2010年07月09日

龍馬伝27「龍馬の大芝居」

龍馬という歴史上の人物をバースビジョン的にみると、実に多くのポイントが映し出され、人が人生の目的に目覚めてゆくとはどういうことか、現代人にもわかりやすく気づかせてくれる。
どんなことに気をつけるとバースビジョンを見出しやすいのか、どういう時にどんな行動をすると波に乗ってゆけるのか、見失いそうになったらどうするか、というポイントが大河ドラマを見ながらでも視点は豊富にある。
窮地に立たされた時に取る行動は、決まって地が出る。つまりその人らしさがくっきり行動に現れ出る。そういう時の無意識的行動こそ、魂と直結した部分が、潜在意識から表に現れる時だ。史実とは全く無関係と思われる土佐帰りの様子は、ドラマ上の演出でしか過ぎないが、ケースワークとしては、人物像をくっきり表わしていて面白い。
龍馬にとって軸になる行動規範は「ともだち」なのだ。大義よりも友達の窮地を救う性を持っている、それが今回はっきり表れていた。
友達の窮地を救うという発想と、日本の窮地を救うという発想が、見事にリンクしていて、神経細胞のすみずみまで自動反応として沸き起こるのだろう。そういうバースビジョンをわかりやすく(このドラマでは)演じている。
土佐(高知)には、自由民権運動が盛んに起こる土地柄なのだが、龍馬が火をつけたというより国の体制に反する風土(土壌)があると言える。バースビジョンに気づくためには、どうしてもこの土壌という潜在要素と切って考えることはできない。切って自分の個性としてのみ見ることができないけれども、かといって潜在する土壌の個性まで読み切ることは難しい。
だから無意識的行動の中に、土壌に育まれた自分らしい生き方や判断の仕方が現れるのだろう。それをできるだけ表層で意識できれば、土地のエネルギーや出会った人の力を受けて躍動できる。
龍馬は、脱藩はしても土佐本来の自由で開放的で権力におもねらない風土をしっかり根付かせていると言えよう。相手の肩書がどうであれ、心にスッと入ってゆけるのも、不可能の壁をまっすぐ通り抜けていこうとするセンスも、

友達を救うために生まれてきた、という根っこにある人生理念

があればこそ、脱藩したから国元へは帰れない、という既成観念の枠などものともしない自由闊達な行動規範が得られた、と見ることができよう。

posted by 大石 at 12:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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