看護士等が慢性的に不足しているのは、病院を辞める人が後を立たないからだ。来年度は全国で5,6万人程度不足する見通しとか。(実態はそんなものではないと思われるが)その穴埋めに期待されているのが、退職した数十万人もの看護士等を再雇用するという案。
実際、私の妻も9年看護婦をしていたが、毎年”古巣”からのお誘い(再雇用します、ぜひ戻ってください、と)の手紙が届いていた。では国が結婚退職した元看護士への保育施設など制度を整えたとして、どれだけの効果があろうか。
果たして妻は古巣の病院に戻るだろうか?答えは否。
アロマテラピーを経由して手波法タッチセラピーに出会い、母と子のタッチセラピストとなり講師養成講座を行う身となった今、戻る理由がないからだ。更に言えばタッチセラピー中級プロ講座に志願する女性の中に、いかに看護士資格者が多いかということは、この10年一貫した傾向である。他のヒーリング・代替医療系団体の資格認定希望者にも看護士は多いはずだ。
病院から看護士は離れる一方であること。
代替医療を志すスクールや団体には看護士が一定規模で増えていること。
この二つの事実がもたらす意味は、いかなるものであろうか。当局はこの相関関係に気付き対策を練っているのだろか、いやそうは思えない。その趨勢がもたらす未来は、『大政奉還』に通じる革命の兆しとも見て取れる。
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700年続いた武士の世を終わらせた。
そう、まるで龍馬一人で終わらせたかのような描き方だが、時代の趨勢に敏感に反応した志士たちやそこに寄り添った女性や、倒幕側の公家や奇兵隊のような名もなき農民町民らの思いが結実して成立した快挙であることは、何度も語っているとおりである。
将棋に例えれば、最後に詰めたのは、切り札の「金」であっても、あえて犠牲になった「歩」や取られる覚悟で突撃させた「桂」、終盤で刺し違える覚悟で手放した「成角」など幾多の伏線があって詰ませることができるのだ。近代国家もそうした犠牲の上に成り立っている事を決して忘れてはならない。龍馬は、幕府を詰ませた金の役目を果たしただけである。
さて、700年と一言で言うが途方もない年月である。鎌倉に頼朝が幕府を開き、征夷大将軍を名乗ってから始まる武士の時代。攘夷派の大義はこうだ。
日本は建国以来天皇が統治していた国だから、幕府は本来ならば、天皇の代わりに国を治めるだけに過ぎない。それを裁可もなく独断で開国したり、外国との不平等な条約を結んだり勝手なことをするなど許さない、まして夷敵(外国)を打ち払う将という称号であるはずの征夷大将軍をして、外国人にこびへつらうなど何たる醜態だ、という見解。
この大筋(=攘夷論)を大前提として、諸外国と対等な形で開国すべし、その上で文物(西洋文明)は大いに取り入れるべき、との主張が、一環として柱になっていたのが長州であり、松下村塾の塾生であった。他藩はそこまでの軸がなかったのだ。いかに松陰先生が優れた見識の持ち主であったかがうかがい知れよう。
この藩論は全く筋が通っていて、長州がその後日本の主導権を握るのは当然の成り行きである。しかもその志たるや日本建国以来数千年続いてきた伝統に戻そう、という運動であるゆえに、幕政700年、徳川260年など吹けば飛ぶ程度のことにしか映らない。そもそもエネルギーの量が違うのだ。
一説には、藩主に新年の挨拶に行く重臣たちは、「機は熟していますか」「いや、まだだ」という会話を隠密に毎年の元旦毎に続けてきたという。
つまり関が原での敗北以来「雪辱を晴らすのは今年ですか」「いや討幕には今年は時期が早い」という事を260年もの間続けてきたわけだ。
幕末期の長州の暴発とも思える討幕運動は、こうして熟成されてきた。龍馬が一人、平和的解決を望んでも、それ(大政奉還の後に起こる戊辰戦争)は、歴史のエネルギーから見て防ぎようもなかったと言える。
龍馬にはその後の社会の仕組み作りに携わるバースビジョンがなかったわけだから、幕政にピリオドを打つ事で、役目を終える。薩長に恨まれる意味も理解できぬままに。余命あと1ヶ月。
一方、260年という重みしか知らない幕府側・慶喜側は《それ》が見えない。大政奉還論はずいぶん前からあったのもかかわらず、執着した。ゆえに幕引きの時期を遅らせる羽目になり、結果として武力討幕のエネルギーとかち合った。それだけに過ぎない。その趨勢に気が付かない幕臣らの嗅覚が乏しいだけだ。
「大政奉還などしたら、幕府の人間2万人が路頭に迷うんだぜ、それをどうするんだい?」との勝海舟の問いに対して、龍馬は言う。「なんちゃない、そんなもの、どうだっていいこと。」と笑い飛ばす。「商売を始めたっていいし、畑を耕したっていい、働けばいいこと」と。
これを現代医療システムに当てはめてみよう。
「本物の代替医療が発達したら、病院も縮小され、看護士らが路頭に迷う。薬も売れなくなり医薬品メーカーが減益を余儀なくされリストラされたり、100億かけて新薬を開発したって誰も使わずどぶに捨てることになる。苦労して6年間も学校に通って医師免許を取得し何年もインターンしてようやく開業できたのに患者が来なくなって、莫大な開業資金を返済できず、借金まみれだ。一体、どうしてくれるんだい!」という未来が待っている、ということになろうか。
「なんちゃない。」その一言で片付けられる話となろう。
自分の体は自分で治す、自分の子供は自分で生む。
当たり前のことである。
それを手助けする役目の人が町に一人必要なだけである。一家に一人、ある程度の治療能力のある者が一人いればいいだけである。江戸期以前は長い間そうしてやってきた。私なども、幼少期に擦り傷で泣き叫んでいたら、おばあちゃんがどなりつけて「そんなことくらいで、男の子が泣くんじゃない!そこ(庭先)にあるアロエをもいで、塗っておけばじきに直るわ!」と言ってのけたものだ。果たして、数分後に私はまた野原を走り回っていた。
わが子4人は、インフルエンザの予防接種など一度もしたことがない。にもかかわらず昨年の大流行で一度も感染していない。あんなものは、打つから免疫力を破壊され感染するのだ。国の金儲けの手段に何で子供たちが実験台にされねばならないのか、と思う。
病気が原因で死滅した民族など歴史に一つもない。
巨大病院システムが出来上がって一体何年くらい立つのだろうか、100年も立たぬであろう。そんなものは、芥子粒のごとく、地上から消えてなくなっても不思議ではない。その方が人類のためである。
現代の大政奉還は、病院制度が治療するのではなく、人体に備わっている自然治癒力に主権をお返し奉るとでも呼べるような革命的変化をもたらすことになろう。
タッチセラピストを『触育士』として認定し、社会の隅々まで浸透させようとする運動は、ほんの始まりである。代替医療を通過点として、本人そのものに人生の主権を返す《大癒奉還》への始まり。
大半の企業は、心の病気を抱えた人の集う病院と化し、病院は、人生の分岐点であることに気付く研修所、すなわち教育現場となり、学校は、新しい世の中を作る発明発見の場、すなわち新産業創造の基礎研究を行い、実用段階となったシーズを元に起業する場となる。
企業が病院(収容所)となり、病院が教育の場《バースビジョン発見所》となり、学校が起業支援を行う《天職発見創造機会の場》。7年くらい前に私が提唱した構図に世の中が近づきつつあるようだ。
厚生労働省から、「もう患者を収容し切れません、自分の体は自分で治してください。治療の主権を人体にお返しします」と《大癒奉還》を国民に差し出す日は近い。
近未来のその時、真っ先に首を切られるであろう看護士にしがみつき怒りを国会にぶちまけるか、あるいは代替医療の現場で殺到する患者を診る側に立っているか、この1,2年の判断で決まる。むろん後者を選択する看護士たちは、さっさと辞めて既に次の支度をしている。その結果、前者を選択する現場では看護士が足りない、という事態が起こっているだけなのだ。
海流とは、表面の流れの下に、全く逆の流れが起こっている。時代の潮流も同じだ。