2007年01月22日

今、母親教育が、急務その2≪教基法改正に想うシリーズE≫

文科省再調査で、いじめ苦による自殺件数ゼロを改め、12件でいじめを確認、自殺の原因はいじめだったと認定は2件にとどまる、と発表。
下関の学校内で自殺した中3女子の父親は、「あやふやな内容だ。いじめが主原因と認められなければ、自殺は繰り返し起こる」と語る。(1.19読売)

大企業も役所も一緒。
不二家やミサワホーム九州のように、義に反したことをして、ごまかして、ごまかし通せずに、信用をなくす。その処理は、必ずと言っていいほど、対処療法。

体罰の定義見直し要求 教育再生会議で、1948年の軍隊上がりの教員が多くいた時代の通達(教師の心得7項目)を見直すことを明記。「教師の手足を縛っている」。(1.18読売)

つまり、場合によっては、体罰も許容しないと、とてもではないが、秩序が保たれない、ということか。どう見ても、対処療法であり、お上からの通達で、現場の有り様が変わるものではない。辞表を胸に、ぶんなぐる教師がいないのであれば、びくびくしながら、優しく注意して、舐められるのが落ちだろう。今の子供は、ある意味、目覚めているのだ。

「どうせ大人たちだって、人の目を盗んで、ごまかしたり、いじめたりしているんだろう。ばれなければ、悪いことをしてもいいんだろ?違うの?」
「ニュースで、頭下げている、みっともないオヤジたちがいるだろ。バカなやつらだ。ばれないように、悪さすればいいものを。オレならもっと、うまくごまかすぜ」と、親や教師に絶対にばれないように細工して、陰湿で悪質ないじめを何年も続けている小学生がいるとして、どうして、非難できようか。
上司のいじめが元で、ノイローゼになって、自殺に追い込まれたサラリーマンが、日本中に何人いると思う?年間3万人を、毎年毎年、下回ることのない自殺者は、うつ病の延長にある。追跡調査で、そうしたサラリーマンの自殺の原因を調べ上げ、いじめをした上司や会社を罰することなく、どうして、子供たちだけを槍玉に挙げるんだ。子は親の鏡なんだよ。大人が、不正や義を欠いた姿勢を一掃させる努力を本気で行わずに、何が教育再生かよ!と、怒りを覚えてしまう。


ちなみに、ウチの子へは、やってはいけないことをした時は、1歳だろうと、ひっくり返って背中を打ちつけるほど、思いっきり引っぱたく。その後、しっかり抱きしめる。「ダメだよ」「うん」。3歳なら、指切りさせる。そんなものは、マニュアルで動くものではない。

ましてや、「体罰も場合によっては、許可します、しかし時と場合によっては(つまり教育委員会や文部省が、責任を取られそうになったら)処罰します」。なんて言われて、誰が、手を挙げるだろうか。
私が中学校のときは、必ず誰かが、毎日殴られていたし、廊下に立たされる姿をよく見た。(私も通算50回は、頭を叩かれた)
そうしたことを禁止している通達があったことなど、当の教師でさえ、知らなかったのではないだろうか。知ってても無視していて、校長も黙認していたのだろうか。

いずれにせよ、教師と生徒との間で、著しい、心の断絶がある。そうした関係性は、以下のデータと密接に関係している。

小学生の訴えベストスリーが、
1.あくびが出る。
2.眠い。
3.横になりたい。

子供はこんなに疲れているのだ。

睡眠の質が極端に、悪化している。

熟睡感が、慢性的にない中で、集中力を欠いて、学力が低下しているのだ。
それを、教育再生会議では、授業時間10%増加を、ゆとり教育を見直し、基礎学力を身につけさせ、(1.16読売)と、これまた対処療法で、ごまかそうとしている。

ただ、毎晩、熟睡させてすっきり目覚めさせるメソッドを提供すれば、いいものを。

それを取り入れることで、本当に学力が上がったら、塾が流行らなくなるなど、誰かの利権に関わるから出来ない、とでも言うのか。熟睡と学力の因果関係を立証して、医学界で証明されたら、採用してやる、とでも言うのか。

とにかく、子供の精神的なストレスが「切れる子を量産しているとでも、言えるほどに」極度に達している。だから、小学生に上がったとたんに、おとなしく座れない、小1問題が起こる。暴力事件も多発する。いじめでもしなけりゃ、やってられない、という異常な精神状況にもなろう。

熟睡するとは、それほど、重要な「生理的欲求」なのだ。マズローの欲求の5段階説の一番底辺の欲求だ。食欲・睡眠欲・性欲。睡眠欲が満たされないのに、社会的な高次の欲求など満たされるはずがない。不眠の子と、うつ傾向の教師が、どのように良い対話を実現できようか。双方にとって必要な薬は、副作用のない睡眠薬である。

では、どうして、今の子供たちは、そんなにも疲れ、眠れていないのか。

その原因は、乳幼児教育にある。以下に明かそう。


幼児教育における保育園・幼稚園と、母親教育について。

幼稚園は、保育士が指導に当たっている。
ここ数年、眠れない子供が増えている。これは、1歳でも3歳でも同じこと。熟睡度を表す指標として、耳の固さ・柔らかさをチェックする方法がある。不眠は、脳の緊張をもたらし、視神経を伝って、耳の緊張をもたらすからだ。

熟睡が出来ないと、脳が休めず、緊張した脳は、思考力・集中力・記憶力などが衰え、やる気も萎え、ぼーとしてしまう。全ての社会的活動を進めるために不可欠な、基本的生理的欲求である。

今日は、小学生の「魂の叫ぶ声」が、入ってきたので、前置きが長くなった。
よって、次回に詳しく、知能発達段階をテーマに、幼児教育の問題点を、すいません、暴いていきます。
乳幼児の教育に関わっている方にとっては、ここからが、正念場です。耳に痛いことも聞かねばなりません。
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2007年01月20日

今、母親教育が、急務その1≪教基法改正に想うシリーズD≫

最近、小学生くらいの子供たちにも、テレビで盛んに報道されている暗いニュースを見て、悲しい気持ちになる、とふさぎこむケースが増えているらしい。
ウチではテレビを観ないので、3人の子供たちは誰も、世の中の事を知らないが、もっと明るいニュースを見せてあげたいけど・・との嘆きの声を、お母さんから良く聞く。むしゃくしゃしたくらいで、子供を歩道橋から突き落とす。人としての心を失っているとしか思えない。

切れて尋常ではない行為に出てしまう人は、男の子・男性に圧倒的に多いが、何故多発するのだろうか。
義務教育がしっかりしていないから?学力が低下しているから?ゆとり教育の失敗?先生の質が落ちている?・・・そうして小学校に上がってからの学校教育に問題があるから、異常犯罪が多発するのだ、いじめもなくならないのだ、という論点は、何か違和感を覚えるだろう。


私は、こう考える。就学前の幼児教育が、ほとんど機能していない、と。
例えば、仕事の合間に安全を確保するだけの託児所・保育所や、教育の憲法でうたわれている程重要な自立心を育成する環境の不備、など食育・知育・徳育に相応しい教育ソフトの圧倒的な不足が指摘されよう。
そもそも保護者は、保育園等に対し、そこまでの期待をしていない、とも言える。

小学生に上がる就学前に、基本的コミュニケーションの力が身についていない子供が増えているため、小1問題といって、騒々しくてとても授業が成り立たない、という新聞記事もある。だから幼稚園等を義務教育化し、文部省主導で一貫教育を施そうとする政策グループもある。
では、未就学者に何を施せば、学校の問題は解決するのか。切れて殺人を犯す大人が減るのか。国には、何ら、ビジョンがないと思われる。

小1問題が起こる理由は、先生の指導力不足ではなく、昔にはあった「何か」が、就学前に身についていない、ということが原因だ。

では、昔(といっても10年から20年前から比べて)と何が違うかというと、今、3歳から5歳くらいの未就学児は、母親との接触の機会が著しく不足している、という実態が挙げられる。

恐らく(これはまだデータを調べていないが)、男女雇用均等法が出来た辺りから、女性の残業時間が増えたり、男性に負けないよう男性社会で頑張るキャリア志向の女性が増え、男性と互角に張り合える地位を獲得しようとするあまり、晩婚化が進み、あるいは結婚をしない女性がさほど、奇異な目で見られなくなってきたことと符合する。

日経を読む女性が「私には強いパートナーがいる」などという広告から推測するに、専業主婦より働く女性の方が「上」であるかのような風潮になり、結婚し子供が出来ても、また職場復帰するのが早まる傾向にあること、専業主婦が、人によっては忌み嫌うようなマイナスイメージが広がり、母親でいるより、働くことに生きがいを感じる傾向が、強くなってきているのではないだろうか。
こうした傾向と、子供にとっては母親と接触する時間が、昔に比べて極端に減ってきていることと、大いに関係がある。

乳児に至っては、ゼロ歳保育の発達は、ミルク育児の普及につながり、飲みやすいミルク育児は、双方にとっても便利であるゆえに、身体接触もますます減ってきている。母と子が触れ合う機会が激減しているのだ。

昔に比べて、異なる点は、母親との接触時間が激減していることに加え、もう一つ忘れてはならない点がある。
仮に母親が働かざるを得ない時でも、近所のおばさんや、おじいちゃんが面倒を見てくれたりと、比較的コミュニティが成り立っていた、という点も、押さえておきたい。
私の頃は、東京でも、持ちつき大会などあり、どの子が誰の子かは、皆知っていた。今住んでいる下関では、年中、子供が集う機会があり、同様の環境にあるが、子供が東京へ行って、見知らぬ人に「こんにちは〜」と、自然に挨拶すると、偉いわね、というより、(ぎょっと)意外な反応をされ、たいがい無視される。


教基法改正案のポイントA

教育の実施に関する基本(幼児期の教育)第11条
幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方自治体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適切な方法によって、その振興に努めなければならない。

教育の憲法である「教育基本法」には、
幼児期は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要な期間である、と明記されている。
古くから伝わることわざに、「3つ子の魂、百まで」と言われていること、そのままであり、そこに異論を挟む余地はなかろう。

今、3歳までの幼児教育こそ、重要不可欠な問題解決の焦点の中での、言わば、ツボ中のツボであり、そこに手を加えぬことには、今の小中学校の荒れ放題の問題は、解決不可能と思われる。暴力件数は、小学生の方が中学生より増えているデータもある。

では、次回、幼児教育の問題点と、母親教育の核心に触れていく。
posted by 大石 at 00:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

教育現場の悲鳴から考えられる将来予測その2≪教育基本法改正に想うシリーズC≫

当ブログで、教育問題をシリーズで扱っている理由は、今、日本が「日本のバースビジョン」を見失っている、という現状があるからだ。

バースビジョンの専門家によるブログを公開した以上、バースビジョンという観点から、今日本がどうなっているのか、このままいくと、どういうことが予想されるのか、そして、その観点から見ると、問題に対してどのような対応策があるのか、大石はどう行動を取っていくのか、を明かしていくことは、必要な事と判断した。


さて、現状を、特別知りえた情報ではなく、新聞記事・ネットなど公開されているデータを取材源とし、想像力は働かせど、根拠のない直感的情報を極力排除する方針の、このシリーズ、4回目も、法令や記事から読み取る将来予測を扱っていく。

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教育の実施に関する基本(家庭教育)第10条
父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

第10条2
国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

保護者は、子の教育について第一義的責任を有する。
地方公共団体は家庭教育を支援するよう、努めなければならない。
とある。

この点が、最も注目すべきポイントだ。「国や自治体が、家庭教育にどのような支援策を講じるか」という策が、極めて大事になってくるだろう。
どのように進んでいくかによって、将来予測が全然違ってくる。

が、前回まで、ざっとデータを基に見てきた通り、起こった問題をどう処理するか、に追われて、根本解決策はあまり見当たらない。
大阪の行政は、いじめによる自殺は緊急のAランクで教育委員会で緊急会議をし、少々のトラブルならDランクで電話で校長に指示するなど、と、地震発生時のマニュアルを模して、「問題解決」を図るとか。

そうした新聞記事から見ても、問題が起こらないようにする根本解決策はありません、どうか身辺に注意して見守って上げて下さい、とさじを投げているようにも思える。

また、こういう記事もある。
「キレる児童なぜ?抑制できず、学級崩壊も 米国流の危機管理」(2005.11.28毎日)と、小学生の暴力事件が増加傾向にあるのを受け、危機管理の専門家を講師に招き、二人一組になり暴力への対処法を学ぶ先生たちの写真が掲載されていた。
米国生まれの対処法で、暴力に至る前兆段階を見逃さない危機回避の手法らしい。導入を決めた自治体や先生は、満足らしいが、年配の女性教諭は、ぽつりと一言、
「子供を見詰めていればこんな知識も必要ないはずですが」と複雑な表情だ。と取材を締めくくっている。そんな当たり前で、素朴な声すらかき消されるほど、教育現場は、殺伐としているのだろう。

インターネットで授業を受ければ、不登校児も卒業させては?という議論が起こるくらい、先生自身が、子供にまともに接する術をもたないまま、コミュニケーション断絶が起こっていると思われる。

なぜ、精神疾患で授業を続けられないほど、生徒に接することが出来ない先生が多くなってきたのか、なぜ切れる子、学校へ行きたくない子、いじめで悩む子など問題が多くなってきているのか。その事をまともに議論している政府筋・教育界代表者の記事は、ほとんどお目にかかれない。

2005年10月31日の記事には、こうある。不良品は絶対に許さない、という意味の「ゼロトレランス」という概念を教育に当てはめ、文科省では、「児童生徒問題行動プロジェクトチーム」が発足、ゼロトレランス方式の調査研究を開始した、と。問題児は、有無を言わさず、追放するという考えである。

それからまる一年経った今では、教育再生会議で、ワタミ社長の「学校に来させないのは責任放棄だ」という意見が多く、出席停止の方針は外されたものの、

「起こった問題をどう対処すべきか、という視点ばかりで、なぜ各地で頻発しているのか、という問題解析の思考がない」。

よって、私は、学校をめぐる各種トラブルや事件は、取締りによって、減少したかに見えても、それはご機嫌取りの役人の数字合わせに過ぎず、部分的には成功する校区や自治体はあるにせよ、もぐらたたきのように、別の問題を発生させながら、限りなく無秩序が広がると思う。
このままいくと、文部省主導、教育委員会経由の組織システムが崩壊するまでに信頼を失い、教育制度そのものが解体される方向にいくと予測する。(5年後確率50%)

そして、自分の身は、自分で守れ、自分たちの自治は、国を当てにせず、自分たちで行え、教育は、各校区や各校長の方針に従い、いやなら投票で代えれ、自分の子は家庭で教育しろ、国に頼るな、役人も身の保身などで忙しいんだから、となるだろう(7年以内70%)。

そうした大混乱期を3〜5年経て、理念ある国体が出来始める。その時には、世界と調和できる新しい憲法の下に、戦争のない平和な世界をどのように築くのか、どのような教育が子供たちに必要なのか、を明記した理念型教育カリキュラムが導入されているに違いない。(12年後5%)


将来予測は、今、これを読んでいる方々が、どのように生きるかに寄るので、これ以上行っても意味がないかもしれない。
しかし、原因は、何か。何が、ここまで悪循環をもたらしているのか。これだけは、はっきりとしておきたい。
それは、教育の憲法である「教育基本法」改正にある。
家庭教育を重視しているではないか。小学校に上がってからでは、遅い。との認識が既にあるのである。
父親も育児に参加しよう、との呼びかけがあるが、現実には、母親が未就学児の教育・育児を担っている場合が圧倒的に多い。
従って、今、母親教育が、急務である、と言えよう。

ある意味、国の教育政策に何ら、直接的な影響のない立場で、自分の子供を育てる権利も立場もある。自由に行えるはずなのに、画一的になってはいまいか。しつけばかり重要視されていないか。

パイロットは免許がないと、乗客を乗せる事ができない。それと同じように、将来に渡って非常に責任のある立場である母親に対して、何も指針がなく家庭に任せているのは、あまりにも心もとなく、母親としても自信がなくなるはずだ。

次回より、現状把握と、将来予測を終わり、一気に、問題の核心へと迫る。お母さん方は、くれぐれも誤解しないで欲しい。母親の責任で子供がこんなになってしまった、といっているのではなく、子供の未来を決定する要因は何か、を探っていこうとしている。いじめなどの問題が起こる温床は、どこにあるのか、ということが解明されれば、これから起こるであろう未来を変えることができる。

取り返すことが出来ない過去は、問題なのではない。これから起こる事を回避できる策があるかどうかが、肝心なのである。
posted by 大石 at 17:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

教育現場の悲鳴から考えられる将来予測その1≪教育基本法改正に想うシリーズB≫

個人向け不動産業を営む世界では、ある種のセオリーがあるらしい。小学校などの教諭同士で結婚した夫婦に、マイホームを勧めるとかなりの成約率があると言う。多額の退職金が双方から見込まれるため、「安心して」ローンが組めるというわけだ。
病院で人が死ぬと、遺族より誰よりも早く葬儀屋が駆けつける仕組みになっているのは、業界の常識(らしい)であるのと同様に、教諭同士の結婚が決まると、不動産業者と銀行がいち早く情報をキャッチする営業システムになっているのであろうか。

それはともかくとして、将来に対し、安心した生活設計が出来るはずの学校の先生の現場は、私の時代にはあり得なかった悲惨な状況もあるという。

それなりにストレスの多い職場であることが想像できるが、ここまで酷いのか、という新聞記事が、昨年後半に立て続いた。
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心病む教員、4000人超 10年で3倍に急増(山口新聞2006年秋)
病気休職教員最多7017人・6割がうつ・ストレス(文科省調べ)
心の病 休職教員4000人超「学校は今、慢性疲労状態。だれもがうつ状態になりかねない」(精神神経科部長談)と警告している。(読売新聞2006年12月16日)

行政もまたこうした事態と同様だ。

「心の病」休職者が急増 下関市役所メンタルヘルス対策実施へ 専門医による相談件数も急増。休職予備軍も膨れていることを裏付ける。(毎日新聞10月25日)


教職員の精神的ストレスは極限に来ているし、行政の責任者である市職員の精神的ストレスも、極限まで達していると考えられる。
これら教育現場と行政の悲鳴から考えられる将来予測は、あまりしたくない。
子供のいじめ問題の解決策を講じる以前に、いじめの現状を早期に発見・対処できる心的ゆとりがないという実態が、明るみに出たからだ。

その上、いじめ件数をゼロで報告しないと、先生としての首が飛ぶ。そうなれば退職金まで当て込んで組んだローンを支払えない。タダでさえ書類作成に悩殺されて子供に面する時間がないのに、法改正で教員適性を厳しくチェックされ、報告項目も増える、などの事情で、心のストレスは、極限を突破し、更にうつ患者が増え続けるに違いない。

「お上」に逆らえない校長や、教育長は、現場の声を上に上げることが難しくなり、学校教育の現場が、おおむね金縛り状態が続くだろう。

母親もまた、日常に悩殺されて、日々の家事育児に埋没し、子供のSOSに気がつく心のゆとりや、穏やかな気持ち、心の変化に気がつく身体感覚が、欠落しがちだ。

ということは、いじめなど問題が発覚してからの今の国の対応策は、全て、責任は誰が取るべきか、という事を事後処理的に決めていく手立てにすぎず、問題の解決を図るものではない、ということが見えてくる。

いじめや虐待などの問題を解決する法改正やカウンセリングの充実などは、地震が起こったら、どう対処しようか、という議論に過ぎず、地震をどうやって予知し防ごうか、という問題解決ではない。
よって、文科省から教育委員会、校長まで締め付け・監視を厳しくすればするほど、組織の金縛り状態が強固になり、SOSの声、助けて!死にたい、という声という声は、完全に封印されるであろう。

その結果、緊急電話室の設置などの対策がなされるだろうが、間に合わない子供も出てくるのは、避けられない。だから、この世に与えられた「命」をほんのわずかな瞬間でも、大事にしなきゃ、と、奇跡的に思えた子供は、「引きこもる」。引きこもる場所へ、緊急避難する。

そう、学校へ行かない、という選択をすることで、自分に触れる機会を、半ば本能的に選択するだろう。その数は、既に50万とも100万とも言われているが、そんなものじゃない。学校そのものが成り立たなくなるくらい、激増するに違いない。よって、学級閉鎖で統合しクラスは半減。教員は、そんなにたくさん必要なくなり、大リストラ時代に突入する。ローンは破綻。銀行・不動産も被害を受けるだろう。しかし、人の死より尊い倒産・破産などあるわけがない。


国は、正しく問題を見据えれば、「不登校を容認する、必要とあらばホームスクールも奨励する」という政策を取れば、間に合わない子供も減り、目的を達成するのだが、秩序を維持しようともがくほどに、無秩序が拡散し、バラバラに解体される方向へ、自ら拍車をかけていることに気がついていまい。

生徒も先生も公務員も精神的ストレスから、うつとそれに伴う不眠の増加傾向が急カーブ曲線を描き、急増する。これは、間違いない予測であろう。
離婚率の増加や、家庭不和傾向の増加も追い討ちをかけ、子供はどこで何を学んだらいいか、ますます分からなくなる。

そうして悩む子供に与える薬は、ゲームの中にしかなく、現在、父母たちの子供たちへのプレゼント人気ナンバーワンの地位を誇るゲームソフト(任天堂調べ。新聞公表済み)は、もはや不動の地位を圧倒的なものとし、かくして、アルツハイマー症と同等の脳内構造を持つ子供が激増することは、避けられまい。
いわゆるゲーム脳に汚染された子供を襲う、未知なる精神病的脳内ウィルスには、どんな駆除ソフトが用意されるのであろうか。公園でもくもくとゲームをしている男の子たち。ゲームの中でしか、友達が出来ない、基本的な対話が成り立たない、ゆえに心が自立できない社会人不適応予備軍に与える薬は、ない。通り一遍のカウンセリングでは、歯が立たないだろう。

スクールカウンセリングを強化するほど、カウンセラー自身がうつ患者の仲間入りを果たすことは、時間の問題。
にも関わらず専門家と称して増員し、対応策にもがくほどに、学校を取り巻く環境は、乱れた精神波動を増大させ、逆スパイラルを描きながら、集団迷走を始める。そうした中、子供たちが集団自殺を図り、そのニュースを引き金に、次々同様の誤まった選択をしてしまうなど、何が起こっても不思議ではない状況へ、数年のうちに突入する可能性は高い。

マスコミは加害者か?など、その責任の所在を探しても、どこにも見当たらない、といった事態となり、国の責任を放棄したこたびの法改正は、「自分(子供)の身は、自分で(家族で)守れ」との警笛だったんだ、そうだったんだ、となるだろう。

あくまで論理的に突き詰めていった結果、予想できる可能性ではあるが、2007年は、最悪の事態を避ける上でも、大きな歴史的分基点となるはずだ。
なるはず、と書いたのは、事の重大さが、これほど大きいのにも関わらず、相変わらず何とかなるさ、と、のんきに構えている人が多いために、避けられる事態も、避けることが不可能かもしれない、という意味を込めています。
分岐点になるはずの今年が、ずれこんで、がけに向かって、ノーブレーキで進んでいるという日本の現状が見えず、急ブレーキ一つしない、果ては、景気はいいんだと、アクセルをふかす人が多いとも言える現状から見る未来は、私の予測では、まだ甘いのかもしれない、とも言えるのです。

今、急ブレーキを踏んでも、ある部分は、もう間に合わない、というのにも関わらず、目の前のがけを目前にして、脱出することもしない、させない。気がつきもしない。

気がついても、ローンがあるから、目をつぶる。子供の死よりも、声を大にして「お上」に逆らうことで、首になることを恐れ、老後の安泰を優先する。

今の学校教育環境は、そうした末期的な状況に向かっています。
posted by 大石 at 16:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

教育基本法改正に想う@≪幼児教育は、どう変わる?@−2≫

保育園の保育士が、小倉で行ったビジョンヨガ教室にしばらく通っていた。北九州にある100人規模で乳幼児を受け入れるその保育園では、必ず、行う”儀式”がある。
それは、新規に入園希望の子供の服を少しだけあげて、背中全体をさりげなく見る、という儀式だ。何のために、そんなことをする必要があるのか、コミュニケーションのためか、最初は分からなかった。

その保育士は、寂しそうに語った。
「必ず、いるんですよ。背中にあざがある子が。そういう場合は、親と話し、「事実関係」を確認し、場合によっては、入園をお断りする場合もあるんです」と。

2007年早々の法改正は、「児童虐待防止法改正。「親責任」盛り、立ち入り検査を含む迅速な救済を可能とした。
予想通り。というか予定のコースと読むべきか。

イギリスの児童法では、「親権とは、親が(子を養育するという)責任を果たしている限り、子供に対して有するもの」とある。それを参考にした法改正だ。

これ自体は、取り組むべき対症療法であろうが、国が幼児教育に強制力を持ち、一元的に管理する体制への車輪が回り始めたと見るべきだろう。
その読みの一つの証しとして、昨日こんな記事があった。

ー学校行かない18万人ーホームスクール増加
家族が先生役を分担(毎日新聞)

つまりフリースクールにも通わない児童が、18万人もいるのだ。
そのことを、社会性が身につかぬとの批判も多く、国は「容認への動きはない。逆に締め付けが厳しくなるのではとの懸念もある。(毎日)」とあり、
恐らく、現状の流れでは、これらの自由放任の教育を「取り締まる」ために関連法案の改正となる可能性が高い。

また同時進行して、いじめの加害者の親は、罰金を払って、いじめられた子供への責任を取るべき、という風潮が高まるだろう。英国の児童法に習って、その事が、「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とした教基法改正の具現化として、決定される方向で、既に法改正が進んでいるに違いない。
教育委員長が、いじめ自殺問題で謝罪するということは、国が責任を取る=多額の慰謝料等を支払うということになるから、それは、たまったものではない、ということだろう。だから、問題が多発する前に、法改正して、母親に責任を押し付けてしまえ!ということだ。

幼稚園・保育園が、義務教育になるということが前提とすれば、学級崩壊やホームスクール激増、校内暴力多発など崩壊現象を食い止めることが不可能な事態に陥る前に、秩序維持のための強権発動が可能な体制を今のうちに整えねば、国の威信にかかわる、というような危機迫ったものが、各種法改正を急ぐ理由に他ならないと、私は考えます。

よかろう。それも、よかろう。
流れに竿をさしても、くたびれるだけだ。それに、締め付けが厳しくなるほどに、自分の首を絞めている、ということを、教えてあげよう。

教育現場の悲鳴からもたらせられる将来予測を、次に読み解いていく。
posted by 大石 at 10:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする