2017年06月15日

7月26日東京に入ります。

1993年に事業を立ち上げて、早、24年となりました。この間東京で6年、その後大阪へ渡り、福岡へ移住、下関に完全に住んでからもう、15年ほどになります。
この間様々な出会いがあり、事業化に協力頂き、私自身も成長させて頂きました。
特に立ち上げ当初の東京メンバー?はとても懐かしいし、お客様の顔や、時には交わした言葉など、よく覚えている方も多い。
最初の東京での3年間の出逢いが元で、様々な企画が生まれ、継続し発展しているビジョンヨガの推進や、タッチセラピー事業があります。本当に感謝する次第です。
再び東京で、お会いしたい方もたくさんいらっしゃいますが、連絡先も途絶えてしまいました。もしまたご縁が復活するようであれば(このブログをご覧になっていらっしゃれば、是非ご連絡下さい。機会があれば、またお会いしましょう!

今年2017年の年間キーワードは、『温故知新』です。

古きをたづねて(温ねて)新しきを知る。そんな年にしたいと思っています。7月27日は終日、保育園の経営者や保育士の方々に、タッチセラピーの指導に参りますので、その前後の日に、可能です!宿泊はいつもの杉並の自宅です。

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2015年12月10日

文と長州とバースビジョン=その7;忠義に生きるとは≪シリーズ完結≫=

花燃ゆも、ついに鹿鳴館まできて次回最終回となる。松陰先生や高杉晋作の思想や行動を通じてその先に”あるはずの”明治を語りたかったが、舞台は大奥やその引っ越し、そして群馬に移っていき知らなかった地方自治体から見た明治の姿を知れたり、なかなか見ごたえのあるシーンもあり満足だった。

が反面、描きたかった部分、明治政府の苦悩の選択について、あまり扱われなかったがために幕末と明治が切り離されたように見えて、どう扱ったらよいか分からないまま今に至ってしまった。
松陰先生の忠義に生きた時代とは、諸外国の圧力に屈しない形で源頼朝以来約400年間続いた幕政に終止符を打ち、天皇を頂く国体のあり方へと国のあり方を見直すこと。
その理念は明治に入ってどう変質していったか、あるいは山形有朋らに悪用されていったか、ドラマを通じて描きたかったが、なかなか難しかった。

そもそも忠義とは、天皇に対する忠義と捉えがちだが、松陰先生の生き方を研究していると、必ずしもそうではない、ということが分かる。晩年では、「幕府もいらぬ天朝(天皇)もいらぬ。ただわが身(六尺の体)があるのみである」と説いている。
自分一人でも立ち上がろうという気概を表す言葉であるが、あくまで国体として、天皇を象徴として扱っているに過ぎない事が分かる。
そもそも古来天皇に政治的な権力などなくても成り立っていた国家だったという、その故事に従い元に戻そうという動きが、幕末の尊王攘夷思想ではなかったか。

であるならば一たび幕府を崩壊させたら、近代的な政治形態に変えていくのはよしとしても中央集権国家ではなく、沿岸に奇兵隊をくまなく配置して防備に当たらせるなど各自治体に権限を委譲し、各県の創意工夫で産業を興す。その技術や人材を相互に交流し合って、日本の国体と自治権を守る。という互恵経済圏の確立に舵取りをしていったらどうなっていただろうか、と思うのである。
(飛行機のない時代である。上陸して来た敵兵を追い落とす事は奇兵隊の得意とするところで実際に長州で成功した。何も海軍など持たずとも、性能の良い大砲と上質な外交で時間稼ぎをすれば、30年もしたら強力な産業力を保持して対等な国力を磨き上げ、不平等条約など解消されたのではないだろうか、と)

先日の大河ドラマでも、国営の事業が赤字だからと次々と民間に払い下げられる、という無責任な事態に陥った。中央集権国家を目指した弊害である。しかし群馬の富岡製糸場だけは?生き残り、生糸を大量に輸出するための鉄道までも国の資金で引かせてもらえることになったという。

まさに至誠の現れである。

これぞ長州の力と言わずして何とするか、神奈川県令となった野村靖がどんな至誠を市制で貫いていったかを描くなどして、松陰先生の教えや理念が息づいている様を描き、地方創生に一石を投じるドラマがもっと見たかったが、中央集権の権化である鹿鳴館外交で終わってしまうという、寂しい限りだ。

忠義とは、天皇のために尽くす、ということなどではなく、己の心に忠実に生きる、ということであり、我欲を捨て、天命を尽くすことであり、それがその人にとっての義であり、その思い(義)に逆らって生きることは不義理だ、ということに他ならない。
つまりは、バースビジョンに沿って生きることこそ忠義の現れであり、そのカタチは日本人の数だけあるはずなので、その妨げとなる制度はすべからく廃止すべきである、というのが持論である。この考えは民主主義の理念とはいささかも矛盾しない、という結論に至ったのである。

花燃ゆが終わってしまう前に、ドラマの中で共感したことがあるのでいくつか述べさせてもらいたい。
一つには、明治維新とその後の日本の発展の共通性というか、現代とは何がどう違うのか問い詰めるに、現代と大きく変化したのは、家族の絆の在り方ではないかと、文の大河ドラマを観ていて思った。

御一新を成し遂げた原動力も家族、とりわけ家系の絆が強固だから、艱難辛苦を幾度となく乗り越えて、なお至誠を貫く事が出来たのだと。

突き詰めると母親を母上と、父親を父上と称する、当時としては当たり前の光景の中に、日本の将来を憂い共に立つ力がどこそこに生まれたのだろうと、そんな風に思えてきた。

志士たちの変革への志を支える尽きることのない原動力は突き詰めると母親の想いなのか、と。恩師や師匠のためにというエネルギーもあれど、比較にならない力で推し進められたのだろうと。男性エネルギーでまい進してきた国家作りも、その根幹に母性がある。日本は母性国家ではないだろうかと、そう思えてきた。

自分の立身出世や自分のために頑張るエネルギーなどポキっと折られたらもろいもの。君子と小人の差に関して、二十一回「孟子」を題材にして、説こうと思う、と大それたことを書いてしまって後悔したが、そう思えば、誰もが母親の母体から誕生したわけで、そこには例外はないのだから、どんな境遇の人でも、家柄が良かろうと悪かろうと、能力があろうが無能だろうが、母親の母性を受け取る感性があれば、尽きぬことのない無尽蔵のエネルギーで、幕末の志士のような働きができるのかも知れない。その結果が歴史に残るかどうかは別としても。

ドラマを通じて、家族の絆を見た。松陰先生の母親の出身地である「下関市≪旧豊浦郡≫滝部」に良質な温泉があり、何度も行ったことことがあるし、私にとって最初の萩ツアーはこの滝部温泉からスタートしたのだった。そうした縁のある滝部で最近、松陰先生の母、滝を顕彰する碑の除幕式があった。
有名なことわざ、

「親思う こころにまさる 親心」
  
は、松陰先生の句である。
  「けふ(今日)おとずれ 何と聞くらん」(先に死んでいく私の報せを、母は故郷の萩でどんな思いで聞くのだろうか。ごめんなさい)と続くのだが。
  
滝は先生の背中をよく流していたそうだ。
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2015年02月21日

文と長州とバースビジョン=その5;恩義について= 文と長州とバースビジョン=その6;才能とバースビジョンについて=

元総理大臣の小泉純一郎氏は、萩を訪問した際、「市が野山獄の周囲の土地を買い取り、もっと整備するべきだ。」と提言したそうだ。松陰先生の獄中教育は素晴らしかった、という事をもっと世に知らしめるべきだ、というわけだ。
私は、毎年1,2回「萩・下関志源探求の旅」ツアーの運転手兼助手として、もうかれこれ10回はツアー引率を行った。参加する方々はすこぶる高い志を有する経営者が多く、和道を極めようとなさっている方々だ。花燃ゆのドラマの最後に、萩の名所が紹介されるが、その度にツアーの最中に得た感動が蘇る。

ツアーと言っても一般の観光案内とは趣向が異なる。和道の提唱者大和先生のレクチャーが主の志を探求する機会に溢れている。何より明倫小学校でのお話がじーんと胸に響く。

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。これは、『松陰先生でさえも、幕府を突き動かすことが出来なかったのだから、我々凡人がどうして至誠を持って人を動かすこと出来ようか、無理に決まっている』と、当時は思ったものだが・・・・。」というお話から始まる。
萩ツアー引率者である大和先生は松陰先生の生まれ変わりではないか、と思うほど風貌や志の水準が似ている。萩出身で明倫小学校に通っていたというから、縁が深い。加えて、藩主(毛利)の子弟教育を代々担っていたというから、真に真に迫る。

先生によると「どうせ無理に決まっている、とあきらめるのが凡人で、(松陰先生のような君子は)決して諦めず、誠を貫く。決して心を動かされないはずはない、という初心貫徹の姿勢こそ立派なのだ。
松陰先生は、志を貫いて、最期まで貫き通してそして死んでいった。ゆえに至誠の人なのであり、そういう生き方をこの言葉、『至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり』が現しているのだ、と。

私は何度聞いても、志を共有する者同士の共鳴もあるのであろう、「自分も至誠を貫き通せる人間になりたい」と思うのである。こんな内省が起こる萩観光ツアーは他にはないであろう。

さて、大河ドラマはようやく、松陰出獄の時を迎えた。
時代がまだ幕府の威光が残っている緩やかなシナリオ段階だから、今のうちに、松陰先生の思想と、明治以降の関わり、国のカタチ(国体)に大きく影響した点について語っておこうと思う。

今年は本ブログを通じて一貫して『松陰先生が国の形、すなわち国体を形成し、今日の平和国家日本の礎となった。』という大胆な視点を解き明かす事に挑戦する。
そしで花燃ゆの中で出てきた、この台詞こそ、私が最も大事にしている松陰先生の言葉で、かつ、バースビジョンを発見するための鍵として大切に育んでいる言葉だ。

松陰先生は、かの『福堂策』において、

『人賢愚ありと雖も(いえども) 各々一二の才能なきはなし』。と、唱えた。

大河ドラマの解説を引用すると、

どんな者でも必ず優れたところがある。
獄の有りようを整えれば人は必ず罪を改め生まれ変わることができる。

という。まことにもって、簡単には凡人には真似の出来ない素晴らしい志を実践されたと思う。
先生が教師になれば、たちどころに不良少年は更生し、いじめのないクラスが実現するのであろう。
至誠を貫く姿勢がありさえすえば、どんな人の中に眠っている良知を呼び覚まし、悪玉菌を追い出し善玉菌を繁殖させ得るのだと。そうしてひとたび繁殖した善なる心は次々と心の中で連鎖反応を起こし、周囲を感化させ、支援者を引き寄せ、幸運を呼び込み、別人格に成ったかのごとく、生まれ変われる。

世の中には自己啓発的な書物が溢れ、成功するためのノウハウが至る所にある。その書物の中には松陰先生の言葉を引用したものも最近では少なくない。しかし・・・。
しかしながら、先生の教えが世に広がるのは良しとしても、それを著す人たちがどれほどの覚悟を持って言うのかはなはだ疑問に思うことが多い。ビジネスで成功するためにわざわざ松陰先生の言葉を借りずとも良いではないか。幸せな家庭を築くとか、世の中の役に立つ商売をするとか、そうした個としての自己実現欲求を果たすためのノウハウを遺すために松陰先生は生まれて来たのではない。

我流の表現を用いる事を許してもらえるのであれば、松陰先生は、
『日本国のバースビジョンを明らかにするために生まれて来た。と言えよう。換言すれば、日本人としての明徳を明らかにし、日本国という尊い価値を世界に記したい。たとえ我が身が存する間に不可能であっても、後世の世にそれを託す事を予め決めて生まれて来た』・・・と私は思う。(本当に僭越でお恥ずかしい限りだが)

かくなれば、先生のバースビジョンは成就していない。幕府崩壊という現実を天から見て(あー私の生きた証を目の当りに出来た、これで成仏できる)とは、思ってはいまい。日本国が真にその生まれた目的を全うするには時がまだかかる。頼むぞ、諸君、と、平成の世に、私たちに語りかけているように思えるのだ。

日本のバースビジョンを明らかにするには、何より日本人一人ひとりの天命を知る必要がある、その一人ひとりはかけがえのない一人であって、何人もその人なくしては困る、というほど尊いもので、それぞれ生を受けたからには、かけがえのない役割がある、それが何かを見出し、育み、その英知や才能を世に知らしめ、社会の何がしかに貢献すること、それが至誠を貫くことに通じる。そうした日本人が増える毎に、日本という国の天命も明らかになってこよう。

そういう希望に満ちた道筋を、松陰先生は後世の人たちに遺して死んでいったのである。たかだか260年続いた幕府を瓦解させるための引導を渡す役ではない。

人の中に眠るバースビジョンを紐解く鍵がこのフレーズだ。

『人賢愚ありと雖も(いえども) 各々一二の才能なきはなし』。続いて、

『湊合(そうごう)して大成する時は、必ず全備する所あらん』。

訳は、「人にはそれぞれ能力には違いはあるが、誰でも一つや二つの長所を持っているものである。
その長所を伸ばせば、必ず立派な人になれるであろう」。
この訳は、明倫小学校で用いられている道徳の副読本から引用した。そう、昭和のある時代に、道徳を学校で用いようと文部省で提言した時期があるが、その時山口県では、真っ先に松陰先生の言葉を用いよう、と決まったそうである。その際に山口県教育会が発行した書の中に、人賢愚・・・がはいっている。

花燃ゆの台詞の中に、松陰先生の言葉として、
「(福堂策を著したからには)、一人でも二人でも(その人なりの優れたところを見出し)世に送り出すことこそ、殿への忠義の道と心得ております。」とある。ここで再度恩義を扱うとしよう。先生は藩主への恩義から、獄につながれては獄でしか出来ないことをしよう、と善性を自らに見出した。
獄を更正施設とすべきだ、との獄中からの建白書「福堂策」をしたためたからには、我先に出るわけには行かない、と律儀に拒んだわけである。これは頑固さではない、忠義者。至誠の人だ。
そのまま獄で朽ちていく事を知りながら、どうして特赦を拒否できようか。正直私には到底真似の出来ぬ話だ。人の心に善性や良知を見出そうと努めているが、どうしても諦めてしまう。
この親にしてこの子だな、もはや、三つ子の魂百までだから、小学生に上がってから教育しても無理だな、まして大人になってから研修しても無理だ、などと見限ってしまう。

恩義あるひとつくりなど夢の夢だ、と。そう、すさんだ心に陥ったとき、松陰先生の言動を思い起こすと勇気が沸く。

出獄を拒んだ松陰に対して、ある獄中の者から、

「真に更正したかどうかは、獄を出てみなければ分からん、ということじゃ。世に生かされて初めてここが福堂と呼べるのだ。」と、言葉を返されて、ようやく獄を出る覚悟が定まった。というシナリオになっていた。

ひととせの 夢か別れの 寒さかな

という句に送り出されて。何とも味わい深い、送別会なことか。

して、松陰先生がどうして獄から出ることを拒んだのか。凡人なら「ラッキー、お先に」と、手のひらを返したように、利己に走るであろう。しかし松陰先生は違った。恩義の奥にある、究極の恩義に報いんが為に、頑なに拒否した獄を脱したのだ。

次回、この君子と小人の差に関して、二十一回「孟子」を題材にして、説こうと思う。
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2015年02月19日

文と長州とバースビジョン=その5;恩義について=

私が最も好きな言葉として「義」がある。好きと言うより判断の拠り所とすべき指針が、「義」だ。
恩義にもとる。悖る。という言葉があるが、最近、恩義を知らない人が多い(多すぎる)ように想う。
誰の心にも良心があり、それを元から知っているのが人間であり、良心の中には、仁義礼智信という武士道の心得が含まれている。
そしてそれらの徳目は、五倫をベースに行われてこそ身に付いてゆく。すなわちお世話になった人(父母・恩師・国)へは感謝せよ、夫婦はそれぞれ役目が違う、兄を敬い弟を可愛がり、上下のけじめをつけよ。友達は大切にし、裏切るな。という教えだ。松陰先生の仰るところの

「けだし人には五倫あり。しこうして君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)だ。

・・・と解釈すると、恩義の意義も奥深い。

最近とみに「恩義」を知らぬ人間が増えてきたように思う。という危惧は私だけではないだろう。恩義をないがしろにする日本人が増えていく事は、日本が日本で無くなることにも通じる一大事だと思う。
「君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)とは、社会の秩序を端的に現している。秩序なき社会は無法地帯、法があっても目を掻い潜るごとく利己的な動きをしては社会は乱れる。

法があるなしに関わらず、守るべきもの、それが道徳だ。徳とは、元徳と明徳がある、とは前に書いたが、本来、父や母、兄、先輩や上司、教師といった目上の人から教わるものであって、学校のお勉強さえ良ければ身に付くものではない。父親に言われたことを聞き分けのない振る舞いをしたり、ハイと素直に聞き入れられないようでは、身に付かない。というわけだ。
そして父子の間柄に加えて、君臣を最も大なりと為す、とは直訳すれば、君(主君)に忠義を尽くせ、ということだが、現代ではもっと拡大解釈して、目上の人を重んじるべし。としても語彙として差し支えないだろう。目上の人とは、突き詰めれば、先祖であり、先祖の先にある国を創った人たちであり、ひいては天皇家の存続(皇統)のお陰で日本は、比較的平和社会を築いて来た、という歴史に感謝せよ、ということになる。よって、いわば、君臣父子とは、忠孝の二文字で現せる徳目であり、我が国においては忠(義)と孝(行)は別物ではなく、同一のものだ、という考え方を貫ける世界で稀な民族なのである。この項は、後々詳しく論じることとする。話を、恩義の重要性に戻そう。


例えば、中国。空がガスで曇って晴れていても青空が見えない。という事は、自然に対する恩義が欠けている、ということもあるが、人気アトラクションで並ぶ順番を横入りさせないために、見知らぬ人同士ぎゅうぎゅう詰めにする浅ましさ。上海は観光に使われるメイン道路でも生ごみの匂いが臭い。
そうした日本にはまずない光景が至るところにある、自己中心人間(自己チュー)の寄せ集め国家であり、その結実が有毒ガスで空が常に覆われた都市光景だ。

その精神性を突き詰めると、その心に恩義が欠けているから、と言える。海賊版CDと称される違法コピーが出回り、アーティストが知的財産を侵害されていても、無関心でいられるのは、「良い音楽をありがたいな」と思う、恩義の心が欠けた民族だからである。
CD一枚コピーするのは簡単だが、それを一枚制作するのにどれほどの歳月がかかって苦労を重ねて、人の手に渡るようにまでになれたのか、想像する知性を持ち合わせない民族、それが中国人だと断言できる。
そういう道徳心を持ち合わせない、あるいは教育を受けていない野蛮人が、人の創ったものを平気で盗み、人に見られて恥ずかしい行為を平然と振る舞い、あるいは、営業し利益を得る様は、もはや仁義にもとる浅ましい人間たちである。そういう輩に決まって、その(海賊版の)方が安く手に入る人が増えるのだから、どうしていけないの?と罪悪感のかけらもない、最悪の人種だ。

松陰先生に言わせれば、そういう輩は犬畜生と同等でしかない。

「およそ生まれて人たれば、よろしく人の禽獣に異なる所以を知るべし」。(士規七則)

人が犬畜生と違うところは、道徳心があることだ、だから道徳を失っては、もはや人とは呼べない。
つまり、人が作った知的財産を平気で盗み取っても罪悪感すら感じない者たちは、もはや人とは呼べない低俗な生き物なのである。そういう輩が日本にも増えてきたことを、私は遺憾に思うし、大いに懸念している。

かつての中国と違い、欧米では知的財産管理は徹底しているようだが、それはあくまで法で縛り付けた結果である。米国では弁護士の数が非常に多いが、江戸時代の日本では武士がその徳で裁いていた事実がある。警察官に相当する与力等の取り締まり役は、江戸の大都市でさえ南北の奉行所合わせても実に600人程度しかいなかったというデータが残っている、無法者はどの世界でもいただろうし、ご法度もあったろうが、いかに徳で治める国創りをしてきたかが伺える。法治国家と言うのは影でこそこそする小物を増やすだけのようで気になるも、現代では致し方ない。

かなり偉そうなことばかり綴ってしまって恐縮だが、恩義にもとる、という概念が染み付いていた日本人は、一体どこへ言ったのか、ご飯粒を一粒残しただけで「お天道様に罰が当たるよ」と言われ口に入れたあの頃・・・。人が見ていなくても、天が見張り役になっているから、心に恥じる行いをしまい、と自己を律する心を養ってきた子供たち・・。今、一体どこへ行ったのか。


◆よもやま話◆
今、子供たちは、未来少年コナンを観てから寝ている。コナンは、恩義を知った子だ。智・仁・勇の三つを兼ね備えた武士でもある。公園でばかり遊ぶ(それしか空き地一つない暮らしの中で)自然への畏敬の念を思い出させ、友情を大切にし、権力の壁を突破してゆく智恵と勇気を備えた、たくましい子供になってほしいと願って。
今の子供たちは本当に可愛そうだ。便利さばかりを当たり前のように与えられ、寂しくて泣いても、スマホのゲームを与えられて。「これで泣き止んでくれ」と言わんばかりの乳母車を引いた母親たち。先日、小学校の仮入学で校長のお話を聞いたが、その最中、ずっーーーとおしゃべりしている母親たちへ、たまりかねて「そろそろいいですか(話を止めても)」とにらみつけてやったら、黙ったが。毎年、学習発表会では、自分の子の出番が終えたら騒ぎ出す馬鹿親が後を絶たないが、PTA会長さんが「静かに聴いて下さい」とマイクで言うなど恥ずかしくて観ていられない。
自分たちがほとんど、家畜化していることに気がつかない母親たち。それを横目で注意しないで、やり過ごす大人たち。感覚が麻痺して、子供へのしつけも出来なくなっている悪循環。
さて、どこから何を始めようか、と考えている日々だが、答えを出したい。逃げ出そうか、と。笑、いや、それでは答えになってないな。。


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2015年01月29日

文と長州とバースビジョン=その4;知行合一について=

幕末維新の流れはいつから始まり、いつ終止符を打ったのか、という歴史的な問いには、歴史学者の間でも未だこれという結論が出ていないらしい。が、それは解明出来ないのではなく、”したくない”というのが実情だと私は思う。何故か。
私は思うにどう考えても、大塩平八郎の思想から端を発しているとしか思えない。たった1日で鎮圧された1837年の大塩平八郎の乱を発火点として、そののちおよそ30年後の幕末期において安政の大獄で死罪となった松陰先生の「身はたとい・・留めおかまし大和魂」の世辞で倒幕へ向けて火が燃え広がり、明治維新後、およそ20年たった西南戦争で西郷隆盛が自決するまでの50年を一つの「区切り」とすべきだと思う。
その人脈(家系)的にも地縁的にもなんら系譜があるわけではない、これらの人物の思想と行動を共通するキーワードが、花燃ゆでも、登場した『知行合一』(ちこうごういつ)という行動規範だ。倒幕から維新はこの言葉たったの≪四文字≫で成し遂げられたと言って過言ではない。
尊皇攘夷の思想が成しえたのではない、尊王倒幕でもない。尊王開国という対立していた両者の融合理念で成し得たのだ。それゆえ『知行合一』を旨とする陽明学を学んだ者の中には、河井継之助もいた。佐幕派の中にも勝海舟のように佐藤一斎を通じて陽明学を学んでいる者もいた。だからこそ日本を変革する維新も成し得たんだと言える。思想的共通基盤があったのだ。思想と言うより陽明学と言う行動基盤があり、それを体得していた志士たちの共通言語が『知行合一』だったのだ。相対立する両側に陽明学をバックボーンに持っていた、という事は明治維新が世界史にも稀に見る奇跡の所以の一つだ。

会津陽明学なる一派も存在していたらしい。もっとも藩主が幕府に倣い陽明学(心学)を禁止の学問にした時期もありで、表立って継承出来なかったらしいが、その辺りも藩の命運を分けることになった遠因と言えよう。
その点、長州藩は、言論統制が厳しい当時では稀に見る柔軟な藩であった。先日村田清風記念館に行って来たが、村田は藩政改革に成功した変革者だった。その抜擢人事だけでも封建社会ではすごい事だったが、明治維新の先駆けとも呼べる大塩平八郎に感銘を受け、藩校のトップに会いに行くように薦めたという。村田清風に感化された松陰先生は、平八郎に会いに行った人から直接兵学を学んだというが、まさに『知行合一』を体得した人物を身近に感じた事だろう。
明治維新を語るにあたり、陽明学を無視しては正しく解明できまい。長州藩こそがこの『知行合一』を旨とする行動の先頭に立ち、周囲を巻き込み、維新を成し得たわけである。

『知行合一』とは陽明学の中に出てくる言葉で、言わば保守派の朱子学に対して、革新派の行動規範とも言える。大河ドラマ花燃ゆの台詞を拝借し説明するとすれば、松陰先生曰く

「自分の人生をどう使う?命をどう使うのか。知識など意味はない。行いを伴ってこそ知識は意味がある。
(己の主張する国家のあり方を論じた)想いが(幕府に)届くなら、命などは惜しくはない。(今の人たちは)日本国の危機に気付いていても動かん。じゃから私が動いてこの国を守らなきゃならんのだ」。

という想いに現れている。「知は行の始め、行は知の成り成り」と言う。「命をどう使うか、そればかり考えている」(ドラマの台詞)にて先生の熱い想いは、その場で行動の表れとなってゆく。
幕末維新の流れはいつから始まったかを国の御用聞き学者が解明”したくない”理由は、明白だ。陽明学を表に出させて社会秩序を混乱させたくない為政者の情報操作以外に・・・ない。

『知行合一』は、またバースビジョンを発露させ、命の使い道を見出す鍵でもある。今後、≪陽明学の成就としての幕末維新≫を、ドラマの進行に合わせて紐解いていくことにする。
そこに欠かせない議論が、孔子と孟子の違いと、松陰先生の解釈、その延長にある尊王論、そして国体論だ。



◆よもやま話◆
今、子供たちには、映画『るろうに剣心 伝説の最期編』をDVDで見せていた。次男から3歳の長女まで4人とも。≪長男は既に映画館で見てきた。「よかったよ」というので、DVDが出るのを待っていた≫。
子供たちは「二本差し」つまり武士が好きだ。3男聖也は、チャンバラ遊びするのに、小さい頃から、腰に二本
指していないと気がすまなかった。3歳の頃、
「どうして一本じゃダメなの?」と聞くと、「だって、・・・。かっこ悪いし。どうしてもダメなの!」と言い張っていた。武士の魂を呼び起こしてしまったかしら?理屈などないですよね、武士なら、どうして二本か、など。大小は当たり前ですから。聖也の心に揺さぶりをかけて、バースビジョンを思い起こすきっかけを与えたわけでした。

今日は、4男が鼻をグスグスやっているだけで「静かにして・・」と気になるほど集中していた。結構長い映画だったが、一言もしゃべらず、真剣に集中していた。全員だけど。私も含めて。
聖也に「これって本当にあった話だと思う?」と聞くと「いや、(違う)」と、聖也。「だよね。でも本当にあった話を元に、それを大げさにして作られているんだよ」と私。
本当にそうだと想う。深い物語だった。現代にも警笛を鳴らしている作為が感じられた。明治政府高官になった者達に「あんたらも元は武士だったんだよな。高官になって武士の魂忘れたのか?」と。
その言葉を浴びせられた者の中には、長州の伊藤博文(初代総理大臣)もいた。聖也に向かって私は
「伊藤博文って、どんなドラマにも良いイメージで登場しないんだよね。人気が無いんだよね。元は、晋作の弟子だったんだよね。」とだけ伝えておいた。悪役(火達磨で死んでいった・ししょう)の中にも、正義がある。その事を伝えたかったが、まだ言葉では伝えきれなかった。明治のねじれを解明するまでは、死ねない。そう心に誓って。代わりに分かりやすい、興味の持てる話をした。
≪本当は、「敵が死んだとき剣心の目に涙が流れたのは何でだと想う?」と聞きたかったのだが、私にはまだ答えられないから。何故、明治政府は、奇兵隊を裏切って(見捨てて)秩序維持を優先せねばならなかったのか、子供にも分かる理由がまだ見つからない≫

「ジャンプ力がスゴカッタ」というので、「あれだけ速く動ける人たちが、昔はたくさんいたんだよ。ピストルで撃つよりも速く後ろに回って(撃とうとした人の)首を絞めることが出来たんだ。引き金を引くよりも速く、ってすごいスピードだよね。(有名な武術家の本当の話)

「剣で勝つには何が一番大事か分かる?」と風呂上りの聖也に聞いた」「あのね、パワーがあっても勝てない。えい!ってやったときにかわしたらやられる。では、スピードが同じだったらどうする?」「うんーーーと、分からない。」「相手の動きを読むんだ。相手が何をしようとしているのか、それを読み合うんだ」と。

「それって、ドッジと一緒だよ。アタックするのかパスをするのか、読む。逆にアタッカーなら読まれないようにする。分かった?剣もドッジも同じだよ!いつもパワーはなくてもいい、スピードとキレって言っているでしょ、おんなじよ!」と。武術の達人や、るろうに剣心と、日頃のドッジと結び付けてしまう私。

試合は、元々死合いから来ているのだ。死ぬ気で闘え、とはスポーツの世界では良く使うが、死と隣り合わせと言う意味。だから、私は、
「当たって外野に行くって事は、死ぬんだ!」「いいか、お前はもう死んだんだ、そう思え!」と指導していた時期がある。それだけの覚悟を持ってキャッチせよ、と。
すると、お母さんから「うちの子にどんな教え方をしているんですか?
心が傷付いてしまったんですよ。死んだんだ、なんて!そういう言い方は辞めてください。」と叱られてしまった。それ以来、萎縮してしまった自分もまた、情けない。身に付いていない知識を言動にこじつけるからトラブるんですよね。分かってます。。知行合一の修行が足りません。。
以来先ず自らキャッチの極意を会得しようと。で、目下、高校生の球を取る訓練をしています。50になって動体視力が衰えて球が見えないんですね、これが。文武両道、山本五十六。≪この方も陽明学を修めたという≫「やってみせ。やらせてみせなば、人は動かじ」。これで行きます!監督の中では実践派を自認していますが、まだまだ。


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2015年01月13日

文と長州とバースビジョン=その2;至誠について= 文と長州とバースビジョン=その3;志の水準について=

松陰先生の志の高さは、国(長州藩)の面目を保つ為には、我が版籍も命も要らず。というレベルに達していた、と前回書いたがそれについて突っ込んで解明してみたいと思う。ドラマでは「長州人は友との約束も守れないのか」と侮辱される事よりも無許可で旅立ち自身や家族が非を責められても構わない、家族はきっと分かってくれる、という判断からの【義】つまり【正しいと思う心がけ】だった。
が私は、表面的にはそういう理屈を並べて周囲を説得し、内実は国状を早く知り対策を立てたいという想いに駆られての事【より高次な志、国を憂う想い】ではないかと想う。
話を解説に戻し、現在に照らして例を挙げ、その2では、
→日本の自立も面目も果たせないような悪法は、政治生命はもとより我が命を捨てても構わない。
としたが文法的に読みにくい。国のメンツを保てない(日米和親条約のような不平等な)悪法は、問いただし改善すべし、すなわち国を諫めて改心させようとし、それがダメなら死を以って抗議する、という意味になる。
さしずめ現代でも、沖縄で米兵が乱暴狼藉を働いても罰せられないなど治外法権がまかり通っていたりする。不平等条約は暗然として150年経っても生き続けているとは言えまいか。戦争で負けたから、と70年のくくりで見るのではなく、むしろ明治維新前後の日本と諸外国との関係性の推移とその思想的根拠を抉り出す事が未来に通じるのだ。ゆえに、平成の現代は第二の幕末を迎えている、と言われているわけだ。

幕末の政権を握っていた徳川将軍家は、朝廷をないがしろにした、国を憂う義があっても、勇がなかった。それでも、この時期の松陰先生は、まだ幕府を信じ、縛に繋がろうとも、至誠を貫こうとしていた。が、弱腰外交の姿勢は一向にかわらず、業を煮やし、倒幕(幕府を倒し新しい連立政権を立てる)を経て、討幕(幕府を討ち果たし天朝を基に新しい国家を形成する)論へと傾斜していく。
長州一藩の一浪人である松陰先生の、しかも牢屋の中で生み出された『草莽』思想と言動を『初期転原』とし、260年続いた磐石な政権が打ち砕かれていった。そのエネルギーたるや凄まじいものがある。
ちまたでは、やれ薩長同盟が転機だった、やれ坂本龍馬がそれを演じてのけた、など倒幕は複数の藩の力や脱藩志士たちの力が連動し成し遂げられた、と言われているが、それは歴史の表に表れている側面に過ぎず、真実ではない。全ての運動の原動力に松陰先生の存在がある。
かの龍馬でさえ、先生の草莽思想をインストールしている久坂玄随に啓発されて脱藩を決意したのだ。幕末から明治にかけて全ての事象の源を辿っていくと人脈が繋がっているか否かに関わらず、先生の思想が反映されている、と考えた方が日本と言う『国の根』を解明し、現代に生かす道(日本国のバースビジョン)が見えてこよう。

吉田松陰を研究する事が、源頼朝が開いた鎌倉幕府から、幕末維新を経て、明治・大正・昭和を形成した戦争の世紀を解明し、二度と戦争を起こさない国となる道(王道・和道)を平成の今、解き明かす事になるのである。
その事を大河ドラマ『花燃ゆ』で明治を生き抜いた先生の妹と言う柔らかい目線で脚本され、明治期に戦争(軍事大国)に突入する様を見て、「兄の志した日本は、こんな形ではなかった・・」と≪天から先生がささやきかけるが如くに≫語ってくれるであろう事を期待している。
その期待が裏切られた時は、私が代わって脚本を書いて進ぜようほどに。


◆よもやま話◆
今、子供たちには、絵本を読み聞かせたあとだ。でもまだ自分で本を読んでいる。メールが終わったら外へ遊びに行くという約束で、ずっと待っている。性格はその子によってまちまちで、次男は、3分に一回、「まだぁ?早くー!」とせがんだが、4男、6歳の琉磨は、何時間でもじーっと一人で待つ。
絵本好きで、結構文章が多い物語でもしっかり聞いている。漫画の時も多いのだが・・(笑)。
やはり言葉を覚えるのは絵本が一番だ。いつの間にこんな言葉を知っているのか?とびっくりさせられる。
(ここで外へ出て、一緒にサッカーと鬼ごっこをした後、再度、PCへ向かう)
しかし賢い弟が兄をバカにする発言には困ることもある。そこで論語や実語教のお出ましだ。
実語教とは、鎌倉時代の僧が編纂したといういわば小学生の教科書。ウチでは10年前より長男の時から実語教の素読は、3歳から始めて暗唱させている。当時はネットから検索し資料を作るのに苦労したが、今では、斉藤孝氏による子供向けの絵柄がいっぱいの教材が出版されていて、便利な時代になった。
おっと今日はまだ素読させていない、「琉磨、今日まだ実語教やってないよ。(本を)持ってきて、今からやって」というとすぐさま「ウン」とうなづいて書棚から斉藤氏の教材を持ってきて、スラスラと素読を始めた。
「己より弟(おとと)には愛顧をいたし、己より兄には礼敬(れいきょう)を尽くし」だぞ。兄ちゃんを大事にしろよ、(敬えよ)との想いで。
声は張りがあって良いのだが、ぐったりとした姿勢で読むので「ほら、正座で読みなさい!」と優しく言うと直ぐに正した。がーー、(あー、またまた。正座はしているが、背中が丸くなった。)「ほら、背筋を伸ばして!立腰だよ!」と言うと、直ぐに直した。小学生に上がる前に基本姿勢を身に付けさせたい。

立腰は、素読の基本である。と同時に、姿勢は至誠に通づる。根気良く習慣にせねばなるまい。

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2015年01月12日

文と長州とバースビジョン=その2;至誠について=

第二回目の言葉『至誠にして動かざるものは未だこれ、あらざるなり』は、最も松陰先生の特質と気高さを現している。そこで我が勝山ドッジファイターズでは、子供たちが練習開始時にこの言葉を唱和し、公式戦では『至誠』鉢巻を締めて試合に臨む。一応意味としては「真心を尽くせば人の心は動かないはずはない、と言う意味だ。だから『どんなに強い相手でも懸命に闘えば勝てない相手はいないのだ!』」と子供たちには違約し(拡大解釈)している。かくしてどうしようもなかったチームが冬の大会で県内第三位まで登り詰めた。
どのみち今の小学生に『至誠』の真意を伝えたところで通じるわけも無く、ただひたすら声に出して唱和(音読・素読)する事が尊い学習法である。江戸期に成熟した学問の基礎をなす素読は平成の世でももっと注目されるべきであろう。

さて至誠を最も尊ぶ松陰先生は、友の友情と自分の命を天秤にかけて、友を選んだ。当時脱藩は、死罪である。いかな武士とてそこまで至誠を貫き通せる御仁は他に類を見ない。藩主への、これもまた命がけの周囲の働きかけが功を奏し、死罪や遠島は免れ、藩士の身分剥奪及び謹慎処分となったが、花燃ゆでは、そんな覚悟の東北視察から戻った先生が、鬼の師匠から叱らせるのを自宅の周りを恐れて逃げ回る、という失態を演じ視聴者の笑いを取る場面があったが、閉口ものである。幕府の評定で死罪覚悟の申し開きの際、幕府要人暗殺計画を暴露してしまった至誠の人が、どうして師匠から殴られるのを恐れて逃げ惑うものか。堂々と所信を述べたに違いない。
一流の脚本家が二人も付いていてこの有様では先が思いやられる。もしも愛弟子の晋作がこの花燃ゆを観たとしたら、先生の尊厳を辱めたとして、NHKに殴り込みをかけ、プロデューサーを斬ったに違いない、それが至誠というものではないだろうか。
視聴者の受け(人気を上げるための小手先の演出)を狙って、歴史と人物を歪めおもしろおかしくその場をやり過ごし、給料や名声を得んがために番組の質を落とし、かえって視聴率を落とす羽目になる。目に見えた逆スパイラル現象である。何をかいわんや。
そう言えば、龍馬の大河ドラマをアピールするための、NHK担当プロデューサーなどがパネリストとなる催しに息子と行って来た事があるのを思い出した。その席で質問の時間があり、ある下関在住の男性はこう質問した「下関は、何回番組で登場しますか」と。それ次第でどの程度観光に力を入れるか測るという意図が見えたので、恐らく市の観光課か、大河ドラマ人気にあやかろうとする地元民だ。自分の利益の事しか考えていないバカな連中だなと思った。それだけではない。
その次の質問は「えーと、お龍が風呂場で龍馬の危機を知り、『捕り方!』と知らせに行く場面は、どのような姿で描く予定ですか」と。公然の面前でそうした破廉恥な質問をする人間が何人もいるのが現代の下関と言う地である。志の欠けらもない。ある作家さんはその催しでの発言で「晋作は人気がないんです、真面目で。龍馬のような華やかさがないから。だから下関に龍馬の記念館を建てるべきです!」と声高にPRしていた。(何を言っているんだ、この長州人は?)と耳を疑った。郷土が育んだ英雄をないがしろにして、メディアが捏造した要領の良い下宿人の龍馬を?著名な方なので名前は伏せておくが、晋作の本は売れなかったから、そういうのだろうか、と情けなくなった。皆が皆、どうしたら儲かるか、経済一辺倒しか考えていない。それが下関の実態なのだな、と悟ってしまった。地域そのものがバースビジョンを喪失している、と感じた瞬間だった。
大河ドラマ=観光開発の切り札、という図式が全国に浸透しているのだろう。それは悪い事ではない。しかしそれを起爆剤にして、深く歴史を洞察し現代にどう活かすか、もうすこし志を高く掲げて市民を啓蒙できないものだろうか、と思う。

松陰先生の至誠には、とても達する事が出来なくても、その下部概念とも言える『義を見てせざるは勇なきなり』ということわざくらいは、身に付けたいものだ、と私は日頃から心がけている。
義は、私の最も大切にしたいと想う心がけだが、その中でも最近は、『恩義』を大事にしたいと考えている。
物語に照らして、恩義を明らかにしてみよう、言うはやすし、行うは難し、である。

簡単に言えば、先生が脱藩の罪を犯した事で、姉(寿)の縁談が破棄されてしまった。しかしその因果関係は松陰には与り知らぬことだったが、罪を犯せば家族が困る仕組みになっているのは江戸時代の常識だ。では何故それを百も承知で国禁を犯したのか。それは、恩義ゆえのことではないか。同行しようと決めた友人への思い、それに、自分を育んでくれた藩への想い。

義、すなわち正しいと思う行い、とは、志の心から生じる想いだ。しかしその志のレベルは人それぞれ異なる。志の水準は私が書いた「幸せの未来が見えるバースビジョンノート」【以後バースビジョンノートと略す】にあるが大きく分けて三段階ある、それをドラマの第二話の筋書きに沿って解説しよう。
(→は、現在風に言えばこうなるだろうという事例)


◆第一段階◆
家族の幸せ【姉の縁談】を守るためには国の法律【脱藩=国禁】を守らねばならない。
→お姉さんの結婚が破談になったら可愛そうだから、弟の自分の立場としては、せめて婚姻届けを出し終えるまでは、不良や非行は慎み、社会のルールも守って親孝行をしよう。

◆第二段階◆
親友(宮部や約束した友人)の信頼を裏切るくらいなら、武士の身分【藩籍】など捨ててもいい。
→上司の言うままに不正を働いて顧客の信頼を裏切るくらいなら、辞表を出して会社の不正を暴くとしよう。

◆第三段階◆
国(長州藩)の面目を保つ為には、我が藩籍も命も要らず。
→日本の自立も面目も果たせないような悪法は、政治生命はもとより我が命を捨てても構わない。

・・・という具合に段階が異なる。当然だが、松陰先生は、第三段階のピンの位置におられる。
だがここで誤解してはならないのは、レベルが高い方が正しく、低い志は間違っている。故に、第一段階は義などではない、という考え方だ。これは違う。どれも正しい行いであり、義ある行為だ。今風に言えば価値感が違う、目指すものの違い、となろう。江戸時代の武士なら同じような価値観があったかと言えばそんなこともなかろう。先生の元からは幾人もの門下生が去って言ったというから、いぶかしげに観る眼差しは、相当なものであったと推察できる。家族への視線も然り、だ。

そうした反対する意見や、足を引っ張る視線、蔑視、誤解、裏工作、地位の剥奪、信用を失う事などをものともせず、初志貫徹できるかどうか、義に殉じて至誠をもって行動やビジョンを曲げぬかどうか、ここが凡人と武士の違いだと心得るべきだろう。
たとえ姉が結納を済ますまでは、学校でタバコをふかし退学処分になる事態は我慢しようと言う高校生弟がいたとして、それもまた立派な志であり、至誠を貫いたと言っていい。悪仲間からは臆病者扱いされたり、蹴られたり仲間外れになるだろう、それでも一本も吸わねば、松陰先生は褒めてくれたに違いない。
国禁を破って黒船に乗り込む勇気と、それとは、はたから観たレベルの差は有れども、約束としての重さは変わらない、立派な事だ。

◆よもやま話◆
今、子供たちは、学校に行って、サッカーを愉しんで帰ってきた。持久走コースを何週も走ったあと、6歳緒三男と20分くらいかかる帰り道を走って「ただいま!」と。
その子達には、ドッジボールを至誠を貫くことを学ぶ場として(チームを)用意してあげた。
次男海斗は本当は野球チームに入りたい、将来はプロ野球選手になる、という志があり、実際、5年生のとき強い野球チーム監督から強くお誘いを受けた。「ドッジもいいかも知れないが、将来を考えたら、今の内から是非うちのチームで野球をやらないか」と。しかし海斗の返事は、NO。理由は
「友達をたくさんドッジに誘ったので、その友達を裏切る事になるから、ドッジは辞めない。すいません。」と。利より義を取った瞬間である。松陰先生の言葉の素読の成果がこんなところにでているのかしらん?(笑)。

それが彼の小学生としての精一杯の恩義に報いる行為である。友情を裏切らない至誠の心だ。

(つづく)

posted by 大石 at 17:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

文と長州とバースビジョン=プロローグ=

新年明けましておめでとうございます。2016年は、大河ドラマ『花燃ゆ』から始まりました。自分が明治維新発祥の地下関に住んでいるから、そう切り出しているわけですが、時の首相が自らを「長州人」と称して意識している事、その首相が在籍中に改憲議論が沸騰した事、正月の日経新聞に花燃ゆ関連書籍の特集として、吉田松陰関係の書籍は当然だが、その隣に何と、憲法改正に関する書籍が含まれていたこと。

これらの事を直感的に関連付けるに、大河ドラマの中に陰に陽に時代の転換点を見出す事になりそうだ、と想った次第である。よもや松陰先生の思想や志を現代に活かして、改憲運動にまでつなげようと言う政治的意図が脚本に含まれているとは思い難いが、戦後70年の節目にして、およそ戦後最大にタブー視されてきた松陰関連の書籍や思想を世に再び明らかにされる一年となる事は予想できる。
少なくとも「身近な幸せを守ろうと懸命に生きた人たちの(心温まる)ホームドラマ」(チーフプロデューサー)などという表向きのテーマでは計り知れない隠れた『時代的メッセージ』を読み取る試みをしたい。

今年一年、明治維新を成し遂げた「長州人」の志を、下関の地から、思いっきり大胆に現していこうと思う。
「文と長州とバースビジョン」というシリーズ・タイトルを掲げたのは、いくつか理由がある。
女性に秘めた力をどのように発揮する事がバースビジョン(天命)に導かれるのか、という点を、文の生き様を通じて現して行きたい、ということが一つ。やはり主人公は松陰先生ではなく妹なのだから、その視線で変革の時代を観る事が、現代においても女性がどのようなポジションで社会に関わる事が「志に生きる」ということなのか、ヒントとしたい、という想いがある。花燃ゆの脚本の中には

ー明治維新は、志士たる男性の力のみで成ったわけではない。あまたの女性が鍵を握っていたー

というメッセージが、主人公の文はもちろん、文以外も随所に表現されているはずだからである。

二つ目は「長州人」とは何か、バースビジョン的視点で探って行きたい、ということ。そこまでアイデンティティを自覚するほどの連帯感や郷土への誇りや「自分たちの祖先が新しい世の中を創ったんだ!」という自負が正直言って感じられない。結局、観光に生かそうという程度で世の中の乱れや教育の荒廃を正そうという運動には結びついていない気がする。どことなく冷めている、というか、長い物に巻かれよという空気を感じてしまう。今年一年で萩・下関の地域の動向も探っていき、人脈も形成し志の高い人物との交流を通じて「長州人」の天命を現すという挑戦をしたい。

そして三つ目は、やはり日本のバースビジョンを大河ドラマ花燃ゆの進行に合わせて、つまびらかにしたい、という大それた構想の実現だ。例によって、直感的、空想的な根拠の薄い説得力のない文章となるだろうし、独善的な論理展開となるだろう。しかし、自分がやらねばならない、という使命感のようなものが自分を駆り立ててしまう。書籍にするには、論理の飛躍や誇張表現がマスメディアに相応しくないはずだ。
しかしながら、これまで人生50年生きた証しとして、構想実現をこの目に見ずとも、遺稿の一つでも残すことが出来たら、これ幸いである。

=プロローグ終わり=


◆よもやま話◆
今、子供たちは、論語の素読の真っ最中。6歳の4男が、4年、6年の兄ちゃんたちに教えている。
暗記している論語は200は下らない4男琉磨が一遍づつ叫び、二人の兄がそれに続く。「違う!違う!」と間違いを正し、ダメ出しをする4男りゅうま。3歳から始めた素読を昨年一旦休止してしまったが、冬休みからは、意味の素読も含めて再開した。笑いながら、楽しくやっている。(うん、久しぶりの光景に余は満足じゃ笑。)

四書五経の一つ論語を修めたら今度は、『大学』だ。こちらはバースビジョン教育に欠くべからざる教材だ。次男海斗はほぼ全文暗唱が済んでいるので、10歳になったし、そろそろ意味の音読も始めようと思う。父親オリジナルの意味解釈文の丸暗記。まだ6割程度しか完成していないが時間がない。学問とは、己の生きる道を知ることだ、と。勉強(強いる、強制の意。義務教育なればこそ、学問ではなく勉強とされてしまった恐らく明治期)が本格化してしまう中学に入ってからでは、学問を始めるのは遅い。

遊びと勉強の区別が付いていない未就学児が一番、脳が柔軟で、楽しく学ぶ環境さえあれば何でも吸収する素直さがある。そんな時に私は英語を覚えこませる事はしたくない。ことわざなど含め、美しい日本語を肌で音読で体得させたい、と願う。ひとえにこれが、江戸期に完成した学問体系を身に付けさせたい、それが明治維新の原動力となった、論語等の素読と読解、その実践こそ教育インフラとなり世界で唯一維新を成し得たとの研究成果による私の教育方針だ。
posted by 大石 at 12:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月28日

八重の桜と新渡戸稲造・内村鑑三

来年は、同志社大学の入学が増えるでしょうね〜。あれだけクローズアップされたら。キリスト教の伝道がベースにあったとは知らなかった。ラグビーが強いというイメージしかなくて。
ジョー校長は資金を米国から引っ張ってきて、自分の理想を打ち立てようとしている。「伝道の事はあいまいにして資金援助してもらった。学校設立だけだともらいにくくて。」と。表と裏を使い分けるというか、理想のためには多少のごまかしも必要と言うか、フィクションにせよ無から有を生み出すプロセスと言うのは、非常に参考になります。
「学校を維持するためには、お金が要る。大学を設立するとなると、商工会議所からの援助も必要だ」という八重の兄さんが言う。そうか、学校を作るにはまず、お金なのか、はやりそうなのか、と自分に置き換えて観ていると、色々考えさせられる。

私も全くの空想段階で、構想にすら降りていないが、「バースビジョン大学」を設立しようと志している。
その中には、医学部もあり、薬の要らない体作りを指導する医者を育てるのだ。(それはもはや医者とは呼べないが。)WHOの4つの健康を取り戻そうとする医者である。人生の目的を失った痛みを和らげる、という意味では立派なドクターだ。メスの代わりに、タッチを使う。

よって触育士養成学校を大学の下部組織に置き、卒業生は、認定触育士として登録され、地域の健康センター(現在の保健所のような機能を持つ)で働く。予防接種を勧めるために各家庭へ訪問する保健師の代わりに、きのこで触育法を、と伝え歩く。

同じ伝道なら、薬の要らない子供の体作りを教えるためのほうが、よっぽど家計にも良いし、地域社会の健全育成に役立つし、地方自治体としても医療費の削減になる。それらの具体的な手立てをお母さんたちに教える役目が、触育士なのだ。

キリスト教の伝道は、違う。神の教えに従えば救われる、と外部に力を依存している。そうした外部に依存し心のバランスを保とうとする教えだ。その帰結として西洋医術が発達した事は決して無関係ではない。それどころか必然的なのだ。神に頼る思想と医者に頼る思想と発想が同じだから。
だから平気で人の家に入り込んで、「なぜ貴方は、インフルエンザの予防接種を受けないんですか?」と押し付ける。あの保健師は、本当に宣教師かと思えた。二回も別の保健師が家に来ては、予防接種をしつこく勧める。その翌日にエホバの証人が宗教の勧誘に来た日には、全く同じ目をして、洗脳された集団にしか思えなかった。

手波法のタッチをしていれば、そんなもの(予防接種)など不要なのだ。感染などしないのだ。それは我が家の子供たちの10年間が証明している。これは思想などではない、実学だ。スキルであり知識であり、科学でもある。こーすれば、あーなる。と、車の運転を教えるが如く、誰にでも簡単に身に付くスキルだ。

そのスキルは、いまや未妊ケアに発展している。200万円からかけて辛い想いをして不妊治療をしている家庭が非常に多くなっている。その女性たちに、触育士が指導に入れば、半年もしないうちに妊娠した、という事例は数多く報告されている。
同じ伝道なら、キリスト教や医療といった、外部に頼る伝道ではなく(それは、麻薬のように永久に依存するシステムだから)、自身の力に頼る、その方法を伝えるほうがいいに決まっている。

それが、WHO世界保健機構の提唱する4つの健康を満たす道なのだ。
そのスキルを学び、教えることが出来る教師を育成する、それがバースビジョン大学の医学部の理念である。

その前身である教育は、タッチセラピー協会として、既に10年前から行われている。
薬を不用とする体を作るための医者を育成する大学。面白くないですか?
広がるほどに、病院がなくなる。街から必要性が次々失われる。そうなれば喜ぶのは国の予算を扱っているお役人さんのはず。赤字の病院に補填している地方自治体のはず。誰もが喜ぶシステムです。
そういう国作りを目指したい。

しかし国会でそうした話、つまりは『触育基本法』(既にたたき台は出来上がっているが)など可決されるわけはない。だから、私は、代替国家による、代替自治体を形成し、代替学校による、代替教育を施そうと思う。オルタナティブ・カントリー。いいんじゃないですか。

面白き 事もなき世を 面白く
住みなす世界を より面白く


触育士  大石健一

pS
そういえば、タイトルと関係ない方向に行ってしまった。ドラマで彼らを出さないのは、面白くないですね。
内村鑑三こそ真の日本人です。(続きはまた。。)

posted by 大石 at 14:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月11日

引越しし現住所が変わりました。−PC不通のお知らせー

7月に下記住所へ引っ越しました。
〒751−0808
下関市一ノ宮本町2−10−8
電話番号は変わらず。PCアドレスも変わりません。

同じ学校の校区ですし、PCアドレスも変えませんが、工事に少々時間がかかっています。
メールをお出し頂いた方には大変ご迷惑をおかけしています。開通までご了承下さい。
何でも、NTTから電柱の使用認可を得るのに、1,2ヶ月かかるとか。現場の方の話によると、インターネットの親会社である中国電力との関係が悪くて、認可がなかなか降りない、とのこと。
(隣の大家さんの回線は同じ会社なのに、認可が出ているのにな〜。)

御用事の向きは、携帯メール
ken-2013@ezweb.ne.jp
または携帯電話
080−5233−2013
まで、お寄せ下さいませ。

尚、スマホは購入せず、ラインやその他サービスには入っていませんので、友達申請?された方にはお返事が出来ていません。(って意味が通じにくいかと思いますが・・)
かような状況で完全に、時代の波に付いていっていません。が、便利さの極みここに至れり、というネット中心社会には、付いていく気もなく、かといってPCその他のすべてを拒絶することなく、必要なことだけを取り入れながら、
ひたすら我が道を往く、といった生活です。

時々、こうしてネットカフェから近況と、今感じている世情をお伝えしてまいります。
ではまた。

大石健一
posted by 大石 at 12:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする