2007年02月09日

今、母親教育が、急務その3≪教基法改正に想うシリーズF≫

しばらく記事を書かないうちに、国も次々と法案や教育政策を打ち出した。
「体罰でない例 明示 文科省 
1948年の制定では、授業中に騒いだ子供を教室の外に出すことも体罰としていたため、教師側が萎縮して指導できない、との声が出ていた。

今回、放課後も教室に残して指導したり、掃除当番を課したりすることは体罰にあたらないと明記、騒いだ子供を外に出すことも、別室で指導するなどの措置をとれば可能とした。週明けに全国の小中学校へ通知を出す」(07.2.3読売)

・・・。
当たりまでじゃないかと、私は思った。そんなことすら、お上からの通達がないと、身動きできぬほど、先生たちは、マニュアル化しているのか、と驚いたのは、私だけであろうか。

「文科省に教委是正権限 再生会議案 発動の事例として、いじめに関する調査を怠っていることなどを挙げた。」(07.27読売)・・ようするに、国がトップダウンで、細部に渡って監視・監督・指示・命令を出せる仕組みを早急に作ろうというわけだ。再生会議も政策的発言権を高めつつある。

そうした”教育の中央集権化”の動きに、高校の先生も「教育の素人が密室で話したことを、有無を言わさず現場に押し付けるのは、我慢ならん」(読売)との声もあるようだが、その趨勢は、加速こそあれ、現場重視への修整はないだろう。

さて、では、なぜ、この日本は、そこまでマニュアルに頼る、教育風土になってしまったのか。
どうやら、マニュアル人間やマニュアル組織が増えてきた、その根は、深いようである。命を預かる医療の世界で、看護師は、大事な地位を持っているが、「15年位前から、年々、言われないと何も動けない看護師が増えてきた」という話を、最近聞いた。

母親も、また、本や雑誌やテレビの知識に頼る、マニュアル子育てが横行している。
その結果、揺さぶられっこ症候群という言葉がマスコミで、声高に言われると、右往左往する。
「高い高い〜」をはじめ、日本には伝統的な子供のあやし方があるが、マスコミの影響で、むやみやたらと動かさない方がいい、と不安がる人も多いと聞く。
が、実際は、無理やり激しく、怒りと共に揺さぶったいわゆる虐待行為の結果、脳に損傷が起こった、という事件がきっかけだったと思われる。通常の親子のどこにでもある光景が、否定されたわけではない。
にもかかわらず、何でも、危ない、危ないと、先手を打って、危険を防止する余り、母親は、いつもピリピリ緊張状態で、精神的ストレスが絶えず、不眠の日々。
子供は、子供で母親の後姿を見て育つわけだから、いつもせわしなく、何かにチャレンジしようとしても、「あれダメ、これダメ、あれは危ない。これも危ない」と、自分の判断で、何一つ出来ない。
例えば、コップの水をこぼさないように、片一方へ移し変える、けれどほとんどがこぼれてしまう、それを、今度こそ!と何度も繰り返す、がやっぱりダメで、あたり一面水浸し、という小さな冒険一つ出来ないストレスは、尋常じゃないはずだ。

母親が子の成長を思う気持ちには、今も昔も変わりはないが、飴やジュースやお菓子やゲームを買い与えることと、愛情を与えることを同一視してはいないか、と思うふしがある。
昔の親は、「与えない」という英断をすることこそ、愛情表現であり、教育の柱だったような、気がするのだが。
つまり、自分の都合のいいように、子供のご機嫌を取っている、という場面が、あたり一面に、散見されるのだ。例えば、「お菓子買って上げるから、言うことを聞いてちょうだい」という交換条件が、見受けられる。だから、子供は、「泣いたら、おもちゃを買ってもらえる。根競べだ」という駆け引きに出る。子供のしつけを考える前に、親としての関わり方を見直さねばなるまい。

それにもまして、言うことを聞かない子が増えている。何か言うと直ぐ切れる子が増えている。集中力も理解力も衰えている。人の痛みが分からない子が増えている。
全ては、乳幼児期の愛情不足、と捉えてはいかがだろうか。与えたつもりが、毎日毎日与えていたのは、ミネラルを破壊する糖分(ジュース・アイス・チョコ・ケーキ・飴)を与え続け、情緒不安定な子に育てようとしたわけだし【注釈ミネラルが失われると情緒が不安定になる】、
過保護に育てて、安全管理を徹底しすぎて、身体機能の低下を招き、抗菌と称して、ばい菌に対する免疫力を低下させ、骨を丈夫にさせようと、カルシウムを破壊する牛乳を毎日飲ませ続け、保健所の言われるままに予防接種を受け、熱が出たら大変だと小児科へ駆け込み、免疫力を更に低下させ、何かあったらいけないと、携帯電話を持たせ(一億台を突破した)、電磁波に汚染させて、と、わが子を思う気持ちは、尊ぶべきだし、それが私の愛情表現なの!どうしていけないの!と主張する方には、何も言うつもりもないが、その結果、体力も気力も知能も情緒も衰えて、更には、自分で判断できる知力と勇気も、著しく低減させていることは、紛れもない事実なのです。

お母さんの迷いやストレスやいらだち、全て、子供は感じている事実があるのです。だから、子供もまた、将来が不安で、不安な気持ちも麻痺させて、神経網がずたずたに分断され、昼と夜が逆転し、不眠となり、うつ状態の子も増えているのです。

最近、二十歳を過ぎても、女の子に声をかけることが怖くて、付き合うことが出来ない男性が増えている、という新聞記事があった。それなども、見えないものに賭けていく力を、少年期に養ってこなかった結果である。また、150万人は突破したと言うニートも、母親の過保護な教育の有り方の成れの果て、とも言えよう。
全ては母親の責任である、などというつもりはない。毛頭もない。男が二十歳になって、彼女が出来ない責任は、母親にある、などと言うはずもない。全ての人生は、自分の責任である。
自己責任が、人生の鉄則である。私が伝えたいのは、一連の社会現象の問題点を、一つ一つ丁寧に洞察していくと、たった一つの事に、集約されている、と言うことだけを訴えたいのである。

このたった一つの事を、見逃しているから、世の中は、全てが、悪循環をし始めているのだと。

前回、知能発達段階をテーマに、幼児教育の問題点を、暴いていきます。と書いたので、一連のシリーズの結論を、医学的裏付けを持って、解明していくことにする。

これまで、新聞記事を論拠とする社会現象を、教育基本法改正を想う、というテーマで切り込んできたが、最後は、古今東西、人類普遍である、人体のメカニズムを明かすことによって、今起こっている全ての問題は、「ただ一点につきる」、という事を解明する。
ここさえ、抑えれば、全てが逆回転、すなわち、良い方向へ社会は転換していく、という焦点は、何か。最新の産科学の研究成果から見てみることにする。


最新の産科学では、心地良く触覚を刺激しないと、情緒が発達しないばかりか、知能発達も遅れ、母親(父親)との触れ合いによる愛情が不足すると、記憶力なども発達しない。という学説が広まっている。

免疫学の権威、阿保教授も、リラックスし、笑うと免疫力が上がり、病気治療も早いし、病気になりにくくなると、学説として発表しているのだから、心身にストレスのない環境は、人間の能力を向上させる基礎的条件である、ということは、疑う余地はなかろう。

ところが、母親による乳幼児虐待など、3歳〜5歳までの幼児期に、何らかの心的外傷を経験している子供たちが、少なくない。こうした現状を放置すれば、必然的に、異常犯罪の低年齢化傾向と、多発化は、免れ得ない日常茶飯事となり、行政・自治体のレベルでは、解決不能な末期的症状を余儀なくされよう。


なぜなら、母親から心地良い皮膚からの刺激を与えてもらうどころか、不快極まりない、心まで凍りつくほどの憎悪に満ちた触覚的刺激、すなわち虐待を受けているのだから、本来ふんだんに与えられる権利のある愛情は枯渇し、人としての心は育たず、異常な行動に出るのは必定。

にもかかわらず、その原因を省みず、虐待防止法改正とやらで、立ち入り検査をしやすくする、など対処療法に終始している有様だからである。

知能未発達による学力の低下と、切れる子供の続出、いじめによる自殺と、それらを食い止めることの出来ない構造的体質など、既に、末期現象としてのその萌芽は出ている。(2007.1.  読売新聞など新聞記事多数あり)

従って、いじめの問題を、いじめが起こってから対処するが如くは、交通死亡事故が起こってから、信号機を取り付けようとするようなもので、また別の場所で事故が起こる可能性への事前解決策には、なり得ない。

事故件数を減らすためには、免許を取る前に、自動車教習所で十分なる研修を受けさせるべきだ、との同じ観点から、いじめ問題を解決させるためには、就学前の乳幼児から必要な教育を体系的に施すことが肝要なのである。



その際の根幹を成す、幼児教育の要は、まぎれもなく『触覚開発』である。
以前、
今、3歳までの幼児教育こそ、重要不可欠な問題解決の焦点の中での、言わば、ツボ中のツボであり、そこに手を加えぬことには、今の小中学校の荒れ放題の問題は、解決不可能。
と、書いたが、その3歳までの幼児教育の中では、母親が乳幼児に触れること、つまり、『触覚開発』を軸にすえることが、ツボ中のツボ中のツボなのである。


抱き癖が付く、などと言って、親子が別室で就寝するのが常識の、西洋流自立養育法が主流になってから、いじめ多発などの問題が生じるスパンの統計を取ったらいい。必ず、ちょうどいい年齢の頃、例えば思春期にはいる、15年後くらいに、問題が起こっているはずである。
今や、「愛情が自立心を育てる」「愛情表現はまず抱っこ」(おなかの中から始める子育て」(サンマーク出版)という時代である。最も、昔の日本に帰るだけなのだが。

事実、母と子のタッチセラピー(ベビーマッサージ)を実施したところ、20人中12人が、最初は泣きわめいていたところ、すやすやと安らかな寝顔をして、帰って言ったと言う。赤ちゃんもまた、ストレスで不眠傾向にあった証でもある。まして、小学生に上がる頃は、不眠症の毛がある子供がいてもおかしくはない。きれて尋常ではない行為に出るのも、当然の帰結だ。

「三つ子の魂、百まで」。

それでも、「ゼロ歳からではもう遅い!」(ソニー元名誉会長井深大)というご意見もあるように、乳幼児期の問題は、それ以前にさかのぼらなければならないのだ。
次に、その事を解明していく。
posted by 大石 at 14:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする