2020年11月05日

天職を知りたい方、天職に巡り合いたい方、天職って・・。

今日は、天職(てんしょく)について。


事を始める際に、私は決まって語句説明から入ります。意味も分からずそれを使うのは、非常に危険な事だと認識しているからです。

言葉とは人と人とが関わり合うときに有効なコミュニケーションの道具。道具である以上その取扱いは、その道具の持つ意味を知らねば扱う事が出来ない、誤った使い方をしてしまうかも知れない。

例えば英語を覚えたばかりの学生が、外国人を見て、「ヘイ、ユー!」と声をかけたら、こんにちは、と言っているつもりが相手にとっては「ケンカ売ってるのか?」と思われかねない。日本語なら「おい、オマエ!」と見知らぬ人に声をかけるわけだから。

言葉とは、自分が伝えたい事を正確に、伝えたい相手に届けてこそ、道具としての値打ちがある。

まして、天職などという通常生活では用いない言葉を扱うからには、慎重になる必要がある、と考えます。
そこで、辞書によると・・・。


・天から授かったつとめ。
・神聖な職務。
・自分の生まれつきの性質に合った職業。

とある。他の電子辞書にも同じような文言があったので、この一つで話を進めることにしよう。なるほど。

なるほど、そうか。と私はうなった。何故か。
いきなり、「天から授かったつとめ。」「神聖な職務」と来た。
(これは、一筋縄にはいかないぞ)と、背筋が凛と伸びたものだ。もう何十年も前になる。

自分の生まれつきの性質に合った職業。ということは、つまりは、バースビジョンの事ではないか、と。生まれ付いた時から備わっていた性質に、見合った神聖な職務であり、天から授かったバースビジョンを担う何らかのおつとめの事を指す言葉だという。

ならば、天職に巡り合うという事は、「自分が生まれて来た目的、意味を感じ取り、時に覚醒させ、その生まれ付いた性質を明らかにして、それに見合った仕事を探して職業としてこそ、天から授かったつとめを果たせる、というもの。

そんなことが、簡単に出来るものか、直ぐに実現出来たら、苦労しない。
と、遠く、遠くに思ったものだ。


ネット検索すると、こういうのもあった。

ライフワーク(英: lifework)または天職(てんしょく)は、人が生涯の仕事として人生を捧げたテーマのことである。

天職(てんしょく)は、人が生涯の仕事として人生を捧げたテーマ。

これには、しっくり来る。人生を捧げるテーマ。志を感じさせる。志すモノがなければ、天職とは呼べない、しかも生涯の仕事として。これも腹にぐっとくる、重い響きをお腹の奥で実感する。

しかし、ライフワークまたは天職(てんしょく)は、とある。これはどうしたものだろう。
ライフワークと天職は果たして同義語なのだろうか。非常に違和感があるのは私だけか。

ライフ=人生、これはまだいいとしても、ワーク=仕事。ここが違和感の根拠だ。
ハローワークとは、職業斡旋所。ワークとは凡そ日本人にとっては、働くこと、という意味あいで用いられることが多い。もっと言えば、稼ぐ事。

ところが、天職という言葉の定義には、元々、神聖な、とか、天から授かった、とか、凡そお金を稼ぐ仕事。という事を前面に出したワーク(働く)という事とは、結び付かない世界の言語のはずである。

言い方を変えれば「お金にならない天職は、天職とは呼べない」という意味は、語句の意味には全く、含まれていない。冒頭引用した定義でも、ようやく3番目に職業、という説明がなされている。つまり神聖な領域を担う職業。それをワーク、という日常用いる一般用語と、同系列、同次元で扱われている、と言えまいか。

私は、そこに大きな落とし穴が潜んでいる、と危惧している。

私もライフワークという言葉は好きで、よく研修でも用いているが、明らかに天職とは異なる用語として区別している。

私の著書「バースビジョンノート」(ビジネス社刊)に用語解説と時代背景という施設辞書のような索引が巻末にある。それによるとこうだ。

ライフワーク・・自己実現に近い言葉。好きな事をカタチにして表現すること。バースビジョンは普遍的なものだが、それを実現する形は成長の時期によって変わるもの。(以下省略)

必ずしも職業としての形を求めない、そう定義することで、自由度のある表現となっている。言うならば、お金にならないライフワークの段階から、お金を得られる段階まである、とも言える。いづれも共通するのは「好きであること」。
(ちなみに研修ではライフワーク発展の四段階を発明し提供している)


それに対して、「天職」は、こう、定義している。

天命を全うするために行う仕事・事業。その中には出産や子育てを担う主婦業も立派な天職に含まれます。


この後、詳しい時代背景や、英語圏における天職とはどう違うか、詳しく解説しているので、天職に興味がある方は、ご一読下さい。

今、ここで強調したいのは、2点。

出産や子育てを担う主婦業も立派な天職。と明言している事。2005年発刊の本で、きっぱり言っている。この事は別の項で重要案件として解説します。

もう一点は、天職とは、ライフワークとは次元が違うものである。ということ。
辞書の定義にも、ワクワクすること、とか好きな事を仕事にしたもの、等というニュアンスは、みじんも「ない」、ということ。ここを強調しておきたいと思う。


他の辞書には、こういうのも天職に位置付けられていた。その定義にはこうある。

花魁。おいらん。天神。

嘘ではない、調べて頂けたら直ぐに検索できる。かつて花街に働く女性たちの華であった。花魁道中とは、めったにお目にかかれない花街のトップレディを一目見たいと男性のみならず女性も子供も集まったという。

明治に入り文明開化、昭和で戦争に負けて、と色々な過程を経て、天職という言葉も歪められてきた。その結果、平成、令和になって、「天職で稼ぐには」とか、「誰でも天職が見つかる!」とか、安易でお金を稼ぐ手段のように、扱われてしまっている風潮はないだろうか。

神聖な職業という意味である、言葉の意味を知って、扱っているだろうか。

かといって、他の辞書にある「天子としての職務」と定義されているように、生まれ落ちた環境次第では、一般市民は手に出来ない高貴な身分の職業だ、と定義してしまう必要はない。

天職は万人に開かれている。
そもそも、仕事とはすべからく、天職であるべきだ、とも思う。

だから、私は、天職を知りたい、という方へと支援させて頂く。

さりとて、ハローワークのように行けば確実に天職に出逢える、天職先を斡旋してもらえる。というほど現実は甘くない。
仮に天職傾向が明らかになったとしても、その就職先としての天職企業群は、ほとんど育っていない。

天職を見つけ実現したかったら、自分で興すしかないのだ。

そういう過渡期を迎えている、と言える。起業は天職創造への舞台と言える。

そういう志を抱いた人と、他の天職を結びあわせ、新たな世界、新たな文明世界を築き上げていく。

天命に目覚めた人たちの天職と天職をブリッジわーく。

それが私の天職。

ビジョンリーディングでは、光源としての輝きを発掘し、天命の扉を開く。
そして天職への階段を昇って頂く。情報資源の汲み出しによるバースビジョンの目覚め、時の流れに同調した人生ルートの開拓、ピンポイントでの方策提示。

魂の翻訳機として機能し、バースビジョン開花をお手伝いさせて頂いてます。リーディングというツールがその私の天職を実現させるためのライフワークの一つです。好き、を極めた結果の結晶です。


VisionCreator
大石健一


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2020年11月03日

バースビジョンのリーディング@東京2020年12月開催決定。

バースビジョンのリーディング 東京・杉並にて 2020年12月18−20日で開催致します。

【ビジョンリーディングとは】
VisionCreator大石健一による、バースビジョンを読み取る個人リーディングセッションです。
リーディングとは、読み取る事。バースビジョンとは、生まれて来た目的、意味、バースのビジョン、すなわち誕生の記憶。それを想い出す機会を提供します。
ビジョンリーディングは、VisionCreator大石健一が、1992年に開発し命名した技術体系です。これまで2,000人以上に行ってきて、バースビジョン、天命に沿った人生展開、天職への階段を昇る、自分の生きる意味を見出し、光源としての輝きある人生へ開花する、といったきっかけを提供してきました。

○予約枠(日程)
2020年12月18日(金)@13:00〜14:30 A15:00〜16:30
2020年12月19日(土)B 9:00〜10:30 C11:00〜12:30 D13:00〜14:30 E15:00〜16:30
2020年12月20日(日)F 9:00〜10:30 G11:00〜12:30 H13:00〜14:30

○料金(受講料)
 48,000円(90分)録音機材をお持ちください。オンラインサポート1回分付き

(ご注意)地元下関で行う場合は、38,000円です。東京開催場合、出張費として10,000円別途頂いております。
但し、オンラインによるアフターケアサポート(60分)をサービスしております。(通常、30分5,000円)
お互いの日程を合わせて、個別にリーディングコーチを致します。

○会場
東京・杉並 宮前 ※竹林の見えるセッションルーム。緑豊かな静かな雰囲気で行えます。
(個人宅のため、ご予約者にのみ住所、行き方を御案内致します)

○お申込み・お問い合わせ
birth-vision@sky.megaegg.ne.jp 大石までお問い合わせ下さい。(連絡ミスがあるといけませんので、電話での応対は控えております。

その後、バースビジョンの総合窓口、秘書課にお繋ぎ致します。空き状況など日程を確認の上、そこで細かなご連絡事項と会場案内、お振込先ご案内などさせて頂きます。


◆バースビジョンのリーディングに関心のある方へ
「何のために生まれて来たのか」「生きる意味ってあるのだろうか」「自分の天命を知りたい」「己の成すべき事は何か、分かるようで分からない。魂に聞いてみたい」「天職への階段は昇っているのか、否か。確認してみたい」「ズバリ、天職を知りたい」「世界が混迷している中で打開策を探りたい」「地球の進化に貢献したい。自分に出来ることはないのか?」

「地球生態系がおかしい。このままでいいのか。文明は崩壊する!?今、私に出来ることは?この時期この世界に生まれて来た意味があるはずだ、きっとある!」「転換期にこそ英雄が現れる、という。それは俺だ。でも何をしたらいいかさっぱりわからん」

「眠れる才能を呼び覚ましたい。魂よ、覚醒させんと」「スピリチャルはもう飽きた。大地に根を張り土と共に生きてゆこう、で、どうする?」「今明らかに、人生の岐路に来ている」

「風の時代というが、自分にはどんな風が吹いているのか、出来るなら風に乗って羽ばたきたい」。

そんな気持ちになられた方にはお勧めの機会です。


◆ビジョンリーディングとは?(さらに詳しく知りたい方へ・・)
各人各様の才覚や潜在能力を発揮し、社会に独自貢献分野を切り開く道を指し示すツールです。
VisionCreatorがお客様自身の発する生命波動と同調し、身体感覚として受信した波長(波粒とも言う)から情報を引き出す(翻訳する)技術です。
VisionCreatorによるビジョンリーディングは、名前や職業、生年月日、その他その方の属性を元に判断するものではありません。あくまで魂の振動数とのシンクロ率を向上させる同調感応力と、非言語空間エネルギーを言葉に変換する”言語化処理システム”を駆使した技術体系に基づいています。
分かりやすく言えば、英語から日本語に翻訳する自動翻訳機のようなものです。人体(皮膚)がバースビジョンの翻訳機、というわけです。

(ご注意)
この件に関しましての興味本位なご質問は受け付けておりません。ご了承下さい。「どうしてそんな事が出来るようになったのですか?」と聞かれる方が多くいらっしゃいます。「どうして私が今、考えている事業のことが分かったんですか?見えたんですか?」「全く同じキーワードがいきなり出て来たので驚きました。どうして分かったんですか?不思議です」と、皆さん異口同音に言われます。
受講された方からそう言われていつも答える台詞があります。

「技術ですから、当然です。車のハンドルを右に切れば右に曲がる。それと同じです。ハンドルを右に切ったら、左に曲がってしまった、なんて車が一万台のうち一台でもあったら大問題でしょう。そんなことはあり得ない、あってはならない。技術はそういうものです。
それと同じです。千人やっても二千人やっても、技術だから同じ成果が出る。魂の翻訳機としての情報サービスとして成り立つ。
技術だから、人にも教えられる。ずいぶん前になりますが、リーディングが出来るようになる講座を行ったらやっぱり出来るようになれた。論理的にそれを説明する事も出来た。技術ですから再現性がある、それを検証できたので講座はストップしました。
人間の中に誰もが持っている才覚のうちの一つ、五感のうち『触覚』を磨いた結果、生まれた『同調系の』ビジョンリーディングというスキルなのです。


◆受講をお決めになった方は、もうお問い合わせください。
まだ、迷っている方は、瞑想して心の声に従って、ご判断下さい。
それより、リーディングそのものに興味がある、という方は以下をお読み下さい。

何故、そんなことができるようになったのか、と問われたら、『それが私の天職だから』と答えるようにしています。それでもどうして?と聞かれたら、『魔女のキキがほうきに乗れるのと同じ。何故ほうきに乗って空を飛べるの?と聞かれて、キキは答えられない。でしょ?それと一緒です。それを絵描きは『絵描きは血で書くの。魔女がほうきに乗るのも同じじゃないかしら』と答えた、納得するキキ。それと一緒。天職の技術はほうきでもリーディングでも、そうそう説明できる理屈ではない、ということです。それでも、

それでも、『どうして血で飛べたり、絵を描いたりできるの?』と聞く人はいますか?聴かれた相手は困るでしょう。私はリーディングが出来るようになった理由を『それが血だから』とは答えない。天職だから、とは答えますが。はぐらかしているようで申し訳ないが、仕方がない。話題を変えます。もっと自分の人生を切り開くヒントを聴きませんか?と、話題を切り替える。

それ以上突っ込まれても、答える理論は出来ている。そうした突っ込みのお陰で、リーディング理論を解明した。答える用意は出来ているから言えない。そこから先は、道に入ってきた人しか教える事が許されていないから。と答えねばならない。つまりは、メールで質問して来たあなたには教えられない。と答えねばならない。そうなりたくないから、そこから先は質問をご遠慮ください、と書きました。

単純に興味があるだけなら、そればかりやっても許される他のリーディングを当たってもらうか(たくさんあります)、さもなくば、覚悟を決めて、門を叩くか。答えは二つに一つ。真剣に目覚めたい、自分を知りたい、役立ちたい、という人だけが、集まる場をわたくしはあなたにご用意したい、と願います。

風の時代に生きる人は、もうこんなところまで読まずに、とっくに答えを決めて、予約先に申し込むなり、手帳やお財布とにらめっこして、決断をして行動しています。感覚で人生の道を決めれる、即断即決の人たちが増えて来ています。
ではまた。ごきげんよう。

posted by 大石 at 11:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月06日

オンラインマグネタイズ瞑想(研修)のお知らせ


世界がどうなっていくのか分からない中で、
今、現実に起きていることの中で私を通してどうしていこうか?


 毎年秋は実りの時期で重要ですが、
今年は世界的にターニングポイント。
格別に重要な10月となり動き出しています。

細胞レベルでスイッチが入り変化が起きている方もいるはず!

月のリズムで影響を受けている肉体を更に現実へ向かうよう
今月の新月にオンラインマグネタイズ講座を開催します。


◎マグネタイズの言葉を初めて聞かれる方のために・・・

 自分の必要な人や情報って「旬」が大事

身体をマグネットのように磁石にして、
引き合う力を使うマグネタイズスキル!

 世にある「引き寄せの法則」とは違っていると私は捉えています。

一方的ではなく相手も求めている。
磁石のN極とS極のように遠くからでも引き付け合う力。
無意識レベルで本能的に出会わせてくれることもあります。
人生をも大きく左右する出会いと引き合う力がマグネタイズ。

 今回は、自然界の月の力を活用して新月に行います。

リードは、マグネタイズ開発者の大石健一さんです。

今回は、EARTHリーデイング資料購入者限定


 ※どなたでも参加可能です。但し、
  事前にEARTHリーデイング2020を購入し読んでもらう事が条件。


●日時: 10月17日(土)新月 20:00〜20:45

20:00〜20:15 マグネタイズ瞑想

20:15〜20:30 宝の地図を用いて解説 
           再び、マグネタイズ瞑想 

20:30〜20:45 直会
          (質問・意見交換など)


●参加費:5,000円
(マグネタイズ資料と瞑想法の音源付)

「旬」の情報に出会い、
  時期が到来したら「行動」

【文責 企画】Gateway Navigator Y.G


〈申し込み窓口〉の連絡先をお伝えします。
ご関心のある方は、私、大石までご一報ください。

Earthリーディング2020ー今、世界で何が起こってるのかー
(リーディング音源・ベタ打ち+解説文付き)
の購入方法もお伝え致します。

尚、今回間に合わない方へは、次回のご案内を致します。合わせてお問い合わせ下さい。

Vision Creator 大石健一
birth2045@softbank.ne.jp (2020年に機種変更しました)
posted by 大石 at 07:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月08日

携帯メールアドレスの変更のお知らせ(ブログ管理者;大石健一)

バースビジョンブログの管理者、大石健一です。
く未投稿のまま推移(放置)していました。大型台風が過ぎ去り、住まいの下関にも暴風が吹き荒れた後ですが、2020年9月9日より記事の投稿を再開したいと思います。

差し当たり、携帯を変えましたので、ご連絡を申し上げます。
大石健一携帯

以前の、ken-2013@・・・は、もう使用できません。

尚、携帯電話番号(080-5233-2013)は、変わりません。

水の時代から、、風の時代へ、時代は大きく変わりゆく。
そんな話から綴っていきたいと思っております。

どうぞ宜しくお願い致します。

posted by 大石 at 07:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月07日

疾風伝NARUTOに見る2025年日本=シリーズ@=

2020年をはさむ前後約7年間が、日本の未来を左右する重要な分水嶺のような気がする。
2018年〜2025年まで。
何が起こるのか、何を起こさねばならぬのか。

シリーズ開始の手始めに、大まじめに世界各国に翻訳され、超有名なアニメから導き出された資本主義の終焉を予言します。

木の葉病院。

あのアニメの中に何度も出てくる病院には、一切器具がない。手術用具もない。あるのはベッドと花瓶くらいか。
これだけ申せば、ピンとくる方も中にはいらっしゃると思います。その先にあるのは資本主義の終焉だという事を。

ナルトの世界では医療器具が一切ないのは当たり前のこと。全て人体を通じて患者の治療を実現してしまうからだ。
戦場で先に打って出てはいけないのは医療班。傷ついた兵士を癒す事を任務としているから、先に死んではならないのだ。

刀傷であれ、何であれ、目を瞑り手をかざしてしばらくすると、傷口がふさがれたり、時には生命力を急激に回復させ、細胞を蘇生させる力を持つ医療忍者。その能力は、チャクラのコントロールで可能だ。

チャクラとは、治癒能力自体を活性化させるために不可欠であり、人間の身体を構成する膨大な数の細胞一つ一つから取り出すエネルギーである「身体エネルギー」と、修行や経験によって蓄積したエネルギー「精神エネルギー」を指す。これらを練り合わせて、それぞれの適性に応じた能力が開花する、その一つが医療忍術というわけだ。どんな能力が目覚めるかは、個々によって異なる。

医療忍術は自分のチャクラを相手のチャクラと同調させて、術を発動する。この点が我がタッチセラピー協会の理念に符合している。
我々タッチセラピストは、NARUTOに言わせると、「身体エネルギー」と「精神エネルギー」を練り上げてチャクラを練り上げて、術を発動することができる。という表現置き換えても、そういわれたらそうなるな、と納得の技法を提供しているとも言えなくもない。

私自身、あるクライアントの社長(当時短期だが経営コンサルティングを依頼されていた)から余命あと数日とされた奥様と話がしたい、という事で、週末医療病棟のような部屋に通された事がある。昏睡状態に陥っているやせ細ったお身体で大声で話しかけても何しても無反応のまま、何日もそうしているという。

そんなもうその時を待つしかないご状態でお電話を頂いても成す術もない。しかし最期に話がしたい、せめて意識を一瞬でも取り戻してお別れを言いたい、というご主人の願いは言葉こそ多弁でなくとも分かった。社長も私が何らかの能力を使って治療が出来る、と思い込んでいる。(と思われても仕方がないのも分かるのだが、どうしたものか)。
タッチセラピーって言っても治療ではなくて治癒でして。。などと説明しお断りするのは無情というもの。そこで「分かりました、やってみましょう」と伝えやってみる事と相成った。

奥様のベッドの横で座り、目をとじた。最初は中枢神経を刺激するべく指圧療法を試みようとしたが、ぽきっといってしまいそうな脆さで断念し、すぐさまタッチに変更した。しかし触れても壊れそうな弾力性のない皮膚感だと察し、またオーラ的な反応も全く感じられなかったので、医療忍者のような手をかざして行う手法は効力がない、同調仕切れないと判断し、避けた。
すると残る手立ては、・・・と瞑想しながら聞いてみた。考えても思考からは答えは出ない。経験したことのない微弱な生命力である。
だから相手に聞くしかない。聴く、何を?聴く、目的は?聴く、で得られる価値は?聴く、本当にいいのか?と。聴く、一体誰に?

何度も高速で自らの脳神経に微粒子を走らせ、問いを発し答えを受信し、そもそもこの施術はこのまま実施していいものかどうか、同意を得る作業から入った。(表現するとまどろっこしいが、タッチセラピー協会のルールブックには必ず相手と同意を得ること。という掟があるのでその手順(マニュアル)に沿って進めた。なにせ意識のない方へのタッチである。心の奥深く意識に直接コンタクトを取り同意を取り付けなければ、同調率は上がらない。そもそも倫理規定に反してしまいかねない。

そうして約15分程度か、ようやく僅かな微弱電流(というよりチリほどの生命波動)を私の受容器たる皮膚でとらえた瞬間を見逃さず、こう話しかけた。
「初めまして。あのう、ご主人が話をしたいと申しておるのですが、可能ですか?ほんのわずかなひとときで構わないのですが、如何でしょうか?」と。

むろん、こんな長いメッセージを伝えたところで、流れ星の数百倍のスピードで繋がった意識は、次の瞬間には消滅している。よって人に説明するための表記にすぎない。そもそも同意の段階では「すみません、コンタクトして宜しいでしょうか?」と打診する手続き、語り掛けがあった。書き飛ばしてしまったが、最初から治そう、蘇生させようとしても逆効果だから、対話したのはむしろ自分自身の方だったのだ。自己のフィルターを通過して、対話の許可が得られ同調が可能となったのである。ナルトがチャクラを練って術を発動した、という表現のそれと同じ、医療忍術の一つである蘇生術を駆使した、と言ったら言い過ぎか。

その次の瞬間、同調し相手の意識とコンタクトした次の瞬間、右手がピクっと動いた。(ご主人の驚きの声で目を開けると、確かにピクピクっと反応しているのが肉眼で確認できた。その時私の感情は一つも動かさなかった、動かしてはいけなかった、やったぜ!とか、奇跡だ!などと喜んだり、ほっとしたと胸をなでおろす反応をすると、すぐさま同調率が下がり、患者の心が閉じてしまうからだ。
あくまで意識を取り戻したのは本人の生命力であり、術者の力の賜物ではない。それは奢りである。

再び目を瞑り、話かけた(むろん目を開ける体力?気力、神経網は恐らくまだない。)わずかに灯った生命力をわずかでも増幅させようと、同調を試みた。がしかし、それ以上エネルギーが高まらない。(ここまでだな)と悟った私は、語り掛けのみ行った。
「どうされたいですか?わずかな時を共有されますか?それともこのまま眠られますか?」と。全ては自由意志。過度な期待や願望は負担となり、世の秩序を乱す元となる。ひたすら対話を試み、それ自体ストレスにならぬうちに、シンクロ率をさげてゆきシンクロカットして術式終了とした。

それだけでも(手が動いただけでも)社長は喜んでくれた。そして部屋を後にした。時間をかけてゆっくりと廊下を歩いたのを覚えている。急に電車に乗れば、自身の神経系統に異常をきたす恐れがあるからだ。以前、深い同調後直ぐにおしゃべりなど始めただけで呼吸困難になった事があるから慎重だった。

その後一週間して、社長から電話が入った。妻が死にました、と。そうですか、お気の毒に、と言おうと思ったら、嬉しそうな叫び声が耳元に届いた。なぜか・・?
「大石さん!あの後、笑ってくれたんですよー!信じられますか?医者はびっくり仰天でしたよ。息を吹き返したって。何をしたんですか?と詳しく聞かれましてね(困った困った)。ニコッと笑っただけで、その後すぐ息を引き取ったのですが。
どうもありがとうございました!!」。と。その後、お通夜に伺った時も、「いやあ、大往生ですよぉ、あっはっは」と酔いながら上機嫌だった。それっきりその所沢の社長とは会っていない。会っては行けない、となぜかとっさに思った、先方のまなざしを半ば遮るように、冷たい態度で関係を断ち切ったような気もする。(分からないが)

以来、蘇生術と名付けたこの手技(いや手は何もしていないので)、術式(というとオペみたいなので)、忍術(というと本当にナルトになるし(笑)、秘儀(というとオカルティックなどで)、戯れ(がしっくりくるかな)は、一切封印して今日に至る。

大変長くなってしまったが、こういう公に出しにくいことでもなく、通常の治癒技術を用いて不定愁訴の改善や薬に頼る治療の代わりを施すことが出来たら、間違いなく医療費は削減できます。
ナルト世代は、何回も何回も手をかざすだけで、治療を行うサクラや医療忍者たちのタッチセラピーを観ているので、世界中多くの若者が自然に潜在意識に「そういうのがある」という意識を刷り込ませているわけだ。そこに適切な手法で、安全に行えるルールを用いて、多くの人たちが可能な技術として普及させたら、どれだけの医療費の削減につながるか、一度計算してみたことがある。すると・・・・。
とんでもない額(数える言葉を知らないほど、がい?けい?忘れた)というわけです。

してその施術法(普及技術いわゆる養成学校設立のノウハウ)はこの世に存在している。
という事です。近未来の病院は木の葉病院のように、何にもない部屋となる。交通事故のオペは別として。それは預言ではなく、水面下で進行しているごく自然な日本の見取り図です。(つづく)

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2018年08月28日

2018年夏。ここからの7日年。

あと7年で、2025年。その間には東京オリンピックもある。前回大会の1964年東京オリンピックの開会式は私は母のお腹の中で観た。
2020年をはさむ前後約7年間が、日本の未来を左右する重要な分水嶺のような気がする。
2018年〜2025年まで。
何かが起こるとか、天変地異とか大異変とかそういう類のものではない、見た目には何ら変わりない日々の暮らし、経済、政治。その中にあって水面下では時代的ターニング・ポイントが明らかに存在し、その歴史的転換点は、後世の歴史家から命名されるような類のもの。
あたかも明治維新のような。いやそんな分かりやすいものではない、何か。
そしてもし、”それ”がなければ、世界の歴史が混迷期に突入する事が避けられないような重要な決断を、日本人がこの7年間の間に、迫られるような類のもの。それは、世界のどこかに付きつけられて選択を迫られるような外的要因による変革ではなく、日本人が心の内にある本音(真心・至誠といった類の日本人の心根)を胸の内にさらけ出し、自覚(知覚・覚醒ともいう)することにより、”それ”を共有化した一時期を過ごす、という類のいわば、集合意識的な合意。

その日本人の水面化(深層心理)における大いなる合意を、一部のネットや出版等のテレビではないメディアで取り扱い、瞬時に消滅する。
それは外国語に翻訳されることのない日本語だけの瞬間的情報交流。否、文字情報として公開されたメディアであれば、翻訳行為は可能だが、日本語で日本人が読まねば解読不能であるかのような、非関税障壁のような理解の壁が存在するため、世界的にみるとローカルなメディアでしか扱われないが、実は20年もすると世界に大きな変革をもたらし、資本主義社会を消滅させるようなインパクトを持つ。そういう転換期の最終段階を迎えると。

(こいつ、何を言っているんだ?頭がおかしいぞ)と思われるかもしれない。根拠もなく預言しても誰も耳を傾けないかも知れない。
もとより空想の域を出ていない話ではあるが、時代の転換期、資本主義の終焉と言われ始めてかれこれ、20年にはなる。その間に世の中で起こったことは明治維新の再来というには、あまりにもお粗末で、私自身何も変わらないじゃないか、と冷めた目で世界を見ている。
が、水面下、とここでは定義している世界では、ここまで進んでいるのか!という変革期特有の現象が散見されるのだ。
その世界を、見ていきたいと思う。メディアの中に起こっている変革期とやらを。
先ずは、各国に翻訳され、有名になったナルトというアニメから、紐解いていこうと思う。(え?ナルト?あのうずまきナルト?疾風伝の
)・・そうです。大まじめです。あれは資本主義の終焉を予言するアニメです。
益々頭がおかしぞ、といぶかしがる方は、興味本位にご覧あれ。



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2017年06月15日

7月26日東京に入ります。

1993年に事業を立ち上げて、早、24年となりました。この間東京で6年、その後大阪へ渡り、福岡へ移住、下関に完全に住んでからもう、15年ほどになります。
この間様々な出会いがあり、事業化に協力頂き、私自身も成長させて頂きました。
特に立ち上げ当初の東京メンバー?はとても懐かしいし、お客様の顔や、時には交わした言葉など、よく覚えている方も多い。
最初の東京での3年間の出逢いが元で、様々な企画が生まれ、継続し発展しているビジョンヨガの推進や、タッチセラピー事業があります。本当に感謝する次第です。
再び東京で、お会いしたい方もたくさんいらっしゃいますが、連絡先も途絶えてしまいました。もしまたご縁が復活するようであれば(このブログをご覧になっていらっしゃれば、是非ご連絡下さい。機会があれば、またお会いしましょう!

今年2017年の年間キーワードは、『温故知新』です。

古きをたづねて(温ねて)新しきを知る。そんな年にしたいと思っています。7月27日は終日、保育園の経営者や保育士の方々に、タッチセラピーの指導に参りますので、その前後の日に、可能です!宿泊はいつもの杉並の自宅です。

ken-2013@ezweb.ne.jp
080-5233−2013
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2015年12月10日

文と長州とバースビジョン=その7;忠義に生きるとは≪シリーズ完結≫=

花燃ゆも、ついに鹿鳴館まできて次回最終回となる。松陰先生や高杉晋作の思想や行動を通じてその先に”あるはずの”明治を語りたかったが、舞台は大奥やその引っ越し、そして群馬に移っていき知らなかった地方自治体から見た明治の姿を知れたり、なかなか見ごたえのあるシーンもあり満足だった。

が反面、描きたかった部分、明治政府の苦悩の選択について、あまり扱われなかったがために幕末と明治が切り離されたように見えて、どう扱ったらよいか分からないまま今に至ってしまった。
松陰先生の忠義に生きた時代とは、諸外国の圧力に屈しない形で源頼朝以来約400年間続いた幕政に終止符を打ち、天皇を頂く国体のあり方へと国のあり方を見直すこと。
その理念は明治に入ってどう変質していったか、あるいは山形有朋らに悪用されていったか、ドラマを通じて描きたかったが、なかなか難しかった。

そもそも忠義とは、天皇に対する忠義と捉えがちだが、松陰先生の生き方を研究していると、必ずしもそうではない、ということが分かる。晩年では、「幕府もいらぬ天朝(天皇)もいらぬ。ただわが身(六尺の体)があるのみである」と説いている。
自分一人でも立ち上がろうという気概を表す言葉であるが、あくまで国体として、天皇を象徴として扱っているに過ぎない事が分かる。
そもそも古来天皇に政治的な権力などなくても成り立っていた国家だったという、その故事に従い元に戻そうという動きが、幕末の尊王攘夷思想ではなかったか。

であるならば一たび幕府を崩壊させたら、近代的な政治形態に変えていくのはよしとしても中央集権国家ではなく、沿岸に奇兵隊をくまなく配置して防備に当たらせるなど各自治体に権限を委譲し、各県の創意工夫で産業を興す。その技術や人材を相互に交流し合って、日本の国体と自治権を守る。という互恵経済圏の確立に舵取りをしていったらどうなっていただろうか、と思うのである。
(飛行機のない時代である。上陸して来た敵兵を追い落とす事は奇兵隊の得意とするところで実際に長州で成功した。何も海軍など持たずとも、性能の良い大砲と上質な外交で時間稼ぎをすれば、30年もしたら強力な産業力を保持して対等な国力を磨き上げ、不平等条約など解消されたのではないだろうか、と)

先日の大河ドラマでも、国営の事業が赤字だからと次々と民間に払い下げられる、という無責任な事態に陥った。中央集権国家を目指した弊害である。しかし群馬の富岡製糸場だけは?生き残り、生糸を大量に輸出するための鉄道までも国の資金で引かせてもらえることになったという。

まさに至誠の現れである。

これぞ長州の力と言わずして何とするか、神奈川県令となった野村靖がどんな至誠を市制で貫いていったかを描くなどして、松陰先生の教えや理念が息づいている様を描き、地方創生に一石を投じるドラマがもっと見たかったが、中央集権の権化である鹿鳴館外交で終わってしまうという、寂しい限りだ。

忠義とは、天皇のために尽くす、ということなどではなく、己の心に忠実に生きる、ということであり、我欲を捨て、天命を尽くすことであり、それがその人にとっての義であり、その思い(義)に逆らって生きることは不義理だ、ということに他ならない。
つまりは、バースビジョンに沿って生きることこそ忠義の現れであり、そのカタチは日本人の数だけあるはずなので、その妨げとなる制度はすべからく廃止すべきである、というのが持論である。この考えは民主主義の理念とはいささかも矛盾しない、という結論に至ったのである。

花燃ゆが終わってしまう前に、ドラマの中で共感したことがあるのでいくつか述べさせてもらいたい。
一つには、明治維新とその後の日本の発展の共通性というか、現代とは何がどう違うのか問い詰めるに、現代と大きく変化したのは、家族の絆の在り方ではないかと、文の大河ドラマを観ていて思った。

御一新を成し遂げた原動力も家族、とりわけ家系の絆が強固だから、艱難辛苦を幾度となく乗り越えて、なお至誠を貫く事が出来たのだと。

突き詰めると母親を母上と、父親を父上と称する、当時としては当たり前の光景の中に、日本の将来を憂い共に立つ力がどこそこに生まれたのだろうと、そんな風に思えてきた。

志士たちの変革への志を支える尽きることのない原動力は突き詰めると母親の想いなのか、と。恩師や師匠のためにというエネルギーもあれど、比較にならない力で推し進められたのだろうと。男性エネルギーでまい進してきた国家作りも、その根幹に母性がある。日本は母性国家ではないだろうかと、そう思えてきた。

自分の立身出世や自分のために頑張るエネルギーなどポキっと折られたらもろいもの。君子と小人の差に関して、二十一回「孟子」を題材にして、説こうと思う、と大それたことを書いてしまって後悔したが、そう思えば、誰もが母親の母体から誕生したわけで、そこには例外はないのだから、どんな境遇の人でも、家柄が良かろうと悪かろうと、能力があろうが無能だろうが、母親の母性を受け取る感性があれば、尽きぬことのない無尽蔵のエネルギーで、幕末の志士のような働きができるのかも知れない。その結果が歴史に残るかどうかは別としても。

ドラマを通じて、家族の絆を見た。松陰先生の母親の出身地である「下関市≪旧豊浦郡≫滝部」に良質な温泉があり、何度も行ったことことがあるし、私にとって最初の萩ツアーはこの滝部温泉からスタートしたのだった。そうした縁のある滝部で最近、松陰先生の母、滝を顕彰する碑の除幕式があった。
有名なことわざ、

「親思う こころにまさる 親心」
  
は、松陰先生の句である。
  「けふ(今日)おとずれ 何と聞くらん」(先に死んでいく私の報せを、母は故郷の萩でどんな思いで聞くのだろうか。ごめんなさい)と続くのだが。
  
滝は先生の背中をよく流していたそうだ。
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2015年02月21日

文と長州とバースビジョン=その5;恩義について= 文と長州とバースビジョン=その6;才能とバースビジョンについて=

元総理大臣の小泉純一郎氏は、萩を訪問した際、「市が野山獄の周囲の土地を買い取り、もっと整備するべきだ。」と提言したそうだ。松陰先生の獄中教育は素晴らしかった、という事をもっと世に知らしめるべきだ、というわけだ。
私は、毎年1,2回「萩・下関志源探求の旅」ツアーの運転手兼助手として、もうかれこれ10回はツアー引率を行った。参加する方々はすこぶる高い志を有する経営者が多く、和道を極めようとなさっている方々だ。花燃ゆのドラマの最後に、萩の名所が紹介されるが、その度にツアーの最中に得た感動が蘇る。

ツアーと言っても一般の観光案内とは趣向が異なる。和道の提唱者大和先生のレクチャーが主の志を探求する機会に溢れている。何より明倫小学校でのお話がじーんと胸に響く。

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。これは、『松陰先生でさえも、幕府を突き動かすことが出来なかったのだから、我々凡人がどうして至誠を持って人を動かすこと出来ようか、無理に決まっている』と、当時は思ったものだが・・・・。」というお話から始まる。
萩ツアー引率者である大和先生は松陰先生の生まれ変わりではないか、と思うほど風貌や志の水準が似ている。萩出身で明倫小学校に通っていたというから、縁が深い。加えて、藩主(毛利)の子弟教育を代々担っていたというから、真に真に迫る。

先生によると「どうせ無理に決まっている、とあきらめるのが凡人で、(松陰先生のような君子は)決して諦めず、誠を貫く。決して心を動かされないはずはない、という初心貫徹の姿勢こそ立派なのだ。
松陰先生は、志を貫いて、最期まで貫き通してそして死んでいった。ゆえに至誠の人なのであり、そういう生き方をこの言葉、『至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり』が現しているのだ、と。

私は何度聞いても、志を共有する者同士の共鳴もあるのであろう、「自分も至誠を貫き通せる人間になりたい」と思うのである。こんな内省が起こる萩観光ツアーは他にはないであろう。

さて、大河ドラマはようやく、松陰出獄の時を迎えた。
時代がまだ幕府の威光が残っている緩やかなシナリオ段階だから、今のうちに、松陰先生の思想と、明治以降の関わり、国のカタチ(国体)に大きく影響した点について語っておこうと思う。

今年は本ブログを通じて一貫して『松陰先生が国の形、すなわち国体を形成し、今日の平和国家日本の礎となった。』という大胆な視点を解き明かす事に挑戦する。
そしで花燃ゆの中で出てきた、この台詞こそ、私が最も大事にしている松陰先生の言葉で、かつ、バースビジョンを発見するための鍵として大切に育んでいる言葉だ。

松陰先生は、かの『福堂策』において、

『人賢愚ありと雖も(いえども) 各々一二の才能なきはなし』。と、唱えた。

大河ドラマの解説を引用すると、

どんな者でも必ず優れたところがある。
獄の有りようを整えれば人は必ず罪を改め生まれ変わることができる。

という。まことにもって、簡単には凡人には真似の出来ない素晴らしい志を実践されたと思う。
先生が教師になれば、たちどころに不良少年は更生し、いじめのないクラスが実現するのであろう。
至誠を貫く姿勢がありさえすえば、どんな人の中に眠っている良知を呼び覚まし、悪玉菌を追い出し善玉菌を繁殖させ得るのだと。そうしてひとたび繁殖した善なる心は次々と心の中で連鎖反応を起こし、周囲を感化させ、支援者を引き寄せ、幸運を呼び込み、別人格に成ったかのごとく、生まれ変われる。

世の中には自己啓発的な書物が溢れ、成功するためのノウハウが至る所にある。その書物の中には松陰先生の言葉を引用したものも最近では少なくない。しかし・・・。
しかしながら、先生の教えが世に広がるのは良しとしても、それを著す人たちがどれほどの覚悟を持って言うのかはなはだ疑問に思うことが多い。ビジネスで成功するためにわざわざ松陰先生の言葉を借りずとも良いではないか。幸せな家庭を築くとか、世の中の役に立つ商売をするとか、そうした個としての自己実現欲求を果たすためのノウハウを遺すために松陰先生は生まれて来たのではない。

我流の表現を用いる事を許してもらえるのであれば、松陰先生は、
『日本国のバースビジョンを明らかにするために生まれて来た。と言えよう。換言すれば、日本人としての明徳を明らかにし、日本国という尊い価値を世界に記したい。たとえ我が身が存する間に不可能であっても、後世の世にそれを託す事を予め決めて生まれて来た』・・・と私は思う。(本当に僭越でお恥ずかしい限りだが)

かくなれば、先生のバースビジョンは成就していない。幕府崩壊という現実を天から見て(あー私の生きた証を目の当りに出来た、これで成仏できる)とは、思ってはいまい。日本国が真にその生まれた目的を全うするには時がまだかかる。頼むぞ、諸君、と、平成の世に、私たちに語りかけているように思えるのだ。

日本のバースビジョンを明らかにするには、何より日本人一人ひとりの天命を知る必要がある、その一人ひとりはかけがえのない一人であって、何人もその人なくしては困る、というほど尊いもので、それぞれ生を受けたからには、かけがえのない役割がある、それが何かを見出し、育み、その英知や才能を世に知らしめ、社会の何がしかに貢献すること、それが至誠を貫くことに通じる。そうした日本人が増える毎に、日本という国の天命も明らかになってこよう。

そういう希望に満ちた道筋を、松陰先生は後世の人たちに遺して死んでいったのである。たかだか260年続いた幕府を瓦解させるための引導を渡す役ではない。

人の中に眠るバースビジョンを紐解く鍵がこのフレーズだ。

『人賢愚ありと雖も(いえども) 各々一二の才能なきはなし』。続いて、

『湊合(そうごう)して大成する時は、必ず全備する所あらん』。

訳は、「人にはそれぞれ能力には違いはあるが、誰でも一つや二つの長所を持っているものである。
その長所を伸ばせば、必ず立派な人になれるであろう」。
この訳は、明倫小学校で用いられている道徳の副読本から引用した。そう、昭和のある時代に、道徳を学校で用いようと文部省で提言した時期があるが、その時山口県では、真っ先に松陰先生の言葉を用いよう、と決まったそうである。その際に山口県教育会が発行した書の中に、人賢愚・・・がはいっている。

花燃ゆの台詞の中に、松陰先生の言葉として、
「(福堂策を著したからには)、一人でも二人でも(その人なりの優れたところを見出し)世に送り出すことこそ、殿への忠義の道と心得ております。」とある。ここで再度恩義を扱うとしよう。先生は藩主への恩義から、獄につながれては獄でしか出来ないことをしよう、と善性を自らに見出した。
獄を更正施設とすべきだ、との獄中からの建白書「福堂策」をしたためたからには、我先に出るわけには行かない、と律儀に拒んだわけである。これは頑固さではない、忠義者。至誠の人だ。
そのまま獄で朽ちていく事を知りながら、どうして特赦を拒否できようか。正直私には到底真似の出来ぬ話だ。人の心に善性や良知を見出そうと努めているが、どうしても諦めてしまう。
この親にしてこの子だな、もはや、三つ子の魂百までだから、小学生に上がってから教育しても無理だな、まして大人になってから研修しても無理だ、などと見限ってしまう。

恩義あるひとつくりなど夢の夢だ、と。そう、すさんだ心に陥ったとき、松陰先生の言動を思い起こすと勇気が沸く。

出獄を拒んだ松陰に対して、ある獄中の者から、

「真に更正したかどうかは、獄を出てみなければ分からん、ということじゃ。世に生かされて初めてここが福堂と呼べるのだ。」と、言葉を返されて、ようやく獄を出る覚悟が定まった。というシナリオになっていた。

ひととせの 夢か別れの 寒さかな

という句に送り出されて。何とも味わい深い、送別会なことか。

して、松陰先生がどうして獄から出ることを拒んだのか。凡人なら「ラッキー、お先に」と、手のひらを返したように、利己に走るであろう。しかし松陰先生は違った。恩義の奥にある、究極の恩義に報いんが為に、頑なに拒否した獄を脱したのだ。

次回、この君子と小人の差に関して、二十一回「孟子」を題材にして、説こうと思う。
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2015年02月19日

文と長州とバースビジョン=その5;恩義について=

私が最も好きな言葉として「義」がある。好きと言うより判断の拠り所とすべき指針が、「義」だ。
恩義にもとる。悖る。という言葉があるが、最近、恩義を知らない人が多い(多すぎる)ように想う。
誰の心にも良心があり、それを元から知っているのが人間であり、良心の中には、仁義礼智信という武士道の心得が含まれている。
そしてそれらの徳目は、五倫をベースに行われてこそ身に付いてゆく。すなわちお世話になった人(父母・恩師・国)へは感謝せよ、夫婦はそれぞれ役目が違う、兄を敬い弟を可愛がり、上下のけじめをつけよ。友達は大切にし、裏切るな。という教えだ。松陰先生の仰るところの

「けだし人には五倫あり。しこうして君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)だ。

・・・と解釈すると、恩義の意義も奥深い。

最近とみに「恩義」を知らぬ人間が増えてきたように思う。という危惧は私だけではないだろう。恩義をないがしろにする日本人が増えていく事は、日本が日本で無くなることにも通じる一大事だと思う。
「君臣父子を最も大なりと為す」(士規七則)とは、社会の秩序を端的に現している。秩序なき社会は無法地帯、法があっても目を掻い潜るごとく利己的な動きをしては社会は乱れる。

法があるなしに関わらず、守るべきもの、それが道徳だ。徳とは、元徳と明徳がある、とは前に書いたが、本来、父や母、兄、先輩や上司、教師といった目上の人から教わるものであって、学校のお勉強さえ良ければ身に付くものではない。父親に言われたことを聞き分けのない振る舞いをしたり、ハイと素直に聞き入れられないようでは、身に付かない。というわけだ。
そして父子の間柄に加えて、君臣を最も大なりと為す、とは直訳すれば、君(主君)に忠義を尽くせ、ということだが、現代ではもっと拡大解釈して、目上の人を重んじるべし。としても語彙として差し支えないだろう。目上の人とは、突き詰めれば、先祖であり、先祖の先にある国を創った人たちであり、ひいては天皇家の存続(皇統)のお陰で日本は、比較的平和社会を築いて来た、という歴史に感謝せよ、ということになる。よって、いわば、君臣父子とは、忠孝の二文字で現せる徳目であり、我が国においては忠(義)と孝(行)は別物ではなく、同一のものだ、という考え方を貫ける世界で稀な民族なのである。この項は、後々詳しく論じることとする。話を、恩義の重要性に戻そう。


例えば、中国。空がガスで曇って晴れていても青空が見えない。という事は、自然に対する恩義が欠けている、ということもあるが、人気アトラクションで並ぶ順番を横入りさせないために、見知らぬ人同士ぎゅうぎゅう詰めにする浅ましさ。上海は観光に使われるメイン道路でも生ごみの匂いが臭い。
そうした日本にはまずない光景が至るところにある、自己中心人間(自己チュー)の寄せ集め国家であり、その結実が有毒ガスで空が常に覆われた都市光景だ。

その精神性を突き詰めると、その心に恩義が欠けているから、と言える。海賊版CDと称される違法コピーが出回り、アーティストが知的財産を侵害されていても、無関心でいられるのは、「良い音楽をありがたいな」と思う、恩義の心が欠けた民族だからである。
CD一枚コピーするのは簡単だが、それを一枚制作するのにどれほどの歳月がかかって苦労を重ねて、人の手に渡るようにまでになれたのか、想像する知性を持ち合わせない民族、それが中国人だと断言できる。
そういう道徳心を持ち合わせない、あるいは教育を受けていない野蛮人が、人の創ったものを平気で盗み、人に見られて恥ずかしい行為を平然と振る舞い、あるいは、営業し利益を得る様は、もはや仁義にもとる浅ましい人間たちである。そういう輩に決まって、その(海賊版の)方が安く手に入る人が増えるのだから、どうしていけないの?と罪悪感のかけらもない、最悪の人種だ。

松陰先生に言わせれば、そういう輩は犬畜生と同等でしかない。

「およそ生まれて人たれば、よろしく人の禽獣に異なる所以を知るべし」。(士規七則)

人が犬畜生と違うところは、道徳心があることだ、だから道徳を失っては、もはや人とは呼べない。
つまり、人が作った知的財産を平気で盗み取っても罪悪感すら感じない者たちは、もはや人とは呼べない低俗な生き物なのである。そういう輩が日本にも増えてきたことを、私は遺憾に思うし、大いに懸念している。

かつての中国と違い、欧米では知的財産管理は徹底しているようだが、それはあくまで法で縛り付けた結果である。米国では弁護士の数が非常に多いが、江戸時代の日本では武士がその徳で裁いていた事実がある。警察官に相当する与力等の取り締まり役は、江戸の大都市でさえ南北の奉行所合わせても実に600人程度しかいなかったというデータが残っている、無法者はどの世界でもいただろうし、ご法度もあったろうが、いかに徳で治める国創りをしてきたかが伺える。法治国家と言うのは影でこそこそする小物を増やすだけのようで気になるも、現代では致し方ない。

かなり偉そうなことばかり綴ってしまって恐縮だが、恩義にもとる、という概念が染み付いていた日本人は、一体どこへ言ったのか、ご飯粒を一粒残しただけで「お天道様に罰が当たるよ」と言われ口に入れたあの頃・・・。人が見ていなくても、天が見張り役になっているから、心に恥じる行いをしまい、と自己を律する心を養ってきた子供たち・・。今、一体どこへ行ったのか。


◆よもやま話◆
今、子供たちは、未来少年コナンを観てから寝ている。コナンは、恩義を知った子だ。智・仁・勇の三つを兼ね備えた武士でもある。公園でばかり遊ぶ(それしか空き地一つない暮らしの中で)自然への畏敬の念を思い出させ、友情を大切にし、権力の壁を突破してゆく智恵と勇気を備えた、たくましい子供になってほしいと願って。
今の子供たちは本当に可愛そうだ。便利さばかりを当たり前のように与えられ、寂しくて泣いても、スマホのゲームを与えられて。「これで泣き止んでくれ」と言わんばかりの乳母車を引いた母親たち。先日、小学校の仮入学で校長のお話を聞いたが、その最中、ずっーーーとおしゃべりしている母親たちへ、たまりかねて「そろそろいいですか(話を止めても)」とにらみつけてやったら、黙ったが。毎年、学習発表会では、自分の子の出番が終えたら騒ぎ出す馬鹿親が後を絶たないが、PTA会長さんが「静かに聴いて下さい」とマイクで言うなど恥ずかしくて観ていられない。
自分たちがほとんど、家畜化していることに気がつかない母親たち。それを横目で注意しないで、やり過ごす大人たち。感覚が麻痺して、子供へのしつけも出来なくなっている悪循環。
さて、どこから何を始めようか、と考えている日々だが、答えを出したい。逃げ出そうか、と。笑、いや、それでは答えになってないな。。


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