一ランク下の適婚(比較的適した結婚相手)では、自己実現の到達点も満足度も落ちてしまいます。まして不適婚や敵対婚に至っては、悲劇の始まりです。ビジョンヨガで身体感覚を磨くことでそうした悲劇を未然に防いで欲しいものです。

さて龍馬伝タイトルは「ローマの休日」をもじったのでしょうか、せっかくですから(たまには)ロマンスについてもバースビジョンの観点から天婚をキーワードにして見ていきます。
以前にもお話した通り、龍馬にとっては、加尾やさな子では適婚止まりで、歴史に名を残すような大仕事は出来なかったことは、もうお分かりの通りです。土佐にあだたぬ男が加尾の誘惑?に負けてずるずると吸い込まれてしまったら、脱藩一つしなかっただろうし、さな子の気迫溢れる押しの告白に負けてしまったら、剣術道場の主として今日の北辰一刀流の歴史に刻まれ、現在の東京杉並道場は、龍馬の巧みな宣伝ノウハウが基となり、全国規模の道場になっていたかもしれませんし、子孫が各地の道場主になっているでしょう。その程度の自己実現で止まっていただろうと予想できます。

龍馬にとって、道場主は適職であり、大政奉還が天職だというわけです。
天婚と同じフィールドに天婚ありき、というわけです。

しかし龍馬は適婚相手の甘い誘いをきっぱり断った、断れたわけです。そこに志の強さを感じさせます。子沢山に恵まれ晩年まで生きたであろう人生の選択を蹴った。天婚相手こそお龍。志士としてサポートする、命をかけて志を守る、そしてたいした思い出もなく死に別れ、子供も出来ず、酒びたりで歴史や薩摩や土佐や徳川や全てを恨みながら酒びたりで晩年を過ごし、さみしく死んでゆく。
横須賀に流れてそこで人生を終えたお龍は、どんなバースビジョンだったのでしょう。きっと世界に船出して貿易で成り立ってゆくことになる日本の玄関口である横須賀で、龍馬の志を見守る、という魂の想いで導かれたのでしょう。しかしそれは魂の選択であり、表面的には再婚相手がたまたま横須賀だった、ということです。魂の意図が達せられ、引越しが済んだので再婚相手とは別離します。

肉体をして自我のレベルでは決して幸せを感じきれなかった、そんな天婚もあるということを知らねばなりません。だったら適婚の方がよかった、と言えるような未来があるということを。
ゆえに多くの人たちは天婚を期待しつつ、現実には適婚で満足している、という選択をしていると思います。それを否定する、下に見るということは断じて違います。
大事なことは、天婚には覚悟が必要だということです。いたきものレベルが段違いに高い、ということです。最終回、下関にいながら、京で斃れる龍馬の知らせを受け、お龍がどんな想いにかられるか、その場面を見ながら、お龍がどんな覚悟を持って、龍馬についていったのか、感じ取って見たいと思います。

幕末の志士には、必ず女性の支援があった。晋作にとっての野村女史は志士を匿って島流しにされた。桂小五郎の幾松は新撰組に襲われそうなところを匿った。伊藤博文のように生き残ったら、ファーストレディとなるハッピーエンドもあるが、それは結果である。
封建時代における女性の生き様であり、現代における天婚の在り方はおのづと異なる。が、しかし日本の女性の気高さ・気品は、世界一であり、歴史を作ってきたことは間違いのない事実であり、陰の立役者であり、和を基調とする社会理念のベースに母性があることは、間違いのないことである。
今後、『母活』を基調として、世界が平和になるための日本女性の活躍が期待されるところでもあります。




posted by 大石 at 15:03| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

龍馬伝44「雨の逃亡者」

幕末江戸期と平成の現代。何が違うかというと(実際全く違うのだが)、昔の日本は、人と人とが人格を持って繋がり、信頼関係を持ち、その個としての関わりが組み合わさって、横糸や縦糸を通しながら、まるで糸をつむいで布を織るように、世界を創っていく様だ。そこが違う、と思う。
現代でも人間関係が大事、とはよく言われても、あくまで組織の人間としての顔を持ち、その人柄よりも組織人としてどれだけのものを持っているか、によって人脈の太さ、厚さが決まる傾向が強いのではと思った。

私が学生の頃は総合商社が就職人気のトップだったことは伝えたが、同期に親のコネで三井物産に入社した男がいた。同期会で名刺交換の際に、決まってその彼は「物産の○○です!」と誇らしげに言うものだから、(だからどうしたんだ?)と内心笑ったものだった。その後彼は当初の予定通り、親の会社に入り、今度は「専務の○○です」みたいに必ず会社の地位を言うものだから、本当に噴出しそうになったものだ。
懐かしい同窓生に会えるのが楽しみで、毎年、会に参加してきたが、やがて仕事や経済や景気の話ばかりするので、行かなくなってしまった。組織を離れたら一体何が残るのか、ということを考える勇気もない大企業の友人にとって、30手前で証券会社を脱サラし、独立した私の生き様など否定するしか、尊厳を守れないのか、常に馬鹿にする目線しかなかったのを覚えている。
東京に住んでいると、何でもあふれているようでいて、肝心なものをぽっかりと忘れ去ってしまう怖いところがある町だと思う。その点、大阪に住んでいた頃はまだ人と人が触れ合いやすい町だったし、福岡に住んでいた頃は、全く異空間に降りたような心地よさで、人が「生きている」、と感じた。
大阪は東京を意識しすぎて、かつては堺など世界的に開かれた港だったし、明治以前より商業の中心として栄えていたのだから、もっと独自の路線を行ってもいいのに、妙に東京に対してコンプレックスを持っているのが気になった。福岡は大企業の支店都市という色彩はあれど、独自の文化圏を形成していて、心にゆとりがあり、文化や芸術に目を向けている人が多く、多彩な生き方を容認しているようなおおらかさがあった。
何でこんなことを書いているのか?ふと、我に返ってみると、どうも、雨の中を逃亡するお元の生き様が頭によぎったからなのだ、と気づいた。
「行き場のない日本が大嫌い」というお元の絶望感は、今の日本とある部分ダブルところがあるし、住むところを転々としている私の深層にも共感する部分があるのだ。明治に捻じ曲げられた西洋文明の侵食、違和感のある文化的汚染、誇りに思えないようゆがめられた日本の歴史。顔と顔を突き合わせて、通い合う関係を結ぶことの難しい世の中に、閉塞感を感じることもしばしばあった。
しかし同時に、龍馬のように、みんなが笑って暮らせる世の中になる、その為に命を賭ける、という生き方にも共感し、その可能性を模索してみている。絶望感があるから希望の光が見えるのではないだろうか。

龍馬はあと数ヶ月で地上から抹殺される。ドラマ上の時間軸になぞらえて自身の中に「ある答え」を導き出したいと思う。

ー明治国家はどうして、ゆがめられてしまったのか。ー

この問い自体が、司馬史観から脱却できていないのかもしれない。けれども12月にはあの坂の上の雲が始まる予定だ。明治は素晴らしかった、それに引き換え、昭和の指導者は、というシナリオに日本中が染まるのか。その前に明治元勲たちが道を誤ったというのに?
2011年を前に、日本全体のコンセンサス(社会的同意)が問われているように思う。これから日本はどこへ向かおうというのか、と。

龍馬や晋作の志向した世界は、四民平等、自由な世界だったはずだ。それを華族制度や、天皇を政治的に利用して中央集権国家を形成していった。西郷隆盛とて今は(ドラマでは)討幕に燃えているが、目的を果たした後は、農業を基盤にした国家作りに乗り出したではないか。
今世界は、明治維新を雛形にして、その練習を踏まえて、新しい地球文明に目覚めようとしている、という歴史の中にいる。断言していい。日本が世界に先駆けて新文明創造へのモデルになる、というバースビジョンがあるのだ。

にもかからず(あえて上記検証を待たずに議論を進めるが)、龍馬伝の社会的影響はどこにある?
下関でもブームにあやかって、龍馬を観光に生かそうと躍起だし、NHKのプロデューサーをわざわざ東京から招いて、シンポジウムをした際に、質問者は「下関はドラマでどの程度出してくれますか。何回ですか」などと言う始末だ。呆れるのは「寺田屋事件でお龍は、どのくらい露出されるんですかねぇ」など下品な質問もあった。もし晋作が生きていたら、その場で「無礼者!」と切り殺されていただろう。私も、「いいかげんにしないか!」と叫びそうになった。息子がいたから抑えたが。
パネリストの古川薫氏にも呆れた。
「晋作は武士だから、人気がない。龍馬は現代人に通じるものがあり商売に強いから人気があるのでは?下関にも龍馬記念館を作るべきだ」と。それでも長州人かよ、と失望した。結局作家として知名度を上げたいだけなんだ、と直木賞そのものを蹴飛ばしたくなった。

言うなれば、志が商売の種になっている、これが龍馬ブームの真相だ。だから、天が怒って視聴率が下がっているのだとも思えてくる。もっと子供たちに歴史を学ぶ機会としたい、日本がどのように成り立っているのか、教える機会としたい。
一灯照隅。「歴史博士になる!」という志を学校の作文で宣言した5年の長男に、先ずは説いていこう。学校で昼休みに、図書館で借りた歴史の本を読みふけり、また借りては読む、歴史好きの長男に、ゆっくりゆっくり紐解いていこう。





posted by 大石 at 15:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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